3話

【3】


 数年後、ゾル人民民主共和国は突如として世界に向け、画期的なエネルギー技術の完成を宣言した。

それは人類が長年苦しんできたエネルギー問題の終焉を告げる、希望に満ちたニュースとして喧伝された。

彼らが発表したのは「ソウル・コンバーター」。それは極めてクリーンで効率の良いエネルギーを生み出す夢のような装置だった。

しかし、その技術の真実を知る者はごくわずかだった。

上司のヴォルグは誇らしげにハイボルトに言った。彼の功績によって自分の地位が向上したからだった。


「おめでとうハイボルト君。きみは多くの歴史に刻まれる化学者達に並ぶ功績を残したのだ」


技術の確立に最も貢献したハイボルトは一躍、共和国の英雄となった。

彼は最高峰の栄誉を授与され、その功績を称えられた。

そして、彼には一つの褒美が与えられた。

それは、彼の婚約者であったエイル・マドラックとの数年ぶりの再会だった。

彼女はヴォルグの計らいでほんの短い時間だが面会を許されたのである。

数年ぶりの再会。ハイボルトは期待と不安を胸に施設の応接室で招かれたエイルを待った。

扉が開き、そこに立っていたのは少しやつれていたが以前と変わらぬ美しいエイルだった。しかし、彼女の傍らには一人の幼い子供がいた。


「ハイボルト…久しぶりね」


エイルの表情はどこか硬く、彼女の瞳には悲しみと疲弊の色が浮かんでいた。

ハイボルトは、茫然としてその子供について尋ねた。


「エイル、この子は…」


「ごめんなさい。私、自分の意思で父に頼んで外務省の役人と結婚したの…でも、こうして貴方と会えた…」


エイルは何も言わずただうつむく。その沈黙が、ハイボルトに全てを悟らせた。

彼女は別の男と結婚し、母となっていたのだ。

かつての婚約者は裕福な家庭で子供を育てていた。

ハイボルトがこの国で研究に没頭し、愛する人々を守っていると信じていた間、エイルは裏切りと孤独に苛まれていたのだ。


「先生、エイル女史との面会の時間は終わりです」


監視役の男は冷酷に言い放った。ハイボルトは絶望した。自身の研究を守るため、そして愛する人々を守るためにこの国に来たのにその行為が彼らを人質にするための道具にされてしまったのだ。エイルはハイボルトの顔に手を伸ばし、優しく言った。


「ハイボルト、もういいの。私のことなんて忘れて。だから…あなたは信じる道を進んで…」


「そ…そうなのかエイル…き、君も元気に…す、過ごしてくれ…」


ハイボルト上の空の言葉を向けられ、エイルはただ悲しげに微笑んだ。

彼女の瞳の奥に絶望があった。何かを諦めたような感情の残りだ、それがなぜ自分に向けられていたのかハイボルトには分からなかった。


「いつまでも、優しかったあなたでいてね…」


最後のエイルの言葉は茫然自失状態だったハイボルトの耳に全く入らなかった。

そして、彼女は子供を抱きしめハイボルトに背を向けて去る。

一度だけハイボルトの方をエイルは振り返った。その瞳には涙が一筋光っていた。


「エイル…」


彼女の去っていく背中を見つめながら、ハイボルトの心は深く深く沈んでいった。

エイルとの再会はハイボルトにとって癒しではなく新たな絶望をもたらした。


(君の為に僕は…こんな人殺しに手を染めたっていうのに…)


エイルの幸せを考えればそれが最善なのだろう。自分がここにいなかったとして金もパトロンもいない貧乏科学者の身では彼女を養うなんてできないのだ。





その夜、彼はまた夢を見た。去っていくエイルを追いかけるハイボルト。

しかし、いつまでたっても彼は追いつけない。進みの遅さに違和感を感じて足元を見ると、そこには彼が実験の末に死に追いやった無数の老人や罪人たちが彼の足首を掴んでいた。


「ひッ…!」


『…人類の輝かしい未来の為に…俺達を生贄にしたんだろう?』


「ち、違う…彼女と家族を守る為に僕は無理やり…」


弁解の言葉を口にしながら、ハイボルトは自分が手にかけた亡者達の手を振り払おうとした。

しかし、その力は思いのほか強く、逆に信じられない握力でハイボルトの足首を握り返してきた。万力の様に締め付けてくる力にハイボルトは思わず呻いてしまう。

その間にもエイル・マドラックの姿は徐々に遠ざかっていき見えなくなってしまって行った。

その間も彼は亡者達に囲まれ、逃げ場を塞がれていた。

脚がガタガタと震えだし、ハイボルトは許してくれと何度も請うたが、彼等の怨嗟の眼差しは哀れな科学者を捉えて離さなかった。


『綺麗事を口にするな…お前の手はもう血に汚れているのだ…今更後戻りする事は無い…普通の人間の様に幸せを求める事など…許されない…

さぁ…科学の発展の為にもっと…もっと多くの人間を…生贄に捧げるのだ…』


精神エネルギーを抜き取られ、皮と骨だけの干からびた老人が邪悪な悪魔のような笑みをハイボルトに向けた。

彼は初めてハイボルトが手にかけた老人と同じ顔をしていた。


『さぁ、素晴らしい科学の発展の為に…実験を続けようじゃないか…』


まるで時間を早送りしたかのように老人の顔の皮がぼろぼろと剥がれ落ち、白い髑髏がハイボルトに向かって言う。

思わず彼は大声で悲鳴を上げ…悪夢から目を覚ましたのだった。






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