4話

【4】


翌日、ハイボルトは研究室に戻るとただひたすらに研究に没頭した。彼の心はもはや人道的な葛藤に苛まれることはなかった。

その道自分は普通の幸せを求める事など出来ないのだ。ならば…悪魔に魂を売ってでも科学の発展の為にこの身を捧げようと誓った。


「先生、今日から新しい被験者が到着しました。ヴォルグ様の提唱する高純度精神波抽出の実験です」


助手の声がハイボルトの耳に届くが、彼の心には何の感情も湧き起こらなかった。

実験室のモニターに映し出されたのは、無邪気な瞳で施設内を見回す幼い子供たちだった。

ヴォルグは出世して中央に移り、ここには週に一度程度視察に来る程度であった。

その代わりにハイボルトがこの研究所の責任者となっていた。

彼はソウル・コンバーター開発の功績により地位も金も手にしたのだが、相変わらずプライベートは常に監視され機密保持の為に国外に出ることも出来なかった。

ハイボルトはゾル人民民主共和国にとって都合のいい存在に成り下がっていた。


「今回の実験体は彼等を使うのか?」


「はい、彼等は反体制活動家の子供です」


「そうか」


彼らは、自分の身に何が起ころうとしているのか、全く分かっていない。

ハイボルトは計測器を手に取った。彼の指はもはや震えることはなかった。

彼はかつて若者や子供を人体実験に使うことに抵抗していた。

だが、今の彼は何の躊躇もなく子供をソウル・コンバーターへと繋ぐよう指示する。

この国の人口は数億人存在する。それでも支配体制故か度々民主化運動が活発化する。

政府に反する行動を取れば反体制派と見做される。そうなれば彼等の人権は剥奪され、男は強制収容所に送られるか、移植用の臓器を抜き取られ、残った遺体は家畜のえさにされる。

見た目が美しい若い女、女児は政府高官の『ペット』として与えられ、それ以外のものはとある施設に送られたあとに人民軍兵士の慰安婦として廃人同様になるまで扱われ、使われなくなったら射撃の的として処理される。

そして、若い男児の運命は…今まさにハイボルトが握っているのだ。


「始めろ…」


ハイボルトの冷たい声が響き、装置が稼働する。

かつて、若者や子供の命を守るために闘った男は今、自ら進んで禁忌に手を染めていた。

彼の心の奥底にあった良心は、エイルと子供の姿と共に完全に死んでしまったかのようだった。


(すべては…科学の発展の為なのだ…ッ!)


ゾル人民民主共和国が発表した「ソウル・コンバーター」の技術は瞬く間に世界を席巻した。

その効率性とクリーンさは人類が長年苦しんできたエネルギー問題の夢のような解決策に見えた。

民主主義国でさえその莫大な恩恵を前に、終身刑または極刑を言い渡された犯罪者への使用を真剣に検討するほどだった。

しかし、倫理的な壁はあまりにも高く…先進国はソウル・コンバーターの『自国』での運用を見送った。


だが、その技術が秘める可能性を誰もが手放すことはできなかった。

ゾル人民民主共和国はこの技術を彼らの衛星国や、資源の少ない独裁国家へと売り渡した。

そして、そこで人間の魂から抽出されたエネルギーは先進国へと密かに輸出されていった。


先進国の人間は自分たちが享受する豊かな生活の裏に何があるのかを知らない。

彼らが使うスマートフォンの充電、夜を照らす街の明かり、冷暖房の効いた快適なオフィス…その多くが無数の人間の魂を糧に生み出されたエネルギーで賄われているのだ。


その技術の最前線で研究に没頭するハイボルトの姿は、はやかつての面影を留めていなかった。

彼は婚約者エイルとの再会と別れを経て人としての感情を失い、ただ研究のためだけに生きる人形と化していた。


実験室のモニターには今日も新たな被験者たちが映し出される。

彼らは反体制的な思想を持つと見なされた者、老衰や病で社会の役に立たないと判断された者、そして反体制派の親族や孤児…果ては貧困層の親に売りに出されたような何の罪もない子供たちだった。

彼らはソウル・コンバーターへと繋がれ苦痛と絶望の記憶をエネルギーへと変換されていく。

その反面、都市部の豊かな人間や政府中枢に属するものは反社会思想等の罪を問われない限りその対象にはならず、ハイボルトの研究の恩恵を受けこれまで以上に豊かな暮らしを送っていた。

