第12話 異世界からの使徒、襲来

 まだ帰りたくない。

 リリィの胸に生じたその迷いとは裏腹に、火炎魔法の開発の準備は比較的順調に進んでいた。

 RPG知識を事細かくまとめ上げた学人は、大仰にノートを彼女に手渡した。

 

「リリィ。このノートをお前に預ける。いつか返しに来い、立派なアストリアの女王になってな」


 少し渋い声色を作ってそう言っては、自分で笑っていた。

 最近の学人は、よくふざけ、よく笑うようになった。

 それはリリィにとって喜ばしい変化だったが、彼の笑顔を見るたびに、心の迷いが大きくなっていくのもまた、事実であった。


 リリィが小さく息をつき、ノートの中身を改めようとした時だった。


 コンコン。


 玄関のドアを叩く音がした。

 二人は顔を見合わせる。


 ――……ノック? インターホンじゃなくて?


 怪訝に思った学人は覗き穴を確認するが、誰もいない。

 またオークの襲撃かとも思ったが、奴らに丁寧にドアノックをする知恵と礼儀があるとも思えない。

 おそるおそる、少しだけドアを開けてみる。

 途端、隙間から手が伸びてきて、勢いよくドアを開けられてしまった。

 それと同時に、大声が鳴り響いた。

 

「Herinya Lirilissë!!!」

 <リリィ様!!!>


 緑色の瞳をしたエルフの青年が転がり込むように入ってきた。

 彼の目は、ドア前の学人を完全に無視して、リリィだけを映している。


「…………フィグ!?」


 その青年は、アストリア王国・リリィ姫直属の従者、フィグ=ヴェルデンだった。

 愛する姫との再会に、彼の目には溢れんばかりの涙が溜まっていた。


「Aiya, Herinya Lirilissë…! Avatyarinyet an longë lómë. 」

 <あぁ、リリィ様……! お待たせしてしまい、大変申し訳ございません>


 フィグはリリィの前で膝をつき、仰々しく彼女の手を取った。


「Sina… ná umbarë-vëa. Mal Fiqo, nai maquetien sinë nórë.」

 <これは……分身魔法だな。しかしフィグ、よくぞこの場所を探り当てた>

 

 二人の感動の再会に、学人は若干置いてけぼりになっていた。

 しかし、どうやら敵ではなさそうだと悟り、フィグに向け歩みを進めようとした瞬間、フィグの目が初めて学人に向けられた。

 その目は、氷のように冷たく、憎しみさえこもっているように見えた。

 フィグはすぐにリリィに目を戻し、続けた。


「Lá auta quetië… Mal anquë anwa, anandelya úvëa. Ar haryanë i herinya mi ostorë urcavëo atanin. Nai nai caurëlya.」

 <もったいなきお言葉。……しかし、私の捜索が遅れてしまったばかりに、姫様をこのようなあばら家で、下賎な人間と同衾させてしまいました。……さぞお辛かったことでしょう>


 学人にはエルフの言葉はわからなかったが、何かよくないことを言われているような気はする。

 見たところリリィに仕えてる人のようだし、そりゃ姫様が心配だよな、と、特には気にせず暢気に構えていた。

 しかし、リリィは違った。


「Nárë polin, Fiqo. Nauco sina nauva úvëa, ar Lirilissë umë lavë.」

 <口を慎め、フィグ。この男を侮辱することはリリィが許さぬ>


 リリィは先ほどのフィグよりも一層冷たく、凍てつくような視線を浴びせた。

 学人はぎょっとした。

 こんなに冷たい目をするリリィを見るのは、初めてだった。

 そしてフィグの狼狽は学人以上のもので、その視線に貫かれた彼は完全に言葉を失っていた。


 リリィは、凍り付くフィグを意に介さず、そのままエルフの言葉で何やら語りかけていた。

 フィグの驚きようを見るに、火炎魔法開発の話をしたんだろうか。

 リリィは学人の方を手で示すと、先ほどのノートをフィグに手渡した。

 

 メラ、ファイアなどはもちろんのこと、インセンディオから炎の呼吸に至るまで。

 ノートの中には、あらゆる火炎系の魔法や技とその特徴がびっしりと事細かくまとめられていた。


 フィグは日本語で書かれたその内容を理解することは出来なかったが、そこに注がれた並々ならぬ熱量は感じ取ることができた。

 ノートから顔を上げたフィグは、改めてきちんと学人を見る。

 ……やはり、だらしない男にしか見えない。

 だが、このノートを、この男がしたためたというのか。

 フィグはまだ苦々しい顔をしていたが、今度はその目に、憎しみよりも悔しさの色が濃く浮かんでいた。


 彼はつかつかと学人に歩み寄り、その目を真っ直ぐに見据えて至近距離で一言、ぶっきらぼうに言った。


「Mani antanë herinya, sívë auta nauvalyë.」

 <姫様に手を出したら、即刻処すからな>


「……なんて言ったんだ?」


 学人は困惑しつつリリィに問いかける。


「……姫様と、仲良くしろと言っている」

 

 リリィは少しだけ耳を赤らめて小さな声で答えた。

 その可愛らしい姿がさらにまた、フィグの苦々しい気持ちを加速させていた。


 ◇

 

 一通りの情報共有を終えたリリィは、エルフの言葉で何やら一筆したため、フィグに託していた。

 フィグは膝をつき深々と一礼した後、ポンと小さな音を立てて消えた。

 彼のいた所には、小さな魔鏡パクトが残されていた。


 次々と起こる予期せぬ出来事に、何が何やらついていけていない学人は、ついに説明を求めた。

 つまり、こういうことらしい。

 フィグは、弓と剣の扱いに長けた戦士であり、魔力はさほど高くない。

 リリィのように高度な転移魔法を使うことはできないため、魔鏡パクトに分身魔法を乗せ、分身をこちらの世界に送り込むことを考えた。

 これにも相応の魔力が必要になるが、そこは魔鏡パクト自体の魔力を借りることにより実現したようだ。

 さらには、こちらの世界側で分身魔法を解除することで、魔鏡パクト本体を残していくことに成功した。


 学人は、美しい銀の装飾が施された魔鏡パクトを改めてまじまじと観察した。

 

「これで、どんなことができるんだ?」


「異なる世界との通信ができる。あとは……そうだな、自身の思念や映像を記録しておくことなども可能だ」


「通信、ってことは……」


 リリィは頷く。

 

「あぁ。ようやく父上様と母上様に連絡ができる!」


 リリィを部屋に残し、学人はベランダで一人煙草をふかしていた。

 ちらりと部屋を見ると、魔鏡パクトに向けて、珍しく容姿相応の少女のような笑顔を見せて喋りかけるリリィがいた。


 "大事にせねばならぬぞ。……いつ、会えなくなるとも分からないのだから"


 いつか彼女に言われた言葉を頭の中で反芻する。

 気付けば、小さな灰皿は吸い殻でいっぱいになっていた。

 学人は最後の煙を空に向け大きく吐き出し、そしてスマホを手に取る。


 数分の推敲の後、送信ボタンを押した指は、少しだけ震えていた。


 TO:【母さん 080-XXXX-XXXX】

 MESSAGE:【リンゴ、うまかった。ありがとう】

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