だって喧嘩売ってきたから

 いつもの集まりは残ったものだけですると言われ、暗夜とグローは部屋を追い出された。

 アドレインの案内のもと、ふたりとグローの従者が連れて行かれたのは、騎士たちの修練場。ひとが払われて、広い砂地に立つのは、暗夜たちと、修練上にいたオクリと名乗った魔物の五名のみ。


 簡素な防具を身に着けた暗夜とグローには、それぞれ同じ型の刃を潰した練習用の剣が渡された。


「輝夜様、くれぐれもお怪我は」

「大丈夫だよ。僕が強いの、知ってるでしょ」


 情けない顔で眉を下げているアドレインの言葉を遮って笑いかけると、アドレインも笑った。頷いて、後ろに下がってふたりの戦場を空けてくれる。


 こちらを鋭く睨みつけてくるグローと目を合わせる。

 互いに剣を構えたまま、無言のままに見つめあって、数秒。最初に動いたのは、グローの方だった。上段から振り下ろされた剣を受けて、流す。よろめくグロー。彼はあまり戦闘に長けていないらしい。勝負は、一瞬で決着するはずだった。


 よろけた彼の胴に一撃喰らわせれば、それで暗夜の勝ちだ。しかし暗夜は、それをしなかった。彼から一歩離れて、剣を再び構える。体勢を整えたグローが、鈍い金色の目をこちらに向けてきた。下段からの一撃を叩き落とす。続いて仕掛けてきた連撃を全て受ける。――暗夜は、遊んでいる。余裕で勝てる相手をいたぶるように、消耗させて遊んでいる。


 数分間それを続けて、グローは疲弊して肩で息をし始めた。暗夜は悠然と立って、顎先の汗を拭う彼に細い目を向ける。


「来ないの? もう僕から行ってもいい?」


 柔らかい声で語りかけて、暗夜が、一歩前へ出た。剣を振り下ろす。ふたりの眼前で散る火花。グローが暗夜の剣を受けた。暗夜が身を引く。グローが横に薙いだ剣を、姿勢を落として躱す。彼の脇腹に、刃を潰した剣の先を押し当てた。彼が身に着けた薄い金属製の防具が、切っ先を弾いて不愉快な金属音を立てた。


 よろめく彼の肩を押して、地面に尻をつかせる。金属に守られた彼の腿を踏みつける。腰を落として、彼の金色の目に、自らの墨色の瞳を近づけた。


「ガキの売女相手に、手も足も出なくて恥ずかしいね」


 笑いながら、彼の露出した首筋に、剣の刃を押し当てる。柔らかい感触。潰れた刃先で、首筋の皮膚を撫でる。暗夜が剣を握る手を、黒くてふわふわとした巨大な手が捕まえた。


「魔王様」


 低く、聞き取りづらい声が耳元で弾ける。暗夜が後ろに目をやると、黒い毛むくじゃらの巨体――オクリが、緑色の目でこちらを見ていた。暗夜から剣を奪い取り、肩を掴んで、グローからむりやりに引き剥がす。


「決着はもう着きましたよ。どこでそんな野蛮な剣を? 俺は教えていませんが」


 顔の半分を黒い毛で覆われて片方しか見えない彼の目を、暗夜は鋭く睨みつけた。


「野蛮……? お上品な剣で殺し合いして、生き残れると思ってるの?」


 巨体を睨めつける暗夜。二人の背後から、アドレインが駆け寄ってきた。


「すみません、オクリさん。輝夜様は、その、今少し……」


「様子がおかしいって? いつも通りだよ、別に」


 暗夜がアドレインに苛立ちを投げると、急に噛みつかれて驚いたのか、彼は眉を下げて上体を後ろに反らせた。


「あなたの剣に俺が勝ったら、考えを改めてくれますかね?」


「そうだね。やろうか」


 微笑む。互いに剣を抜く。暗夜の後ろで、グローの従者が彼を支えて戦場から避難している。


「オクリさん、輝夜様に」


「怪我はさせんよ。わかってる」


 暗夜がアドレインを睨むと、彼は困ったように眉をひそめて後ろへ下がった。


 オクリと剣を交えたその結果は、暗夜の完敗だった。暗夜のな剣捌きを軽々と躱し、弾き、数分間泳がされたあと、暗夜は首に一撃をもらって負けた。


 立ち尽くしたままうなだれる暗夜。暗夜は、勇者になってから負けたのは初めてだった。命のやりとりで負けるということは、すなわち、死ぬということだ。実戦でここまで生き抜いてきた暗夜の、初めての敗北。緑色の片目でこちらを見るオクリに、暗夜はうつろな視線を投げた。


「さて、魔王様。あなたは俺のお上品な剣に負けたわけだけど」


 オクリが、長身を折りたたんだ。暗夜の遥か上方にある顔を、暗夜と同じ高さに持ってきて、言葉を続けた。


「一から学び直しますかい? お上品な剣を。あなたなら、そんな戦い方なんかしなくたって強くなれる」


 暗夜は無言で、俯いた。オクリがそれを否定と取ったのか肯定と取ったのかはわからないが、短いため息をついた。こちらに近づいてきていたアドレインに視線を移す。


「アドレイン、このあとの予定は?」


「このあとは特にありませんが」


「そうか。では魔王様を少しお借りしてもいいか?」


「輝夜様を……?」


 オクリの言葉にアドレインは目を丸くして、きょとんとした表情を作った。暗夜は彼が手に持っていたタオルを手に取って、顔周りの汗を拭きながら答えた。


「いいよ」


「夕に部屋に行ってもよろしいかな? ふたりで話したいことがあるんです。

 ――アドレイン、おまえは部屋を出ていてくれ。話を聞かれたくないんだ」


「……」


 アドレインは口を開かず、目を泳がせた。


「アドレイン、心配なのはわかるが、相手は俺だぞ? 他のやつは連れて行かないが、それでも駄目か?」


 諭すようなオクリの声。暗夜には事情はわからないが、なにかあったような雰囲気のやり取りだ。思わず暗夜は、ふたりの間で視線を揺らす。


「……いえ、わかっています。すみません。声をかけてくだされば部屋を出ますので」


 そう言って、アドレインはうつむいた。


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