魔王の理想

「きみも、いつもここで星を見るの?」


 あっけにとられている暗夜の様子を気にしたふうもなく、輝夜は無垢むくな表情で首をかしげた。


 着ている服こそ違うけれど、鏡を見ているかのように自分と同じ顔をしている。そんな輝夜が自分が普段しないような表情をしているのが不思議で、暗夜は居心地悪げに身じろぎをした。


 輝夜の問いに無言でうなずいて返すと、輝夜はくしゃっと破顔した。――こんな表情、自分が最後にしたのはいつだろうか。


「ぼくも、たまにここで星を見るんだ。今日は一緒に見てもいい?」


 ひんやりとした手で、手を掴まれた。急に触れられたことと、その手の冷たさに暗夜は驚いて、跳ねるような勢いで手を引いた。


「うわっ」


「あっごめん、触られるの苦手?」


「びっくりしただけだよ。大丈夫」


 先程払った輝夜の手を掴まえて、室内へと引いて誘導しながら首を振って返す。輝夜に自分の特等席の長椅子を譲ってやり、自分は先程座っていた小さな椅子に腰を下ろした。


 暗夜が壊したランタンを、輝夜がテーブルの真ん中に置く。人より夜目が効く暗夜にはこのくらいの薄暗さなら灯りは必要ないのだが、これは輝夜の厚意だ。暗夜は何も言わずに輝夜の手元を見ている。


 よく見るとランタンは暗夜の剣戟により、フレームも歪んでいた。ランタンには魔導石を入れておくための小さな扉があるのだが、フレームが歪んだせいで開かないらしく、輝夜はさっきからそれをずっといじっている。


「ごめん。お金払うよ」


「いいよ、べつに。このままでも使えるし」


 輝夜は扉を開けるのを諦めたらしい。首につけたリボンチョーカーに手をやって、そこにつけられていた、シンプルな装飾のついた赤い石を外す。赤い石の下には何か文字が書いてあるプレートがつけられていて、暗夜はなんとなく、たちの誰かが飼っていたグレーの猫を思い出した。輝夜が赤い石をランタンに触れるようにテーブルに置くと、ランタンが灯ってあたりを照らす。


「ねえお菓子持ってきたんだけど食べない?」


 輝夜が腰につけた小さなかばんをごそごそとやりながら尋ねてくる。いくら容姿が似ていて親近感を持ったとしても、初対面の相手に対してのこの警戒心のなさは何なのだろうか。平和ボケしている輝夜にそっと半眼を送ってから、暗夜は輝夜の先程の言葉を思い出して目を開いた。


「さっきの、冗談だよね?」


 輝夜は暗夜の発言の意味がわからないといった風体で、かばんを漁る動きを止めてまんまるな目でこちらを見た。やっぱりなんだか、猫みたいだ。暗夜は薄く笑ってから、言葉を続けた。


「きみが魔王ってやつ。だってきみ、まだ子供だろ? 僕もだけど」


「うん。まだ十六だけど、でも、嘘じゃないよ」


 真っ直ぐな目で暗夜を見て、輝夜が続ける。


「母さんが、体が弱くて、それで去年ぼくが戴冠

したんだ」


 そう言って、口を閉じて俯いた輝夜。落ち込んだようにテーブルの上のランタンに向けて伏せられた輝夜のまつ毛に視線をやって、暗夜が静かな声で問う。


「魔王、嫌なの?」


「ちが、うけど……でも、ぼく、今はまだ何もわからなくて、何もできなくて、だからたまに疲れちゃうんだ」


 輝夜がゆっくりと首を左右に振ると、耳を隠す長さの毛先がふわふわと揺れた。暗夜は大げさな動作で天を仰いで、輝夜に返す。


「そっか。僕も勇者でいるのに疲れちゃったな。

一緒だね」


「――きみは、魔物はみんな殺したほうがいいと思ってる?」


 低い声で、おずおずと輝夜が尋ねてくる。暗夜は頭を振ってそれに返した。


「――思ってたら、きみはもう生きてないよ」


「そっか、そうだよね」


 そう言って少しだけ口元を緩めて、輝夜が再びうつむく。


「ぼくは、人間と魔物がなんで殺し合うのか、よくわからないんだ」


「人間同士でだって殺し合うよ?」


「うん。魔物同士でもそうだけど、でも、人間と魔物なんか、あんまり変わらないのに、見た目がちょっと違うだけで殺し合うのは変だよ」


「うーん?」


 暗夜には、輝夜の言っている意味がわからなかった。人間同士でだって殺し合いは避けられないのに、魔物となんてさらに避けようがない。それに、暗夜からすれば人間と魔物の見た目は少しどころではなく違う。


