第4話 曲芸(2)

「戻ろうと思えば、戻ることはできるよ」


 ふと、耳元で声がした。

 うぎゃ!

 振り返れば、ウサギの仮面の人がわたしを見ていた。

 あ、ラピスさん!


「仲良くやってるみたいだね」


 今のわたしは、小さくなっている状態。

 だから、ラピスさんの顔がものすごく大きい。

 仮面の下の瞳まで、よく見えた。

 あ、光に当たると、黒い瞳が青く光って見える……。

 なんだか不思議。


「い、一応?」

「それは、なにより」


 ニコッと笑ったラピスさん。

 どうやら、ピアノのイスに座っているみたいだった。

 白い手袋をしたまま、ピアノの鍵盤に指を沈める。


 ポロン。


 ピアノは、優しい音色を奏でた。


「それで、アリスは帰りたいの?」

「……うん!」


 帰りたい。

 それはもちろん。

 だけど……。


「帰ったら、もう二度と来られなくなる?」

「どうして、そんなこと聞くの?」

「だって、こっちがなんだか楽しかったんだもん」


 現実ではない、たくさんの不思議。

 それがいっぱい溢れていて、どれもが魅力的だった。

 だから、ちょっとだけ「帰りたくない」って思っている自分がいるんだ。


「それは、どっちの『主役』をやりたいって思ってるの?」

「で、できればどっちもやりたくない。でも、チェリーちゃんが一緒にいてくれるなら、『夢サーカス』の方で主役をやりたい」


 チェリーちゃんと一緒なら、できる気がするんだ。

 文化祭の劇は、一人で舞台に立たないとならないから。

 それに、自分じゃない『アリス』を演じなきゃならないから。

 わたしが『有栖』でいられる場所なら、できるんじゃないかなって。


「……そっか。考え方が変わったんだね」


 そう言って、ラピスさんは微笑んだ。


「じゃあ、一度戻ってみる?」

「え?」

「アリスがせっかく決めた答えなんだ。それを、クラスのみんなに伝えておいで」

「つ、伝えるの?」

「そうだよ。ただし」


 そこで、言葉を切ったラピスさん。

 指をそっと伸ばすと、わたしの頭にちょんと触れた。


「この『夢サーカス』のことは、だれにも言わないこと」

「じゃあ、説明できないよ!?」

「だからがんばるんでしょ。『主役』は大変なんだよ?」


 そんなぁ。

 とりあえず体を戻してね、そう言われたからキャンディを舐める。

 途中で床に降りて、いつもと同じくらいの大きさに整えた。

 ……これって、発育測定のときに使えそう。少し身長を伸ばせそう。

 そんなことを考えていると、チェリーちゃんが足元にすり寄ってきた。


〈私も行こうか?〉

「え、来てくれるの!?」

〈あぁ。団長代わりの監視としてな〉


 ガーン。

 そっちか!


「うん。連れて行っていいよ。チェリーは、姿を隠せるからね」


 ラピスさんはクスクス笑うと、わたしの方へ手を伸ばしてきた。

 え、なに?


「仮面を取ってごらん。帰れるよ」


 仮面を取るだけ?

 じゃあ、今までもわたしが帰れるチャンスはいくらでもあったってこと!?


「そうなるけど、僕が帰させなかったよ」

〈団長に逆らわない方が身のためだ〉


 うわ、怖すぎ。


「ほら、取って」


 うながされて、わたしは自分の仮面を取る。

 次の瞬間。


 パッ。


 世界が一瞬で暗くなった。

 思わず目を閉じる。

 次に目を開けたとき、そこはあのオンボロ倉庫だった。

 ほこりをたくさん被った物たちが、ところ狭しと押し込められている。


「ほら、帰れたでしょ?」


 ハッと振り向けば、そこにはラピスさんの姿。

 ラピスさんの格好は、何一つ変わっていない。

 だから、そこだけ異世界のように感じたんだ。


「アリスが体育館から脱走して、五分が経っているよ。さぁ、行っておいで」


 たった五分!?

 夕方からサーカスを見て、そこから夜になって、演目を決めたのに?

 こっちではそれだけしか経ってないんだ……。


「また来たいときは、その仮面を被るといい。この倉庫からじゃなくても、どこからでも来れるから。まぁ、詳しいことはチェリーに聞いてね。それじゃ」


 ラピスさんは言いたいことだけザッと言って、金色の杖を振った。

 すると、前みたいにパッと姿が消える。

 あっちの『夢サーカス』の方に戻ったのかな。

 とりあえず、この仮面はポケットにしまっておこう。

 バレたら大変なことになりそうだからね。


〈私は、姿を消してアリスの肩に乗っている。何かあったらいつでも呼べ〉

「う、うん」


 チェリーちゃんは、わたしの肩にぴょんと飛び乗る。

 そして、すぅっと姿を消した。

 わ、すごい。

 さぁ、わたしも行かなきゃ。

 主役をやりたくないって、ちゃんと言わなきゃならないから。

 あまり意見を言うのは好きじゃないけど、これは絶対に言おう。

 そう決意をして、倉庫を出た。


「有栖ちゃーん!」


 え?

 名前を呼ばれて、振り向く。

 そこには。


「探したよ、有栖ちゃん」

「逃げ足、早すぎ」

「奏ちゃん、美紅ちゃん……」


 副委員長とクラス発表実行委員が、わたしの前に立っていた。


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