13話 スパッタリング

「聞いたか、シャンパン男の本体の結合部に傷が入ったらしい」


「それは本当か?」

 

「本当だ。替えがあっても結合できないから、もう元には戻らないって」


「とんだ大惨事だな」


 クラブの従業員達が、更衣室でスナック菓子を食べながらガヤガヤと話していた。薄氷は蓮根とその内容を隣の部屋の壁越しに聞いていた。


「これからどうする?」


 薄氷は問いかける。


「弁償するしかない…」


 蓮根は三角座りをして、膝の間に顔を埋めていた。言葉の端々に、どうにもならない無力感が滲んでいた。


「そうかな。七彩は本当に悪いのかな。瓶は冷凍させれば割れるって聞くし、そもそもシャンパン男がスタッフ専用ルームに入ってきたのが間違いなんじゃないか」


 薄氷はゆっくりと言葉を選ぶように話した。傘の骨を軽く揺らしながら、蓮根に向けてそっと広がっていく。それは慰めのしぐさだった。

 心の奥で、薄氷はどうしても納得できなかった。あの瓶が割れたのは、単なる偶然と脆さの重なり。もしあの場にいたのが七彩ではなく自分だったなら、同じことが起きていたかもしれない。


「確かにそうかもしれないけど、このまま何もしないわけにも行かないし」


「じゃあ、一度ギャベジ室に行ってみよう」


「分かった」


 二人はギャベジ室に向かった。扉の前に着く。


「七彩、いるか?今から入っていいか?」


 声にかすかな震えがあった。傘の身を扉に預け、薄氷は祈るような気持ちで問いかけた。あっさりと扉は開く。その勢いで、思わず体が前に倒れた。


「二人ともごめん」


 七彩のその言葉は、空気を切り裂くように重く響いた。ゴミ箱の上にぽつりと座る姿は、廃棄確定おもちゃのようで、頭から剥がれ落ちたミラーの破片が光を失って床に散っている。傷や凹みが以前より増えていた。


「兄さんは悪くないよ」


 蓮根は七彩に近付いた。しかし、そんな蓮根の声は届かない。


「いや、自分が全部悪いんだ」


 七彩は何かを思いついたかのように、急に立ち上がって両手を叩く。


「みんな、もうすぐ月末が来る!渦雷のところに行ってリサイクルされる時期だ!いや、行かなくてもいい!あのリサイクル法がある!」


 七彩の目は今まで一番輝いていた。


「何のリサイクル法なの?」


 薄氷は静かに尋ねる。声の温度は変わらない。しかし、胸の奥では波打つざわめきが広がっていた。


「死者の魂を、生前好きだった物に封じ込めるんだ。シャンパン男はクラブの常連客なんだ。ミラーボールにもそれなりに愛着が湧いてるはず。僕の魂を抜いて、彼の魂を入れれば!」


 七彩は早口でまくし立てた。


「何だそれは」


 薄氷と蓮根は、七彩の言葉を聞いた瞬間、嫌な予感が血の気を引かせるようにぞわりと背中を触った。ギャベジ室の蛍光灯が不安定に明滅し、床の油染みが生き物のようにゆらめく。 


「まだシャンパン男の魂が残ってるかもしれない!駄目なら渦雷さんのリサイクル法でも良い!」


 七彩が走り出す。足音が汚い床を叩く。刹那、銃声が鳴り響く。七彩は前に倒れる。


「行かせない」


 蓮根が三角筋に向けて睡眠薬を撃った。冷や汗が額から頬へ伝う。しかし七彩は立ち上がり、動き出す。位置がズレていたようだった。しかし、銃の狙いが定まらない。反射で何発も撃つ。弾切れ。薬の装填。焦りが手元を鈍らせる。薄氷も動き出す。石突きで足を刺そうと近付く。躱される。中棒を掴まれ、放物線状を描くように投げられる。


「今まで迷惑をかけてごめん」


 装填中の蓮根の近付き、みぞおちに拳を突き入れた。鈍い音がした。蓮根は崩れ落ちる。


「本当に他にやり方はないのか?」


 薄氷は怒りを沈めながら七彩に問う。


「無いよ」


「シャンパン男の粉砕は、君の自殺の口実になったんじゃないよ」


「誰が自殺だと…!」


 七彩の怒鳴るような声。だがその声の奥にあるのは怒りではない。恐れと、七彩自身の弱さを突かれた動揺だった。七彩は薄氷の中棒を掴んで上に持ち上げる。


「僕にはそうとしか聞こえなかった。君のシャンパン男への償いは失敗が前提で、本命は自殺。違うか?」


「違う。研究に失敗はつきものだろ?僕は死にたいわけじゃない。僕の魂だって別の器に入れたらいいだけのことだし」


 七彩は地面と水平になるように、薄氷を横に投げた。ゴミ箱にぶつかった薄氷は倒れる。息を切らしながら、立ち上がる。


「そうやって命を軽く扱うな。蓮根さんを、これ以上泣かせるな。君のリセット癖には、もう誰も付き合えない。蓮根さんだって、きっと限界だ」


 薄氷の声は、普段よりもわずかに鋭かった。七彩が自分を使い捨てるように“生まれ変わろう”とする姿に耐えられなかった。蓮根がどれほど七彩の存在を大切にしていたかを知っているからこそ。


「そんなことないよ。蓮根は僕を嫌いにならないし、君が何をそんなに怒っているのかも分からない。過去の清算はそんなに共感できないものではないはずだ」


「そうかな」


「君だって過去の清算の為に傘に生まれ変わった身だろ?前、僕に生前のことを話してくれたじゃないか。それと何が違うんだ」


 薄氷は黙る。沈黙の間に、外れかかった蛍光灯が、ひゅっと風を切って落ちる。

薄氷は諦めたように目を閉じた。痛みは来ない。

代わりに、熱を帯びた衝撃が背後で弾けた。


 目を開けると、七彩が薄氷を抱きしめていた。背中には砕け散った蛍光灯の破片が突き刺さっている。七彩は歯を食いしばり、血の気を失った顔で、それでも一歩も退かなかった。


「それに、他にやり方があるなら僕に見せて欲しいよ」


 七彩の声は小さく震えていた。痛みにではない。

どこか救われたような、危うい安堵がにじんでいた。七彩は、薄氷を引きずってギャベジ室を出る。閑静な街を歩く。 二人の影は一つに重なり、不気味なほどに伸びていた。向かった先は就職センターフライの第二工場だった。

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