揺れる
「あらあなた、行き倒れ? 生きてます?」
能天気な声に頬を叩かれて、暗夜は目を開けた。真っ暗な視界。いつの間にか眠っていたようだ。木々の間から差す
彼女の問いに暗夜は何も答えずに立ちあがろうとして、よろけた。くじいた足が痛む。咄嗟に手を出してきた娼婦の平らな胸に支えられて、ずるずると滑るようにして地面に膝をついた。
「あらあら、お怪我してらっしゃるの。どっちの足ですか?」
「……左」
暗夜が答えると、彼女は暗夜の左側に回り込んで、暗夜の脇の下に顔を突っ込んで立ち上がった。左腕を掴まれて、彼女が体を支えてくれているのだと気がついた暗夜は彼女に体重を預けながら立ち上がった。
「あなた、どこから来たお方?」
「城」
「お城のかたがこんなとこまで……家出かしら」
のんびりとした口調で言われて、暗夜は静かに顎を引く。
「うん……そんな感じ」
「今日はうちで休みましょう。その足ではお城まで帰れませんね」
「ありがとう……」
彼女に支えられながら森のさらに奥へ進むと、視界が開けた。開かれた空間の中央には赤い屋根の家が建っていて、その隣には小さな小屋がある。家の手前には野菜が生えている畑と小さな池があって、池の前にしゃがみ込んで木の棒で水面を掻き回していた子供が顔を上げた。
「ネオンおかえり! おきゃくさん?」
「お客さんじゃないよ。怪我してたの、この子」
「じゃあボクと一緒だね。きみもここに住むの? ボク、ヌヌって言うの。きみは?」
暗夜に笑顔を向けたヌヌが、こちらに向かって移動した。小さな両手を使って、あまりにも小さな両足を引き摺って近寄ってくる。先ほどはしゃがんでいたように見えたけれど、体の作りのせいでそう見えていただけだったようだ。暗夜は一瞬浮かべた表情を殺して、穏やかな笑顔を作った。
「僕は朝には帰るよ。僕は――暗夜」
「ネオン、おかえりー!」
「むー!」
家の窓から子供がふたり顔を出してきて、そのうちのひとりが暗夜の姿を捉えるなりヌヌと同じやり取りを仕掛けてきた。同じように答えて、暗夜はネオンに連れられて家の中へと入った。片腕がない子供と、もうひとりは喋ることができないようだ。暗夜は先ほどと同じように笑顔を作ってふたりに向ける。椅子に座らせてもらって、ようやく暗夜はネオンの介助から解放された。
機能する手足を器用に使って椅子についた三人の子供達に向けた視線をネオンの黄色い瞳に向けて、暗夜が口を開いた。
「ありがとう。この子達はきみの子?」
「わたし、そんな年に見える?」
暗夜は首を横に振った。ネオンの顔つきからして、自分より少し年上くらいだろうか。体型があまりにも子供っぽいので、大人びた顔をしているだけの子供のようにも見えるが。
「この子達は拾ったの。わたしも、みんな孤児なの」
暗夜は閉口して、ネオンの目を見た。彼女は目元を緩めて、暗夜に笑みを向ける。
「あなた、壁の外から来たひとね」
いきなり核心をつくようなことを言われて、暗夜が硬直する。暗夜の深刻な様子に気がついたらしい。ネオンがふふっと息を吐いた。
「安心して。あなたの他にも結構いるんですよ。今朝も大きな魔物が人間の女の子を連れてきたの。
――魔物は、この子達みたいに生きるのが大変な形に生まれる子が多いの。それで、育てられなくて捨てられてしまうこともあるのです。孤児院はあるのだけど、そんな感じだからいつもいっぱいで、あぶれちゃう子もいるのよね」
ネオンは笑って、ヌヌの頭を撫でた。
「よその子供を育てるために、きみは娼婦なんかしているの?」
「
「……ごめんなさい」
うつむく暗夜。その隣で、ヌヌが明るい声を上げた。
「ボク、もっとおっきくなったらカゴアミするの! ネオンを楽させてあげるんだ! 他の子達もボクが育てるの!」
壁際に、編んだカゴと編みかけのカゴが積んである。これもネオンの仕事なのだろうか。他者のためにそこまでする彼女の気持ちは、自分のことで手いっぱいな暗夜にはよくわからなかった。
「わたしがいなくなっても、このこ達が生きられるようにしないと」
「きみはすごいね。僕にはそんなこと出来ないな」
暗夜がぽつりとこぼすと、ネオンは首を傾けて笑った。
「できる人だけやればいいんです。人間の国にだって、そういうひとはいるでしょう?
