第14話 すべての準備は、整った

 超高級リンゴ「サンふじ」は、リリィの複雑な気持ちとは裏腹に、大層美味しかった。


 ――なるほど、これは確かに普通のリンゴとは違う。蜜が溢れていながらすっきりした味わいで、口当たりも……


 脳内の食レポが終わらないうちに、彼女は自分の身に起こる変化に気がついた。

 その感覚は、初めてではなかった。

 聞き覚えのあるポンッという小さな音。見覚えのある眩い光。

 そう、魔力の回復である。

 

 リリィの姿は、ついに秋葉原に転移してくる前の、元の姿に戻っていた。

 見た目の齢は学人と同じくらいであろうか。

 絹糸のような金の髪が豊かに肩から流れ、白磁のように透き通った肌は淡い光を纏っている。

 大きな青の瞳は深い湖のごとく澄み、それを縁取る長い睫毛は頬に影を落としていた。

 神秘的なまでの美しさを放つエルフの姫君が、そこにはいた。


 学人は、そのあまりの美しさに、リリィを直視することができなかった。


「よかったな、リリィ。……元通りか?」


 目を逸らしたまま素っ気なく言う学人に、リリィはいいことを思いついたとばかりに悪戯な笑みを浮かべて、顔と顔をぐいっと近づけた。


「ああ、元通りだ。……どうじゃ? 本来のリリィの姿は」


「ま、まあ……なんだ、姫って感じだな、さすがに」


 学人はどもりながらそう言い、リリィにちらりと目をやったが、彼女の美しい瞳と目が合った瞬間、反射的にまた目を下に向けた。

 しかし、視線を下げたことによって、今度は、服の上からでも分かるほどに育った、彼女の女性らしい体つきが目に入ってしまい、余計うろたえることとなった。

 まるで思春期の男子のような反応をしてしまった恥ずかしさも相まって、彼の耳は真っ赤に染まっていた。


 その後はというものの、学人はまたリリィを強く意識しだしたようで、普通に目を合わせて会話できるようになるまでは相応の時間を要した。

 ここしばらくお目にかかっていなかった学人のその様子に、姫はご満悦だった。

 またダンゴムシのように固く丸まって寝るようになっていた学人に、寝ているふりをして、ぴとりとくっついてみたりもした。

 分かりやすく緊張感を増すその男の様子に、リリィは満足げにふふんと微笑んで眠りにつく日々だった。


 ◇

 

 そうして調子を取り戻し、火炎魔法の開発に専念するリリィに、ついにその日は訪れた。


「マナト! ついにやったぞ! ……新たな魔法を、創り出した!」


 リリィは目を輝かせて学人を呼んだ。


「おぉ、ついにか!! それで、どんな魔法が出来たんだ?」


「まずは、基本の三段階の火炎魔法だ」


 魔力の節約のため、一段階目、すなわち弱めの火炎魔法のみだが、リリィは新魔法を披露してくれた。


「nár」<火>


 彼女は一言唱えて手をかざすと、学人の持つ煙草の先に火が灯り、煙が上がり始めた。

 学人は目を丸くする。


「……マジで火だ。すげえな、リリィ!」


「この上にさらに、“nárë”<炎>、“nárë rúcina”<轟炎>がある。状況と魔力の残り具合に応じて、マナトが技を選択してくれ」


 まさにRPGの世界観が目の前で実現しつつあることに、学人は興奮していた。


「加えて、基本の火炎魔法より範囲は狭まるが、より高威力の攻撃魔法、"Macil nárëo"<焔の刃>も開発した」


「うおおおぉぉ!! カッケェ……!!!」

 

 学人の厨二心は大いに刺激されていた。

 他にも、リリィの開発した魔法が続々とお披露目されていった。

 攻撃魔法が出揃ったことで、軍師としての責任感も一層増してきたように思われる。

 そして、この上さらに彼の厨二心をくすぐる発言が飛び出した。


「さらにだ。リリィは、アストリア伝統の氷結魔法と、新たに開発した火炎魔法を融合させた、リリィだけの必殺技を編み出したのじゃ!」


 気高く美しい姫君が、自慢げに腰に手を当てる様子は、なんともアンバランスな可愛らしさがあった。

 学人の目も、子供のようにきらきらと輝いている。


「必殺技!? なんだよそれ! どんなのなんだ!?!?」


「ふふ……聞いて驚け。それは、リリィの心にある“愛”を糧に放たれる、氷よりも冷たく、炎よりも熱い攻撃魔法だ。その名も……」


「その名も……!?」


 学人はごくりと生唾を飲み込む。


「…………“Cána hlápë mi helcë”」


 さっきまでの自慢げな様子はどこへやら、急に恥ずかしくなったように声を小さくして、リリィはエルフの言葉でその呪文を呟いた。


「どういう意味だ?」


 学人は依然目を輝かせて身を乗り出し、興味津々である。


「………………秘密だ! そもそも、この魔法は魔力消費が大きすぎるゆえ、本当にいざという時にしか使わぬ」


 リリィは照れ隠しのように話題を逸らして、学人に背を向ける。

 その顔は少し赤らんでいるようにも見えた。

 学人は、ここまで盛り上げといてそりゃないぜ、と言わんばかりの表情をしていたが、一度こうなった姫様の口を割らせるのは不可能であることはよく理解していたので、渋々諦めることにした。


 その夜は、新魔法開発を記念して、今度は二人ともビールを手に、祝杯を挙げた。


 ◇


 フィグの置いていった銀の魔鏡パクトが反応を示したのは、ちょうどその次の日だった。


「Herinya Lirilissë, orcor hosto-lé auta sina lúmë. Barzo var orcoron rimbë tulë enta ando. …Nai alya-nai, ar nai vaita-nai!」

 <リリィ様、オーク軍に動きがありました。バルゾが複数のオーク兵を率いて再び界門ゲートを通ったようです。……どうか、ご無事で……!>


 フィグは鏡の向こう側から、相変わらず恭しくリリィを見つめながら、そう報告する。

 学人にも一瞥をくれたが、すぐにフンと鼻を鳴らして顔を背けた。


「よし、マナト。すべての準備は、整った。……今度こそ、オークどもを討ち取るぞ!」


 リリィは覚悟を決めたような力強い目をしてそう言った。

 学人もそれに答えるように、深く頷いた。


 火炎魔法は完成した。軍師へのオーク知識の伝授も済んでいる。リリィ姫の魔力も、いまや万全だ。


 ――決戦の日は、いよいよである。

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