第13話 姫専属の軍師、登場

 リリィがフィグに託した文書は、父であるアストリア王に宛てたものだった。

 彼女はオークの襲来以降、ずっと考えていた。

 魔法に疎いはずのオークが、なぜアストリアよりも早く、リリィの居場所を突き止めたのか。

 そして、なぜこちらの世界に来ることができたのか。


「異世界へ行くには、リリィのように転移魔法を用いるか、開かれた界門ゲートを通るかしかない。そして、オークのように魔力のない者の選択肢は、後者のみだ」


 リリィは学人に解説する。


界門ゲートってのは簡単に開けるものなのか?」


「もちろん、そんなことはない。転移魔法と同じくらい高度な魔法だ。……知る限り、それができるのは……リリィのほかには、もう一人だけだ」


 彼女の顔はひどく曇っていた。


「じゃあ、そいつがオークの黒幕になってる可能性があるってことなのか……?」


 学人の言葉に、リリィはますます眉根を寄せる。


「……わからない。だからこそ、オークを裏から操る影がないか、父上に調査を頼んだのだ」


 学人は、それがリリィにとって悲劇となる可能性を孕んだものであることをなんとなく察し、それ以上は聞くことができなかった。


 ◇


 近頃のリリィは、火炎魔法の開発と並行して、RPGに興じていた。

 もちろん、遊んでいるのではない。

 学人が言うには、モンスター討伐の肝は「技」と「戦略」。

 対オーク戦を見据え、「技」、すなわち火炎魔法の開発のみならず、「戦略」のシュミレーションもする必要があったのだ。


 しかし、リリィの心は折れかけていた。

 何度も現れる、真っ黒な画面と、そこに浮かぶ「GAME OVER」の文字。


「まだHPは十分残っていたのに、急に敵が強化した技を畳み掛けてきたのじゃ……」


 気高き姫君がコントローラー片手に泣きつく姿は、なんともちぐはぐなものだった。


「まあ、こういうのは慣れもあるからなあ。俺が見ててやるから、もう一回やってみ」


 リリィはボス戦に再挑戦する。

 緊張感あるボスの登場シーンも、もう見飽きていた。


「リリィ、そこは全体攻撃じゃなくて、子分の方を個別攻撃で片付けてからボスに集中したほうがいい」


「ふむ……」

 

「あ、そこは一旦回復して、その後防御強化の魔法使ったほうがいい。多分次くらいから畳み掛けてくる」


「なぜわかるのじゃ?」


「パターンだよ。こいつはHP減ってくるとデカめの魔法攻撃してくるタイプだ」


 学人の言うとおりにコマンド選択をすると、確かにボスは高威力の攻撃魔法を連続で繰り出してきた。

 回復と防御を挟んでいなければまたGAME OVERを拝んでいたところだろう。

 その後も学人の指示に従い、リリィは初めてボスから勝利をもぎ取った。

 しかし、リリィの顔は晴れなかった。


「マナト。はっきりわかった。リリィには、軍師の素質がない」


「ぐ、軍師?」


「敵の動きを読み、次の戦略を練る……その才能が、リリィには欠けている。思えば、昔からそうだった。知識量では負けていないのに、実戦形式の兵学ではいつも兄上様の方が……」


 リリィはそう言いかけて、途中で口をつぐんだ。


「"兄上様"? お前、兄ちゃんがいたのか。初耳だな」


「……まあな。……とにかく、リリィ自身に軍師が務まらぬ以上、戦略を補うための策を考えねばならぬ」


 リリィは何かを期待するように学人を見つめている。


「おい、まさか……」


 学人もそれを察し、口角をひくりと動かした。


「マナト、……リリィの軍師になってはくれぬか?」


 予想通りのお願いだった。

 RPGのプレイヤーなら腐るほどやってきた。それなりに上手い自負もある。

 ただ、現実の戦いで指揮を取るとなれば話は別だ。

 GAME OVERが許されない世界。付き纏う責任は、到底比になるものではない。

 

 それでも、学人はなぜか迷っていなかった。

 

「……わかった。ただ、そのためにはパターンを知っておきたい。お前の<天の叡智セレスティア・コード>にあるオークのすべてを、俺に教えてくれ」


 ちょうど火炎魔法の開発とは逆の格好で、今度はリリィが彼に知識を授ける番のようだ。

 学人は、自分が軍師をすることになったことよりも、その決断に一切の迷いがなかったことに、むしろ戸惑いを覚えていた。

 自分はいつからこんな思い切った決断をできるようになったのだろうか。

 全てに怯え、あらゆる者との交流を拒絶していたはずなのに。


 ――この姫様に頼まれると、なんでか断れる気がしない。


 彼はそんな自分に戸惑いこそあれ、不思議と嫌な気持ちはしていなかった。

 軍師という大袈裟な肩書きも、悪くはない響きだった。


 ◇

 

 学人の人生は、リリィと出会ってから急激に動き始めていた。

 無気力なニートだった彼が、アルバイトを始めた。

 何年も疎遠にしていた家族に、自分から連絡した。

 それは、客観的に見れば、オークを撃退したり、エルフの姫専属の軍師となったことと比して、あまりにも些細な出来事だろう。

 だが、その小さな一歩が、彼にとっては世界を変える一歩だったのだ。


 リリィは、この喜ばしい変化を、相変わらず心から喜べずにいる自分に苛立ちを覚えていた。

 ……それでも、面白くないものは面白くない。


 ――リリィだけが知っていたマナトが、みんなに知られていく。


 学人は、バイト先のスーパーでもうまくやっているようである。

 元々、彼は自己肯定感が低いだけで、コミュニケーション能力や事務処理能力に問題があるわけではない。

 それどころか、二度のオーク襲来時に発揮されたように、咄嗟の頭の回転にかけてはかなり光るものがあるとリリィは評価していた。

 だから、バイト先でうまくやっていること自体は想定の範囲内だった。

 気に入らないのは、学人がバイトリーダーらしい年上の女性からも気に入られている様子であることだ。


「リーダーから、またリンゴ奢ってもらった。廃棄でもないのに、なんか毎回くれるんだよな」


 バイトを始めたての頃、廃棄のリンゴをもらいたいと申し出たらしいが、彼はそれ以降も、毎日のようにリンゴを持ち帰ってきていた。

 不思議そうにする学人を、リリィは思わずしらっとした目で見つめてしまう。


 ――この男、鈍感すぎる。


 バイトリーダーの件も然り、いまだにユウカとの連絡を無邪気にリリィに報告してくることも然り。

 自分が女性に好意を向けられ得るという思考がそもそも抜け落ちているのだろうか。

 というか、この男、バイトリーダーキラーなのだろうか。

 リリィは毎回、そのリーダーへの罪悪感を感じながらリンゴをもそもそと食べていた。


 その日も、学人は戦利品を手にバイトから帰宅した。


「リリィ、今日はすごいぞ! 青森産の超高級リンゴ『サンふじ』をもらったんだ! 怖くて値段は聞けなかったけど、これ相当やべえぞ」


 興奮気味に報告してくる学人に、リリィは一層複雑な気持ちを抱いた。

 だが、あらゆる意味で、これを食べないという選択肢はなかった。背に腹は変えられぬ。

 意識的に心を無にし、真顔のまま、シャクッと音を立てて「サンふじ」を噛み締める。


 それが彼女に新たな異変をもたらすのは、その直後のことだった。

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