さあ、手当しましょうね。足を出して」
*
元気だった子どもたちも、夜になればランタンの日を消したようにぱたりと眠った。暗夜が眠れないでいるうちにネオンはどこかへ消えて、広い寝床の上に残されたのは子どもたちだけ。
質の良くない綿を詰められたベッドは妙にごわごわしていて、人間の城の粗末なベッドの方がもう少しましだった。ひとりずつのベッドを買うのは金銭的に難しく、大きな一つのベッドを使うことにしたのだとネオンが言っていた。
きっとネオンひとりなら、それなりの暮らしができただろう。それを犠牲にしてまで他者を養おうとする彼女の気持ちは、暗夜にはわからない。
「……ねえ、暗夜おにいちゃん」
明かりのない暗がりに響く、あどけない小さな声。暗夜は何も言わずに顔だけを右側に向けて、闇の中でかすかに光るヌヌの目を見た。ヌヌの熱い手が、暗夜の冷え切った指を掴む。
「ネオンのこと、好き?」
「えぇ……? 急に言われてもわかんないよ。いいひとだとは思うけど」
ヌヌから目をそらして、天井を見る。木造りの天井の木目と目が合う。目を閉じた暗夜の耳元で、ヌヌがもぞりと身じろぎをした。
「お客さん、いっぱいくるけど、みんなネオンのこと好きじゃないの。
――ボクが大きくなる頃には、きっとネオンは死んじゃう」
「何かの病気なの?」
「わかんないけど、いつも咳してる。この前は血が出てた」
暗夜の指を掴むヌヌの小さな手。熱い指先。すがるように、ぎゅっと力がこもる。
「誰か、ネオンを幸せにしてあげてほしいんだ。ボクじゃ、出来ないから」
勇者から逃げて、アドレインの元からも逃げた暗夜に、何ができるだろうか。どっちみち数日後には盾の国に帰るというのに。無駄に期待を持たせるのも、ヌヌやネオン達にとっては悪いことのような気もする。
「僕には無理だよ。ここに来たところなんだ。なんの権限もない」
「できたらでいいの。でもね、ちょっとでもネオンを助けてあげてほしいの」
「うん……」
ヌヌに生返事を返して、暗夜は寝返りを打って彼に背を向けた。
盾の国に帰って、自分が勇者に戻ってしまえば、暗夜はまた魔物を殺す生活を送ることになる。暗夜はここにきてから、迷っている。かろうじて言葉を交わせるような魔物には出会ったことがあったけれど、その魔物たちが人間たちと同じように愛し合い、忌み嫌いあって生きているなんて、知らなかったのだ。
輝夜と初めて出会ったときに、彼女は言っていた。
『人間も魔物もほとんど変わらないのに、なぜ殺しあうのだろう』
その時は暗夜には現実感の薄い言葉だったけれど、いまなら、その意味が少しわかるような気がする。けれど、今後も勇者として盾の国で暮らす自分にとって、それを知ってしまうのがいいことなのかはわからない。戻ればきっと、魔物を殺すことをためらってしまうだろう。そうすれば、暗夜はきっと、今よりももっとひどい目に合う。自分はもう壊れているけれど、戻れないところまで壊れてしまうような気がする。
「暗夜おにいちゃん?」
ヌヌがまだ何事か話しかけて来たけれど、暗夜は寝たふりをして答えなかった。
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