第7話 噂は街を駆け巡り、領主の息子が現れた

 翌朝。

 アヤは宿屋の食堂でパンをかじりながら、ため息をついていた。


「……昨日のこと、夢じゃなかったんだよね」


 部屋はあちこち破壊され、階段には倒れた賊の血痕がまだ残っている。

 宿の主人は「命を救ってもらった」と手を合わせてきたが、アヤとしては複雑な心境だった。


「私はただ……野菜を守りたかっただけなのに」


「何をおっしゃいますか師匠!」


 隣に座るレオンが胸を張る。


「師匠はクワ一振りで悪党を退け、作物で我を強化した! その雄姿は、まさに戦場の農神──」


「だからやめてってば、その呼び方……!」


 アヤが頭を抱えていると、外からざわめきが聞こえてきた。

 通りを行き交う人々が口々に噂している。


「おい聞いたか? 宿屋を襲った盗賊団を、農村の娘が追い払ったんだってよ」

「しかもクワでだと? 冗談だろう」

「いや、宿の主人が証言してる。トマトで騎士を強化したとか……」


「……」


 アヤの顔はみるみる真っ赤になった。


「も、もう噂になってる……!? やだぁぁぁ!」


 テーブルに突っ伏すアヤをよそに、レオンは誇らしげだった。


「ふふ、やはり偉業は隠せぬもの。これで師匠の名は王都にまで轟くでしょう!」


「そんなの望んでないってばああああ!」


◇◇◇


 昼過ぎ。

 市場へ買い物に出かけたアヤは、ますます居心地の悪さを覚えていた。

 商人たちがにこやかに声をかけてくる。


「お嬢ちゃん、あんたが例の“農神娘”かい?」

「ささ、これ持ってって! 宣伝してくれたら安くするよ!」


「農神って言うなぁぁ!」


 カゴを抱えて逃げ出そうとしたそのとき──。

 人々のざわめきが一層大きくなった。


「おい、見ろ! 領主様の馬車だ!」


 豪奢な馬車が市場に乗り入れてくる。

 群衆をかき分けて現れたのは、鮮やかな服に身を包んだ青年だった。


 青みがかった髪に鋭い眼差し。

 どこか気品を漂わせながらも、傲慢さを隠そうともしない。


「ふん……ここの者どもが騒いでいた“農神娘”とは、貴様か」


「えっ……?」


 アヤが目を瞬くと、その青年は片眉を上げて名乗った。


「我が名はカイン=グランツ。ガルド領主の嫡男だ」


 どよめく群衆。

 カインはアヤを見下ろしながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「父上が仰せられた。“珍しき力を持つ娘が現れた”と。……貴様の力、確かめさせてもらうぞ」


 鋭い瞳に射抜かれ、アヤは思わず後ずさる。


「ちょ、ちょっと待って!? 私そんな大した者じゃ──」


「師匠を侮辱するな!」


 横から割り込んだレオンが剣を抜いた。


「師匠の強さは昨夜、我が身で証明した! 挑むならば、まず我を倒してからにせよ!」


「だから誰が師匠だあああ!」


 市場の真ん中で、思わぬ対峙が始まろうとしていた。


◇◇◇


 人々の視線が集中する中、アヤは頭を抱えた。


(……どうしてこうなるのよ!? 私、ただ畑耕したいだけなのに!)


 だが彼女の望みとは裏腹に、街全体が“農神娘”を巡って騒ぎ始めていた。

 アヤの農業スキルは、否応なく大きな渦に巻き込まれていくのだった。

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