ハイボルトはそんな光景を冷徹な目で見つめ、計測器の数値を記録し続けた。

絶望に蝕まれた彼の心はもはや罪悪感に苛まれることはなかった。


「先生、今日の実験は素晴らしい結果です。特にこの子供は純粋な精神波を発します。人によってパターンや抽出量に個性があるようです」


助手の声が響く。ハイボルトは何も言わずに頷く。

ヴォルグはハイボルトに目に付け連れてきた功績をうまく利用し、政府の中でも優遇されたポジションの地位を手に入れたのでこの研究所にはもういない。

彼の頭の中にはエイルとその子供の姿…そして自分の足首を掴む無数の犠牲者達の姿が何度もフラッシュバックする。

そして、その度に彼の心は痛み…そしてその痛みが彼を研究へと駆り立てる原動力となっていた。


(これも科学の発展の為…人類の未来の為なんだ…)


ハイボルトの中にはかつての高潔な使命感や人類の為に役立とうとする純真さも消え失せてしまっていた。

今の彼を突き動かしているものは、自分を裏切ったエイルに対する失望と絶望…そして科学の為に身を削り捧げようとする狂信的な妄執であった。


ゾル人民民主共和国の地下深く…厳重に管理された研究施設。

そこはもはや科学の殿堂ではなく、地獄の実験場と化していた。

ハイボルトの研究はその禁忌の扉をさらに大きくこじ開けようとしていた。

彼はソウル・コンバーターの新たな改良に成功した。

それはただ魂を抜き取るだけでなく、被験者が感じる苦痛と絶望が長く続くほどより高純度で良質なエネルギーを多く引き出せるという悪魔的な効率を追求した技術だった。


「悲鳴…絶望…恐怖…これらが精神波の波長を歪ませ、新たなエネルギーへと変換される」


ハイボルトは淡々と語る。その声は感情を一切含まず、ただ科学的な事実を述べる機械のようだった。彼の目の前には拷問器具のような装置が鎮座している。

無数のコードが伸び、その先端には痛みを増幅させるための電極が取り付けられていた。

今日の被験者は一人の幼い少年だった。

彼は自分の辿る運命を知らず、ただ怯えた目で研究員たちを見つめている。

彼の純粋な瞳はハイボルトがかつて愛したエイルの子供の瞳を彷彿とさせた。

だが…ハイボルトの心はすでに固く閉ざされていた。


「始めろ」


ハイボルトの冷たい声が響く。少年は装置に繋がれ、電極が皮膚に食い込む。痛みに少年は悲鳴を上げた。その声は、高周波のノイズとなって、実験室に響き渡る。


「悲鳴の波形を記録しろ!苦痛の度合いを数値化しろ!」


ハイボルトは少年の苦痛に何の動揺も見せず、ただモニターに映し出される数値を凝視していた。

彼の指示に従い、研究員たちは慌ただしくデータを記録していく。

彼らの中にもこの光景に顔を顰める者や、吐き気を催す者がいた。

しかし、ハイボルトの絶対的な権威とこの研究がもたらす莫大な利益を前に誰もが沈黙を保った。

少年の悲鳴はやがて嗚咽へと変わり、そして途切れ途切れの呟きとなった。

彼の意識が薄れていくにつれて計測器の数値は跳ね上がり、コアの光はさらに明るさを増していく。

それは少年の魂が、絶望の淵から引きずり出され、エネルギーへと変換されている証だった。


「素晴らしい…完璧だ…」


ハイボルトは、少年がもがき苦しむ様子を満足げに見つめ、無表情だった口元に、かすかな笑みを浮かべた。

その笑みは狂気と勝利の入り混じった、かつての彼からは信じられないゾッとさせるものだった。

やがて、少年の体が痙攣しそして完全に動かなくなった。

その魂は最後の光となって装置のコアに吸い込まれていく。残されたのは…干からびた少年の屍だけだった。


「よし、記録完了。次の被験者を連れてこい」


ハイボルトは淡々と告げた。彼の研究はついに人道を完全に逸脱した領域へと足を踏み入れた。

彼はもはや科学者ではなかった。彼は死を振りまく悪魔だった。

自らの理想を追い求め、愛する人々を守るために歩んだ道はいつしか、彼自身を地獄の底へと突き落としていた。

ハイボルトの心は、もはや痛みを感じることはなかった。

いや、彼は痛みを、絶望を…自らの研究の糧としていた。

彼の心は魂を抜かれた被験者たちと同じように、空っぽになっていたのだ。





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