壊れた勇者と優しい魔王
ねさかなこ
1.そうして魔王と勇者は出会った
ふたりの邂逅
勇者は結構、病んでいた。
あの事件があったのは、いまから二年ほど前のことだ。あの事件は勇者をじっくりと苛んで、彼のまだ幼いままの心を苦しめ続けている。
勇者は城が嫌いだ。王族が暮らす虚飾の城。そこで暮らす自分は、自分の嫌いな城よりももっと空っぽで、ただの薄汚い血と内臓の塊のように思う。
勇者は愛情を求めて彷徨っている。街で腫れ物のように扱われたりもするが、幸いとそこそこ整った容姿のおかげで、遊び相手には困らなかった。
けれど、彼女らが自分にくれる愛情は、自分が求めているものとは違う形をしている。親が子に向けるような、もしくは親友や恋人に向けるようなあたたかくて柔らかいものではないのだ。
自分が勇者の恋人であるということを大切に思う、裏返った自己愛がこちらに向いている。普段は別にそれでもいいのだけど、たまに、それがどうしようもなく辛い時がある。そんな時勇者は、いつも城下を抜け出して、壁の麓へと向かうのだ。
細長い大陸を真っ二つに断つように、そのあまりにも高い壁は
勇者が暮らす盾の国にも同じように大陸の端から端へと続く壁が建てられているが、魔物たちの作った壁と比べるとあまりにも貧相なつくりをしている。きっと人間同士の争いでも、やすやすとその壁は越えられてしまうだろう。人間たちを魔物から守る、強大な武力を誇る盾の国――なんていうのは人間同士で格好をつけて名付けただけの、まるで子供の遊びのような名前。魔物の力の前では、人間はあまりにも無力だ。勇者はそれを知っている。
お互いの建てた壁の狭間の領域は、一応は人間の領土であるらしい。しかし野生的な生活を愛する人間たちの村と混じって、壁の向こうからやってきた魔物達の住処も点在している。ここ数年の勇者の活躍によってこのあたりの魔物はあらかた狩り尽くしたけれど、それでもまだ、魔物の被害はあとを絶たない。
そんな狭間の領域を、馬を駆って数時間。あの壁のすぐ近くの森の中。打ち捨てられた廃屋でぼんやりとするのが、勇者のちょっとした息抜きだ。
もともと誰が住んでいた家なのかは知らない。何が起きたのかも勇者は知らないが、その家は屋根と壁が三分の一ほど吹き飛んで壊れていて、夜になるとそこからきれいな星が見える。ささくれた木で作られた横長の椅子に寝そべって、星を見るのが好きだ。
まだ夕焼けが空と森の木々を赤く染めている頃、勇者はいつものように、その家の中にいた。雨にさらされて変色した小さな木の椅子に腰を下ろして、行儀悪くテーブルに足を投げ出して日が暮れるのを待っていた。
不意に、外からがさがさと足音が聞こえてくる。勇者は見たことはないけれど、このあたりには大きな熊が住んでいるらしい。外に繋いだ馬が暴れる様子はないので熊ではないようだが、万が一馬がやられてしまうと帰れなくなってしまう。
勇者は脇に置いてあった剣を手に取って、床に足をつけて立ち上がった。ぎしっ。風雨にさらされて弱った床が今にも死にそうな音を鳴らした。
剣の鞘を右手に、左手で剣の柄を握る。ドアの方まで歩き、肩でドアを押して開けた。
「あっ、わっ」
ドアの向こうから気の抜ける声がして、勇者は眉をひそめて剣を鞘から引き抜いた。素早くドアをくぐる。
どさっ、からんからん……重たい音と軽い金属音がして、足元に明かりのついていないランタンが転がってきた。
「ああ、ぼくの」
ドアの向こうから小さな手が伸びて、転がったランタンを掴んで引っ込む。ドア越しにごそごそと音が聞こえる。勇者は開いたままのドアを素早く閉めて、ランタンの持ち主に向けて剣の切っ先を突きつけて、硬直した。脳の奥からつま先まで、痺れるような衝撃が駆け抜ける。
勇者が目を見開いたのと同じように、ドアの向こうにいた自分も驚いたようで、立ち上がりかけた中腰の姿勢のまま硬直して、再び鈍い音。尻もちをついた。ちいさな手に握られていたランタンが、ひときわ強い光を放ってすぐに消えた。鮮烈な光に灼かれて、目が眩む。
『わあっ僕がいる!』
ふたりの、同じ声質の声が重なる。思わず勇者が剣を振り上げ、振り下ろしたそれを眼前の彼がランタンで受ける。ランタンが再び強く光った。ランタンのフレームから火花が散って、持ち手が壊れたそれは地面に打ち付けられて湿った土を跳ね上げながら転がる。
「やめて、ぼく、敵じゃない。おばけでもないよ」
勇者の目の前にいる、自分と瓜二つの人物は、静かにそう言った。自分の尻をはたきながら立ち上がって、勇者と同じ色の目で勇者を見る。
「ぼくは、
輝夜は穏やかに微笑んで、黒い目をこちらに向けてくる。少し冷静になった勇者は剣を鞘に収めて、自分が壊したランタンを拾い上げて彼に渡した。
「ランタン、壊してごめん。きみは僕のことを知らないの?」
「うん。きみも、ぼくを知らない?」
「うん」
しばし無言で見つめ合って、勇者が先に口を開く。
「僕は、
勇者――暗夜が名乗ると、眼前の彼は暗夜と同じ顔をきょとんとさせて、しばし黙した。少しの間を置いてから、ばつが悪そうに壊れたランタンを弄びながら、開口する。
「ああ、ごめん、やっぱりぼく、きみの敵かも。あっでも敵意はないよ。戦わないけど、でも」
もごもごと控えめに意味の分からない弁明を繰り返す彼の手元で、壊れたランタンがちかちかと淡く明滅している。壊れたのは持ち手だけのようだ。この世界で夜を歩くのには欠かせないランタンだが、買うと意外と高いらしい。しかし、壊れたのが持ち手だけなら修繕費もそこまでかからないだろう。暗夜は内心ほっとした気持ちで、ささやかにまたたくランタンの明かりを見ていた。
「ぼく、魔王なんだ。――壁の国の」
「は……?」
ランタンの明かりに気を取られて、というよりは、微塵も想像のつかなかった単語が耳に飛び込んで来て、暗夜は絶句した。
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