第8話 領主邸へ──農神娘、ついに貴族と対面す

 市場の真ん中で、アヤは必死に両手を振っていた。


「ちょ、ちょっと待って! 私は本当にただの農村娘で!」


 しかし人々の視線は熱い。

 盗賊を撃退した娘、トマトで戦士を強化する謎の少女──噂が膨らみに膨らんだ今、誰も「ただの娘」だとは思っていなかった。


「ふん、強者は謙遜するものだな」


 カイン=グランツが薄く笑った。

 彼の背後で控える騎士たちが一斉に膝を折る。


「農神娘とやら。我が父、領主ガルド卿が直々にお会いになりたいと仰せだ。来てもらおうか」


「えっ!? いやいやいや! そんな偉い人に会うなんて無理無理!」


「師匠!」

 隣のレオンが感極まった顔で叫ぶ。

「ついに来ましたな! 師匠の偉大さを広く示す機会が!」


「誰が偉大よ!? 私、ただ畑耕したいだけなんだけど!?」


 必死の抵抗もむなしく、アヤは両脇をカインの部下に挟まれ、半ば強引に馬車へ押し込まれてしまった。


◇◇◇


 馬車に揺られること一刻ほど。

 目の前に現れたのは、白壁の荘厳な邸宅だった。

 庭には噴水があり、使用人たちが一斉にお辞儀をする。


「わぁ……立派……」


 思わず声を漏らすアヤ。

 だが感動する間もなく、カインに促されて屋敷の中へ。


 広間の玉座に座っていたのは、堂々たる髭をたくわえた中年の男だった。

 鋭い眼光と威圧感、それでいて一瞬で人を見抜くような眼差し。


「……おぉ、そなたが噂の娘か」


「え、えっと……は、初めまして……?」


 アヤはガチガチに緊張しながら礼をした。

 領主ガルド卿はその仕草に口元をほころばせた。


「カインから聞いた。クワ一本で盗賊を退け、作物で兵を強化する力を持つと。──信じがたい話だが、証人は多い」


「い、いやいや! 大したことじゃないんです!」


「謙遜はよい。だが──」

 領主の目が光る。

「この領は、今や食糧不足にあえいでおる。もし本当にその力があるならば、村々を救う希望となろう」


「……っ」


 アヤは言葉に詰まった。

 自分の力が人を救える? けれど、その分目立ってしまう。

 望む“普通の農業生活”からは遠ざかるばかりだった。


「師匠!」

 横でレオンが拳を握る。

「ここは力を示すべきです! 領主様に、我らの農業の偉大さを!」


「だから誰が“我ら”よおおお!」


 アヤの抗議はまたも空振り。

 だがガルド卿は愉快そうに笑った。


「面白い娘だ。よし、こうしよう。近く催す“収穫祭”にて、そなたの力を示してみせよ」


「収穫祭……?」


「領民が一堂に集う祭りだ。作物を供し、その豊かさを競い合う。そなたが本物ならば、一目で分かろう」


 広間に重々しく響く領主の声。

 アヤは目を白黒させるしかなかった。


「ちょ、ちょっと待って!? 私そんな大それたこと──!」


 だが、既に決定は覆らない。

 こうしてアヤは、領主主催の大舞台に引きずり出されることになったのだった。


(……どうして、私の“普通の農業ライフ”はどんどん遠ざかっていくのよ……!?)


◇◇◇


 夜、宿に戻ったアヤは布団に潜り込みながら呻いた。


「……収穫祭って……まさか、みんなの前で農業披露するなんて……」


 しかし隣のベッドでは、レオンが満面の笑みで拳を突き上げていた。


「師匠! ついに世界へ羽ばたく第一歩ですね!」


「私は畑だけでいいのにぃぃぃ!」


 夜空の月が高く照らす中、“農神娘”の伝説はまた一歩、大きく膨らんでいくのだった。

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