王との対面

 朝日の差さない暗夜の部屋で初めての朝を迎えた輝夜は、ベッドに尻を落ち着けて、冷たい石床に目線を置いていた。体は目覚めたけれど、頭はまだ眠っている。


 今は一体何時なのだろうか。時間の管理はいつもアドレインがしていたので、輝夜は時計を身につけていないし、この部屋にも置いていない。今が朝なのか昼なのか、それとも夜なのか。ここにいると本当にわからない。けれど、勝手に部屋を出て迷子になるのは困る。

 少し前にテトラの部屋をノックしてみたが、テトラは部屋にはいないようだった。


 テーブルの上にあった空の食器と入浴前に輝夜が着ていた衣類は、いつの間にか片付けられていて、代わりにきれいに整えられた衣類だけが置いてあった。輝夜が眠っている間に、誰かが来たようだ。


 牢の中の囚人のようにベッドの上でぼんやりとしていると、だんだんと体が冷えてきた。昨夜布団の上に投げ置いた外套を羽織る。乾いた血の匂いがする。変なところに置いてしまったせいで、洗ってもらい損ねてしまった。

 輝夜は立ち上がって、外套を軽く畳んでテーブルの上に置いた。たんすを開ける。軽く中身を確認して、閉じる。下の段を開ける。一着だけ、外套が畳んでしまわれていた。輝夜はそれを羽織って、椅子に座って背もたれに背中を預けた。深く、息を吐く。


 廊下の方から、足音が聞こえてきた。テトラかもしれない。背もたれから身体を起こして、扉の方を見た。扉がノックされて数秒後、扉が開く。入ってきた茶髪の長身は、輝夜の予想通りの人物だった。


 テトラは何も言わずに、輝夜を見た。輝夜も無言で彼に視線を返す。互いに言葉を交わさぬままふたりの視線が交わって数秒後、彼の目が、急に泳ぎ始めた。言い淀むように視線を床に這わせてから、輝夜の目を見る。


「……その、王がお呼びです」


「あ、うん。行くよ」


 素直に立ち上がった輝夜に、テトラは目を丸くして高い声を上げた。


「会うんですか?」


「きみが会えって言ったのに」


 輝夜が怪訝な目を向けると、テトラは白々しく目をそらした。


「ああ、いえ、……行きましょう」


 そう言って歩いていく広い背中を追う。窓の外からは眠たい温度の朝日が差していて、今はまだ早朝のようだった。そのせいか、廊下はひとけがなく、あたりも静まり返っている。

 ふたりの靴音が妙に響く空間を歩くと、時折扉のしまった部屋の向こうからささめき声のように小さな、誰かの会話が聞こえてくる。


 廊下をまっすぐ歩いて、階段を登る。それからもう少しだけ歩いた先にある一つのドアの前で、テトラが足を止めた。いやに真剣な目つきでこちらに一瞥くれてから、ドアをノック。「入れ」低い声が、ドアの向こうから漏れてきた。


「ごめんなさい」


 輝夜に囁くようにテトラがぽつりと言って、ドアを開けた。彼に手で促されるままにドアをくぐると、次の瞬間、輝夜は地面に伏していた。


 自分よりも大きな体躯の男に、腕と頭を掴まれて押さえつけられた輝夜は、引きずられるようにして部屋の中央へと移動させられた。


 輝夜が力を込めて顔を上げると、眼前には、壁際に並べられた数体の甲冑。その手前の椅子には、豪奢な服を着た白髪の老人が一人。老人の隣には、長い黒髪の長身が立っている。


「顔を上げるな」


 老人が、地を這うような低い声を輝夜の頭に降らせる。輝夜の頭は強い力で押さえられて、額が地面につけられていた。


 かこん。背後で、テトラの靴音が聞こえる。しかしそれきり彼は動きを止めた。額が冷たい。誰も何も言わなかった。


 輝夜は全身の力を抜いて、跪くように片膝をついて、頭を垂れる。輝夜の拘束が解かれた。


「勇者よ」


 眼前の老人――輝夜は顔を知らないが、おそらくこの男が王なのだろう――が、短い言葉を放った。子どもの頃にアドレインが読み聞かせてくれた物語にも、そんな台詞があったような気がする。ああそうだ、今自分は、勇者なのだ。改めてそう思って、輝夜はさらに深く頭を垂れた。