 意図を汲みかねた暗夜に気がついたようだ。輝夜がぱたぱたと手を忙しく揺らしながら、さらに言葉を続ける。


「あ、その、今人間と魔物が殺し合ってる理由が、そうじゃないかと思うんだ。だって別に、個別に争ったりはするけど、国として争ったことはないでしょ?」


「うーん、うん……? 僕たちが生まれる前は、盾の国が壁を越えようとして壁の国と戦争みたいになったって聞いたけど……」


「今は違うでしょ」


「まあそうだけど」


「見た目が違うだけで争い合うなら、魔物たちは全員敵だよ。みんな見た目が全然違うんだから」


 その言葉を聞いて、ようやく暗夜は輝夜の言いぶんを理解した。しかしそれは、魔物からみれば、という話だ。どうしたって人間から見れば魔物は自分たちとはかけ離れた不気味な生き物でしかないだろう。


「暗夜、きみはどう思う?」


「……」


 問いかけられて、暗夜は黙して俯いた。暗夜は、勇者なのだ。勇者と言っても、いにしえの英雄譚にあるような悪を払い世界に平和を取り戻す存在ではない。

 どちらかというと、魔物たちにではなく自国の国民に対して武力を誇示し、安心感をもたらすために勇者はある。


 暗夜の普段の仕事は、近場に住み着いている魔物を殺すこと。その魔物の本性の善悪など関係なく、勇者は、これまでに魔物をたくさん殺してきた。そんな暗夜に対して、輝夜のこの質問はあまりにも残酷だ。


「……わからないけど、でも僕は、勇者だから、魔物は、殺さないと……」


 きれぎれの言葉をどうにか絞り出して押し黙った暗夜に、輝夜が半分閉じた瞼の奥から視線を投げる。


「ぼくは、勇者の意見は聞いてないよ。きみの意見を聞きたいんだ」


「……死んだらみんな、血と肉と内臓の塊だよ。人間も魔物も動物も、そこに違いなんかないと思う。でもそれで争うのが変かは、僕は知らない。どうでもいいよ」


 吐き捨てるように言ってから、暗夜はぼろぼろにささくれた床板に向けていた視線を、輝夜に移した。


「きみは、人間や魔物を殺したことがある?」


 輝夜は黙って、首を横に振る。


「僕は、どっちも殺したことがある」


「人間も? きみは人間なのに?」


「魔物も人間も変わらないなら、なんできみは、僕が人間を殺したことに驚くんだ? どっちだって一緒じゃないの?」


 暗夜の言葉を受けて、輝夜は顎に手をやってうーんと呻いた。


「ほんとうだ。おかしいな。ぼくも変だ」


「自分の手を汚したことがないなら、きみのそれはきれい事だよ」


「……」


 今度は、輝夜が黙って俯いた。


 暗夜は輝夜から目をそらして、空を仰ぐ。朽ちて天が開いた屋根から覗くのは、きれいな星空。いつの間にか日が落ちて、地上では輝夜が灯したランタンだけが光って見える。


「きみはきれい事だって言うけど、ぼくは」


 小さな声で、輝夜が口を開く。暗夜が輝夜に目を向けると、薄墨色の瞳が真っ直ぐに見つめ返してきた。


「本気で考えてるんだ。でも、ぼくには何もできないから、どうしたらいいかわからなくて。

 ねえ暗夜、きみがもし、魔物も人間ももう殺したくないのなら、ぼくに協力してほしいんだ。争いをなくすことはできないけど、でも減らすことはできるだろう」


 輝夜の強い視線に圧されて、暗夜は黙して目を見開く。


「輝夜、おまえ、いかれてるよ。できないよ、そんなこと」


「なんで? ぼくは魔王で、きみは勇者なんだよ? 協力すれば何でもできると思わない?」


 ――なんて脳天気なやつなんだろう。暗夜はそう思った。けれどなんだか、不安になるほどの真っ直ぐさを面白くも思った。暗夜は目を伏せて、静かに息を吐く。


「きみとはここでしか会わない。予定も合わせない。今日みたいに偶然会ったときだけ。それでよければいいよ」


「ありがとう!」


 弾けるような勢いで輝夜に手を掴まれて、暗夜はもうすでに自分の言葉を後悔していた。


 それからふたりは、よく会うようになった。ふたりとも相当前からこのぼろ屋に通っていたけれど、今までに一度も出会ったことはなかった。それが嘘のように、ふたりはよく顔を合わせるようになった。

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