休息

 手を振ってきたふたりに控えめに手を振り返して、暗夜はゆっくりと進んでいくアドレインの後ろを歩く。


 街の中は人間の国とは違って、ひともそんなに多くない。時間帯のせいだろうか。人間とおなじ見た目のものや、明らかに魔物とわかるようなものたちなど様々な見た目のものが入り乱れて暮らしている。


 人間よりも体格の大きなものが多いからか、全体的に建物などは大きな作りなものが多い。そんな街中を歩いていると、小人になったような気分になる。


 落ち着いた色彩に溢れた街を歩く。外壁から城まで歩こうとすると時間がかかってしまう盾の国と違って、門をくぐるとすぐに城が見える。


 あたりから食べ物の焼けるようないい匂いがする。ささやかな喧騒。こんな早朝でもいろんな匂いと人々の往来に満たされている盾の国とは、全く違う雰囲気をこの国は持っている。


 盾の国のものととそう変わらない大きさの城の麓まで歩いて、アドレインが鉄扉を開く。


「今日は一日予定がありませんので、輝夜様はゆっくりお休みになってくださいね」


 こちらを振り返ったアドレインと目が合うと、心臓が強く跳ねた。


「ああ、うん」


「……?」


 少し怪訝な顔をされた。普段の輝夜と違う反応が返ってきたからだろう。それから彼はにっこりと微笑んで、暗夜に背を向けて歩き始めた。


 ゆったりと歩く彼の背を追って歩く。速度はあまり早くない。こちらに気を使っているのだろうか。ぼんやりとした灯りに照らされて薄暗い城内を歩くと、突然彼が足を止めた。


「わっぶ」


 彼の背中に鼻っ柱をぶつけて、暗夜が声を漏らす。見上げた彼と目が合うと、その目は柔らかく細められた。キーナのしない表情。無意識に暗夜は、彼とキーナとの間違い探しをしてしまっている。


「どうぞ、輝夜様。私は湯を沸かして参りますので、それまでごゆっくりお休みくださいね」


 仰々しい動きで開けられた扉。その奥に広がる部屋は、輝夜の部屋。散らかるような物がそもそもない暗夜の部屋と違って、輝夜の部屋は適度に物があって、かわいらしい見た目になっていた。


 理由は知らないが、彼女は男のふりをして生きているらしい。彼女が女であると知っているのは親の他には従者のアドレインと騎士長だけだと言っていた。それなのに、部屋の角にぬいぐるみが置いてあったり、真ん中に置かれた丸いテーブルには花柄のティーセットが伏せて置かれている。

 部屋だけ見たら、完全に女の部屋。部屋には誰も入れないのだろうか。それとも魔物には、人間と違って「男女とはこうあるべき」みたいな姿がないのだろうか。


 部屋の入り口で立ち尽くしてしまった暗夜は、はっとしてアドレインの顎先を見上げる。目が合うと、金色の目が細められる。


「随分とお疲れですね。早く温まらないと」


 そう言うと彼は踵を返して、小走りで去ってしまった。


 取り残された暗夜はとぼとぼと部屋の中に入ると、輝夜のベッドに腰を下ろした。ベッドの質はあまり良くないようだ。部屋の大きさも、暗夜の牢獄みたいな部屋とあまり変わらない。魔王というくらいだから、盾の国の王族どもみたいにもっといい暮らしをしているのかと思っていた。思っていたよりはだいぶと清貧な雰囲気の部屋だった。


 かんたんに整えられた布団の上に乗っていた小さな猫のぬいぐるみを拾うと、なんとなくそいつの顔を揉みながら膝に乗せる。グレーの猫のぬいぐるみ。首にはブルーのリボンと赤い石。これは誰かに贈られたものなのだろうか。そうだとしたら、これを輝夜に贈ったひとは、輝夜のことを考えながらこれを選んだのだろう。


 暗夜はなんだか羨ましいような、それとも腹立たしいような気持ちでそいつのぐったりした手足をひとしきりいじり倒してから、ベッドから立ち上がる。壁際に敷かれた布地の上に並べられているぬいぐるみたちを一瞥して、たんすの取っ手に手をかけた。


 着替えの準備に手間取っているところを見られるよりは、さっさと済ませておいたほうがいい。


 たんすを上から順に開ける。とんでもないデザインの下着が入っていたらどうしようかと思ったが、幸いとそれはなかった。暗夜が今着ているのと同じ服と、部屋着と思われる服が数着。それと肌着が数セット。肌着も男物だったので少し安心したけれど、それでも、輝夜がつけていたこれを自分が履くのはどうなのだろうか。それはとんでもなく変態的なことのような気がする。暗夜が手にしたぱんつとにらめっこしながら唸っていると、部屋の扉が開けられた。


「輝夜様、お風呂の用意が――」


 部屋に入ってきたアドレインの金色の瞳が、暗夜の手元に向く。それから彼は、慌てて体を反転させて、暗夜に背を向けた。


「わ、あっ、ごめんなさい!」


「あー! なんも! なんもしてないよ!」


 暗夜は慌ててぱんつをたんすにねじ込んで、勢いよく引き出しを閉める。風圧で暗夜の前髪が巻き上がった。


「……その、いつもみたいに用意が終わっているのかと……すみません。輝夜様、今日はお疲れでしたのに、気が回らなくて……」


 ドアに向かってもごもごと謝罪の言葉を放つ彼は後ろを向いているけれど、耳が変な色に染まっているのでなんとなくどんな表情を浮かべているのかの想像はつく。もぞもぞと動く彼の耳元で、ゆらゆらとタグが揺れた。


 暗夜は着替えの用意を手早く済ませて、アドレインの肩を叩いた。彼の肩が大げさに跳ねる。


「ごめんね。行こう」


「――はい」


 アドレインが目を細めた。大げさなくらい表情がよく変わる男だ。言動や表情は全然キーナと似ていないけれど、キーナもよく表情が変わるヤツだった。暗夜は目を伏せて、歩き始めた彼の背を追う。


 アドレインに連れて行かれたのは、小さな部屋だった。彼に促されて部屋に入ると、部屋の奥には小さな浴槽が一つ置いてある。ぐるりと部屋を見回して、服を脱いだ。ドアのそばに置かれている台に置く。裸になって湯船に浸かる。


 盾の国の風呂は兵士たちと共用で、しかも結構みんな雑に使う。だから汚くて湯船になんか浸かったことがなかった。小さな浴槽でもゆっくりと浸かると気持ちが良くて、眠ってしまいそうになる。


 けれど、外で彼が待っている。もしも眠ってしまったりしたら、長風呂を不審に思った彼が様子を見に来るかもしれない。


 眠気と戦いながら、暗夜はだんだんとそわそわしてきて、そうすると塞がりかけの腹の傷が痛んできた。


 早々に風呂を上がった暗夜が部屋を出ると、ドアのそばに立っていたアドレインが目を丸くしてこちらを見た。


「お早いですね」


「うん……寝ちゃいそうで」


 ぼんやりとした声を返す。眠りそうなのは本当だ。昨晩眠らなかったのだから。そっとアドレインの目を見上げると、切長の目がふっと細められた。


「そうですか。寝る前に、なにか温かいものでも飲みますか?」


「ううん、大丈夫。すぐに寝たいな」


 首を振って答える。アドレインはにっこりとしたまま、頷いて返した。


「はい。ではお部屋にいきましょうね」

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