「昨日は魔物の討伐が火急だったので話を聞けなかったが……

 一昨日は、なぜ帰ってこなかった? テトラに怪我を負わせたのは、お前なのだろう?」


「……錯乱しておりまして、帰れる状態ではありませんでした」


 輝夜の低い声が、床を這う。


「キーナのときは、帰ってきたのにか? あいつの右手だけを持って」


「……」


 輝夜は何も言わなかった。何も知らないのだ。暗夜は、このことについて何も語ろうとしなかった。輝夜も聞くべきではないと思った。だから輝夜は、キーナのことを何も知らない。


 後ろの大男に背中を蹴られて、輝夜は地面に這いつくばる。靴底で背中を押されて、輝夜はされるがままに床に頬をつける。


 かこ、かこん。背後からテトラの靴音。輝夜から彼の姿は見えない。


 輝夜が動いた。体を反転させ、急な輝夜の動きに驚いた大男がよろめく。立ち上がりながらよろめいた彼の胸を押して尻もちをつかせると、輝夜は、足元で唖然としている男を見下ろした。


 テトラを見ると、彼は目を丸くしてこちらと目を合わせて、それからその目は伏せられた。かこん。テトラの靴音。


 王の方へと視線を向ける。王は微動だにしなかったが、その隣りで黒髪の長身が動揺に揺れていた。目が合うと、墨色の目が開かれた瞼の中で暴れる。


「いきなりこれは、乱暴じゃないでしょうか」


「畜生の分際が顔を上げるんじゃない! 汚れた姿をわたしに晒すな!」


 王が、声を荒げる。輝夜が自分の右側を見ると、大男がこちらに剣を向けていた。


「デオン、怪我はさせるなよ。その身体は戦うのに使うんだからな」


 輝夜は細い息をゆっくりと吐いた。暗夜がキーナという人物と何があったのかは知らないけれど、今のこの状態は確実に暗夜の心を壊す要因の一つに違いない。


 輝夜は瞼を半分おろして、大男――デオンの目を見る。輝夜の平らな目つきに圧されて、デオンが左脚を半歩、後ろへ引いた。


 先に動いたのは、デオンの方だった。振り下ろされた剣。輝夜はその剣には目もくれず、彼の腹に、靴裏を蹴り込んだ。手から離れた剣をテトラの後ろに蹴って、その足で、男の胸を踏みつけた。足の下で暴れる巨躯。かかとに力を入れてみぞおちにストレスをかけると、彼は咳き込んで、抵抗をやめた。


「話は、落ち着いてしませんか? いきなり暴力を振るわれたら、ぼくは落ち着いて話をできません」


 輝夜は王をにらみつける。王は椅子に座ったまま、右足を床に打ち下ろした。


「捕えろ!」


 王の怒声に叩かれて、王の背後に飾られていた甲冑が動き出した。甲冑たちが今まで微動だにしなかったので、輝夜は彼らを置物だとばかり思っていた。一瞬目を見開いた輝夜は、足元の巨体を見下ろす。彼の憎悪が燃える瞳と目が合う。輝夜は彼から、足を離した。


 仰々しい甲冑の群れにあっという間に取り囲まれた輝夜は、ちらりとテトラを一瞥する。輝夜にはそんなつもりはなかったのだけど、非難されたと思ったのか、テトラの上体が揺れた。


「殺すな」


 王が甲冑たちに向かって、しわがれた声を投げる。物々しい音を立てて、甲冑たちが一様に構えをとった。こちらに向けられた刃の切っ先。輝夜は落ち着いた視線でそれらを見回して、ゆっくりと瞼を下ろす。


「多少の怪我は許そう。この穢れた獣に、自分の立場をわからせてやるといい」


「王、あなたは、穢れた獣を勇者として民衆の前に立たせるのですか?」


「王と口を利くんじゃない! オレたちは、お前を飼ってやってるんだよ。生かされてるだけありがたいと思え」


 輝夜はデオンに髪を掴まれて、再び床に伏した。床に額を打ち付けられて、目の奥がちかちかと明滅する。


 輝夜は何も言わなかった。床に反射する自分の息が熱い。


 勇者の沈黙を降伏と受け取ったのか、王が喉を揺らして地鳴りのような音で嗤った。暗夜はいつも、こんな目に遭っているのだろう。勇者として戦わされて、そのうえでこの仕打ち。彼が一体、キーナという人物に何をしたのだろうか。これは、罪を犯した彼への罰なのだろうか。


 輝夜は抵抗しなかった。王に背を向けるようにして立たされるのに素直に従い、視界に入ってきたテトラの怯える表情を見て、微笑む。輝夜はずっと、テトラに向けて微笑みかけていた。甲冑たちに蹴られても、殴られても。


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