12話 対症療法

 冷凍室の中、薄氷は蓮根の監視下で試験勉強をしていた。薄氷は露先で静かにページをめくる。低く唸るような冷却機の音が耳に蓋をする。傘に染みつくのは、クビにされて凍ったスタッフと金属の混じった冷たい匂い。シャーペンを走らせるたび、紙の上で擦れる細い音が響き、やけに大きく感じる。始めはこんな環境で勉強できるわけないと思ったが、回数を重ねるごとに、集中することができるようになった。


「蓮根さん、いつもごめんね」 


 薄氷は蓮根の顔色をうかがうようにそう言った。監視のためとはいえ、いつもこんな寒い中で過ごさせることの申し訳なさがあった。


「全然大丈夫だよ。私も薬の管理でここを使わせてもらうこともあるし、慣れてるから」


 蓮根は、白衣を着て、冷凍可能の薬を回転式拳銃に装填している。凍った薬が結露し品質が変わることを防ぐため、早めに薬を入れた。


「蓮根さんは調剤の仕事はしないの?」


 薄氷は興味本位で尋ねた。蓮根は、回転式拳銃に向精神薬や風邪薬などを装填し、薬が必要な人の口や身体の部位に向けて撃つことで薬を強制的に摂取させる仕事をしている。


「できない。でも認知機能が落ちた人や薬を欲している人に向けて撃つのは楽しいよ」


「本当に?」


 薄氷は、驚いてシャーペンの芯を折ってしまった。


「うん」


 蓮根は回転式拳銃になった方の腕をさすった。その冷たさが身体全体に広がる。


「私は、今の生き方を後悔していないよ。兄の役に立てる存在になれたことが嬉しいから」


 蓮根は、意識して笑顔を作った。手先が震える。薬がシリンダーから落ちた。


「それなら良かった。けど、毎日七彩に薬を打つのは大変だよね。本当に凄いよ」


 薄氷は、シャーペンのノックを二回行い、適度に芯を出した。薄氷は、以前、蓮根から七彩の一ヶ月ずつの不調をコントロールするために薬を打ち続けていることを聞いた。七彩のリセット癖を治すことは困難である。最初はやりがいもあったが終わりが見えないことに蓮根は疲弊しており、薄氷に相談していた。蓮根は、兄の症状を治すことができず、対症療法でしかない自分の存在に無力感があった。


「もうすぐ月末が来るね」 


 薄氷は、筆圧が不安定になりながらもテキストを記入していく。

 

「うん」


「渦雷さんのところに行くのを予定より早めてもいい?」



「なんで?」


 蓮根は、薄氷の真意を読み取ることが出来なかった。


「試験に受かるかは分からないけどさ、受かったとしても、機能性の向上まで待ってられないよ。僕のことより早く七彩をどうにかしたいし」


 露先が外れかかっている。薄氷は、傘骨を不自然な方向に曲げる。最初は渦雷に捨てられた悲しみをバネに変えて、見た目や機能性を良くし、渦雷を見返してやるつもりだった。しかし、そんなことがどうでもよくなるくらい、薄氷は渦雷に愛着が無くなってしまった。それほど今の環境が心地よかったのと、七彩の方が大きな問題を抱えていることを知り、優先順位が変わった。


「行ってどうするの?」


 蓮根は溢れた液体を布巾で拭く。


「渦雷さんに相談する。渦雷さんなら僕よりも七彩のことについて知っているかもしれないし」


「相談して何か変わるの?」


「それは、分からない。でも、行かないと今の現状を変えられないし、蓮根さんは七彩がまた月末にリサイクル(死と再生)されるのを黙って見届けるの?」


 薄氷は蓮根を真っ直ぐな目で見た。


「そんなこと…」


 蓮根は続きの言葉が出なかった。兄のリサイクルは、ミラーが雷光の一部を地面に誘導し、その反射熱や電気が電気分解することで爆発などのトリガーになるため、毎回危険である。回数を重ねれば頭の結合部も本体も保たなくなる。七彩に本当の死が来るのを止めたい。しかし、七彩は考えを変えない。最近はまともに話を聞こうともしない。兄の為の最善策が何なのか分からなくなった。


「蓮根さんも行こう」


 薄氷は差し伸べる手が無いため、体を蓮根に傾けて、肩を軽く叩いた。


「うん」


 蓮根は行くかどうか決めかねていた。

 

 そんな二人の静寂を切り裂くかのように、シャンパン男が冷凍室の扉を勢いよく開けた。


「七彩はいないのかよ」


 濁った太い声が響き渡る。突然の来客に、二人は顔を見合わせる。シャンパン男は冷凍室内に我が物顔で入り込む。


「いません。お客様、用件であれば私が七彩にお伝えしますので、教えていただけますか?」


 蓮根は薄氷を守るようにして手を添えた。室内に緊張が走る。


「それはいい」


 シャンパン男はそう言い、扉に向かって引き返そうとする。二人は安堵する。すると、男はシャンパンの瓶を180度回し、カッと二人を睨みつけた。


「そんなことより、物騒な腕のヤツがこんな場所にいてもいいのか?その汚らしい傘もだ。TPОに合わせた見た目にしろよ。今すぐ露出審査員に通報してもいいんだぞ?」 


 シャンパン男は胸ポケットからスマホを取り出す。


「釦を侮辱するな」


 蓮根は素早い身のこなしで、シャンパン男の頭(瓶)に回転式拳銃を突き付けた。


「ここはスタッフ専用ルームです。用がないのであれば今すぐお立ち退きください」


 蓮根はシャンパン男を睨みつけた。銃の持ち手に力が入る。


「打ってみろよ。あのモップ野郎の仕事が増えても知らないからな」


 どちらも一歩も引かなかった。シャンパン男の頭(瓶)に少しヒビが入る。


「蓮根さん、僕のことはいいんだ。それより、お兄さんの頭にヒビが入っていますが…」


 その時、再び扉が勢いよく開かれた。


「そこで何をしている!」


 七彩がシャンパン男の手を掴んで引っ張る。シャンパン男は驚き、スマホを地面に落とす。その瞬間、シャンパン男の頭が完全に割れる。倒れる。瓶の破片が飛び散る。冷気の中、キラキラと宙を舞い、やがて落下する。薄氷は自分(傘)を開き、蓮根を覆った。七彩のミラーには鋭い破片が突き刺さり、傷が走る。


「どうしよう……」

 七彩は頭を押さえ、裂けるような金切り声をあげる。現実を受け止めきれず、冷凍室に似つかわしくない甘い匂いが漂った。

 蓮根は今の七彩を直視できず、薄氷の傘に隠れたままだった。七彩の叫び声に反応したクラブのスタッフ達が冷凍室に入って、後始末をした。薄氷と蓮根はスタッフに保護された。七彩はシャンパン男粉砕の罪に問われてクラブ内のギャベジ室に入れられた。

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