3. 暗夜と変なやつがいる壁の国

そっくりなやつ

 魔王になった勇者――暗夜は、天高くそびえる壁に向かって歩いていた。まだ空に星が出ていて、あたりは薄暗い。これほどまでに壁に近づいたことはなかったので、緊張して脈が早い。息が上がる。


 輝夜に聞いた通りに獣道を歩くと、ようやく、壁の足元が見えた。大きな鉄扉のそばに、三人ほどのひと(魔物をそう表現していいのかは暗夜にはわからないけれど、輝夜はそういう表現をしていた)が立っているのが見える。


 薄暗い中で距離もあるので、はっきりとした姿はわからない。しかし、三人の内のふたりは暗夜のよく知る魔物と同じように異形の姿をしているのが遠目からでも見て取れた。ひとりだけ、人間とあまり変わらない見た目をしている者がいる。


 こちらの姿を捉えた獣面の魔物が、人型の者になにか耳打ちをした。獣面に向けられていた目が、こちらを見た。思わず足を止める暗夜。おそらくこちらに向けての合図であろうか。今まで消灯されていたランタンを数度、ちかちかと明滅させた。それから、ランタンをつけてこちらに向けて駆け寄ってきた。


「輝夜様!」


 男の声だ。走り寄ってくる彼の顔を見て、暗夜は、動揺した。手に力が入って、ランタンの持ち手を強く握ってしまう。

 人間の使うランタンと魔物の使っているランタンとは作りが違う。人間の使うランタンには光量を調整するつまみがついているものが一般的で、それのみでしか光量の調整ができない。しかし魔物のランタンは違う。光量を調整するつまみはあるが、それは置いて使用するときのための物で、持ち歩くときは持ち手の握り具合で光量を調節する。魔物は明かりに敏感な物が多いから、夜道で他者とすれ違う時には光量を落とすのがマナーなのだと、輝夜が言っていた。


 今暗夜がしたように持ち手を強く握ってしまうとどうなるかというと、それは当然、そのランタンが備えた最大出力の光を放つ。ひときわ強く光ったランタンの明かりに反応して、彼の双眸が緑色の光を放った。


「まっ、眩しい! 見えない……」


 男は足を止めて、目を抑えてうねうねと揺れ始めた。


「輝夜様ぁ、どこですか? 見えないです……」


 彼がこちらに手を伸ばしてきた。暗夜の肩に指先が触れる。反射的に暗夜は後退りして、その手を避けた。その後も不気味に揺れながら歩み寄ってくる男の手を後ずさりしながらかわし続ける。

 不意に、男が足を止めた。目を塞いでいた手を顔から外す。


「ああ、見えるようになってきた……輝夜様」

 まだ目の調子が悪いのか、彼は半開きの変な形の目でこちらを見た。暗夜の心臓が跳ねる。キーナと同じ暗い金色の髪に、白い服。歪んだ形の目はのキーナみたいで、暗夜は震える息を吐いた。


 彼の顔が、近づいてくる。


「輝夜様、襟になにか……これは」


 暗夜の頬に彼の額が触れるほど顔が近い。動悸がする。襟に彼の手が触れた。


「ち、血だ! 輝夜様、お怪我を!?」


 飛び跳ねるような勢いで、両肩を掴まれた。こちらをまっすぐに見据える目。動揺で焦点の合わない暗夜の視界には、彼が別人のように見える。


「あ、ぁ、キー……」


 足の力が抜けた暗夜はその場に尻もちをついた。


「ああっ、輝夜様、立てますか?」


 差し出される手。視界がかすむ。目の前にいる彼が、血まみれのキーナの姿と重なる。


『なあ暗夜、もういいだろ? おまえ十分、頑張ったよ』


 幻聴。


「ああ、あ、ぁ、やめて」


 眼前のに向けて蹴りを繰り出す。は素早くその足を掴まえて、強い力で地面へと向けて抑え込んだ。暗夜の靴裏が、柔らかい草を踏む。彼の手から足を抜こうとしたがびくともしない。


 キーナと違う、金色の目と目が合う。一瞬交わった視線は、彼が見開いた目が暴れた事で逸らされた。


「あし、あしをっ、ごめんなさい! 私、触って……」


 とんでもない勢いで飛びすさって顔を真っ赤にしている彼を見て、暗夜はようやく幻覚から引き戻された。


 ――ああそうだ。こいつはキーナじゃない。キーナは女の脚を触ったくらいでは、こんなにな反応はしない。


 そっと立ち上がった暗夜は、目の前でまだうろたえながら何ごとか喚いている彼を見下ろした。幻覚は消えたけれど、まだ暗夜の心臓は彼の容姿に反応している。


「アドレイン様、今のはアウトですね。セクハラです」


「戦闘なら百点でしたけどねえ。防御からの拘束。さすがです」


 いつの間にかそばに来ていたふたりが口々に茶化す。

 ――アドレイン。輝夜が自分の従者の名前をそう言っていた。金色の髪に、右耳にタグをつけている。左耳にはすみれ色の魔導石。両耳のピアス穴は頼まれて輝夜が開けたとか、そんな話を輝夜から聞いた。そうだ。確かにこいつがアドレインだ。


 アドレインが後ろのふたりに視線を投げると、ふたりは背筋を伸ばして硬直。別段ふたりを咎めるような雰囲気の視線でもなかったのだが、ふたりにとっては、反射で背筋を伸ばしてしまうような圧があるらしい。


 アドレインはまだ地面に尻をつけている暗夜を見下ろして、腰に帯びた剣に手を掛けた。剣帯ごと外して、鞘の先をこちらに差し出してきた。


「大丈夫ですか? 捕まってくださいね」


「ありがとう……」


 そっと鞘を掴む。ゆっくりと引き上げられて立ち上がった暗夜。アドレインを視界に入れると体が揺れるような強い脈拍を感じる。


「お怪我は大丈夫ですか!?」


「大丈夫だよ。これは僕の血じゃないから」


 そう言って服の襟ぐりを広げて傷一つない素肌を見せると、彼はほっとしたような顔をして、それから少し頬を染めた。


「おなかも見たい?」


 腿の中ほどまである上衣の裾を少しだけたくしあげる。


「だ、だめです! こんなところで! お怪我がないのならいいので!」


「あはは」


 少し面白いなと思ったけれど、のやつをあんまりからかうのもよくないかもしれない。


「帰りましょうか」


 アドレインがそう言って暗夜に背を向けると、獣面のふたりが門のところまで走っていき、開門した。きしんだ音を立てて壁の門が開く。仰々しい口ぶりで、ひとりが叫んだ。


「魔王様のご帰還だ!」


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