確執
「明日は朝から定例の集まりがありますので、今日はゆっくりおやすみくださいね」
昨夜、眠る前にアドレインがそう言っていた。
一晩眠った暗夜は、輝夜の部屋で、窓の外から差す眠たい朝日に照らされて目を覚ました。
ひとりで朝日と共に目を覚ましたのは、一体いつ以来だろうか。盾の国の自室は窓を殺されていて、外の光は一切入らない。目が覚めても、朝なのか夜なのかわからないのだ。ひとりで時計の音を聞いていると精神を苛まれるので、暗夜は時計も持たない。自分の世話をしにくるテトラやメイドたちを頼りに、時間をなんとなく把握して生きていた。
朝日と共に目覚める時もあるけれど、それは“彼女”と一緒にいる時で、空虚な気持ちで朝を迎えるのだ。
身体を覆っていた薄い布団を剥いで、ベッドに座る。気温は少し低いようだ。少し離れた位置にある窓の外に目をやる。窓の外は朝日で光っていて、城を囲むように作られた庭園の中を甲冑姿の誰かが歩いているのが見えた。この距離からではそれが飾りなのか本物なのかはわからなかったが、鎧の尻のあたりから、尻尾のような物が垂れて左右に揺れている。
視界のさらに奥の方では使用人たちが洗濯物を干している。今日は風が強いらしい。はためいて暴れる洗濯物たちをなだめながら必死に干している姿は少しコミカルでかわいらしい。
思わず笑みをこぼして、暗夜は立ち上がった。窓のそばに立つ。造りが荒くてうっすらとざらつきのある硝子を指先で撫でる。盾の国の人間たちもきっと、暗夜の視界の外で彼らと同じようにかわいらしい営みをしているのだろう。ほとんど閉じ込められている暗夜には、それを見ることは叶わないけれど。
廊下の方から、昨夜聞いたのと同じような、台車を引く音が聞こえてきた。扉の方へと歩いて、暗夜は扉を開けて、廊下へと顔を出した。『おう、暗夜』幻聴が聞こえる。振り払うように首を振る。
「おはよう、アド」
「輝夜様、おはようございます」
彼は昨夜と同じように料理の乗った台車を部屋に引き入れて、手際よく食事の準備を始めた。
「もう皆様、いらしておりますよ。朝食を摂ったら行きましょうね」
穏やかに笑いながら彼はこちらに近づいてきて、寝る前に暗夜が外して枕元上に置いたチョーカーを手にとった。
昨夜チョーカーを外したときに、暗夜はチョーカーに付けられたタグをゆっくりと見た。そして、暗夜は知ってしまった。おそらく輝夜自身も知らない、彼女の秘密を。
アドレインの動きに合わせて揺れるタグを睨みつけながら、暗夜は自分に首輪が巻かれるのを大人しく受け入れた。
✳︎
食事を終えた暗夜がアドレインに連れられてきたのは、城の一番上の階の、一番奥にある部屋だった。室内を大きく占めるのは、十脚ほどの椅子と、その椅子が広い余裕を持って収まるような大きさの円卓。見た目の圧迫感とは裏腹に、装飾なども一切ない簡素な作りをしている。
「おう輝夜様、おはようございます」
輝夜の姿を捉えて最初に口を開いたのは、人間ふたり分くらいの大きさの、羽毛のような毛で覆われた顔をした魔物だった。
「おはようございます」
暗夜も彼に応える。その一歩後ろで、アドレインも同じように彼に挨拶をした。
暗夜がそっとあたりを見回すと、数人の魔物たちがもうすでに椅子に座していて、その後ろには従者と思われる魔物が立っている。人間とほとんど変わらないような見た目のものもいれば、先ほど挨拶をした魔物のように、一目でそうとわかるような魔物もいる。
アドレインが椅子を引いて、暗夜に促す。暗夜が腰を下ろした隣には、茶髪の男。彼も特に、人間との見た目の差異はない。盾の国にいても、誰もが自然に彼を受け入れてしまうだろう。暗夜が今までに戦ってきた魔物たちは、顔や体つきは人間のようでも、どこかしらに人間とは違う身体のパーツを持つものばかりだった。もしかしたら、盾の国にも、周りの誰もが気が付かないだけで魔物は住んでいるのかもしれない。
隣の彼と互いに挨拶を交わして、前に向き直る。暗夜の目の前に座っているのは、燃えるように赤い髪の女。彼女もその髪色以外は、普通の人間と変わらないように見える。彼女の隣にいるのは、暗夜とそう変わらないような年齢の少年。乾いた砂色の髪に、顔には鱗状の皮膚。薄く緑がかった金色の虹彩の奥で、縦に割れた瞳孔が、突き刺すように鋭くこちらを捉えていた。――睨まれている。暗夜には彼と輝夜との間に何があったのかはわからない。目を細めて、首を傾げて彼に笑顔を向けた。
「何を笑ってるんだよ、おまえ」
鋭い声で刺されて、暗夜は反射的に笑顔を深めた。
「笑って何が悪いの?」
「兄様を殺したくせに、なんで俺に笑いかけられんだって言ってるんだ」
彼の言葉に、部屋をぴりついた空気が走る。少年の目が、暗夜を通り抜けてアドレインを射抜く。
「そこの黄色いの。俺はおまえを許さないぞ」
アドレインは引き締まった表情を変えずに少年を見つめ返す。暗夜には向けない表情だ。金色の従者に向けた目を少年に戻して、暗夜は首を傾げる。
「きみは何の話をしているの? 今日はその話をするために集まったんじゃないんだよね?」
少年の爬虫類を思わせる目が、がばっと開く。つり上がったまぶたの奥で縦に割れた瞳孔が収縮しながら暗夜を睨みつけてくる。
「ふざけるな! ガキの売女が! おまえが兄様を籠絡したんだろう!」
そう言われて、思わず暗夜はアドレインを見た。話の内容が全くわからない。輝夜は表向きには男だということになっているはずだ。アドレインは暗夜に微笑みかけて、それから対面の彼に視線をやった。
「グロー様、先の発言、撤回してはいただけませんか? 輝夜様の寝室に無理やりに入り込んだのは、あなたのお兄様の方です」
「うるさい! 殺す!」
グローが、剣を引き抜いた。反射的に暗夜も剣を引き抜いた。
周囲の空気がぴりつく。
「輝夜様、グロー様、剣を納めてくださいな」
「国の代表同士が剣を抜くといううことは、どういうことかは分かりますよね?」
周りの大人たちが、口々にふたりを宥めようとする。グローが剣を納める気配がないので、暗夜も引けずに剣を構えている。
硬直した空気を割ったのは、赤毛の女の声だった。
「――どうしてもというのなら、試合で決着をつけてはいかが?」
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