08 これが私のだったら

 リベラが私の手をとって診てくれている。


「……そっか。あの虫は呪いの一種っていうか。実際には無いものだったんだ」

「はい。無いといえば無いもの。あるといえばあるもの、でしょうか」

「うーん……。うん」


 気づく余裕がなかったけれど、最初に会敵したときに見た虫は、二回目の時はいなかった。祝福を得ていたからだろう。


「恐怖が形作られたものです」

「……」


 あの神官は怯えてた。

 私だって。

 私の心は私が思っているほど強くはないみたいだ。


 リベラが私の手にぺたぺたと触れているのを眺める。ときどき指の圧力がかかって心地いい。慰めたり励ましたりしてくれているのかもしれない。良いように考えすぎかな。


「呪いには呪いの主がいる」

「ええ」

「どういう呪いがあると思う?」

「……と、いいますと?」


 問い返されて少し考える。

 どう説明すればいいのかわからなくて、知りたいことをまっすぐに聞いた。


「例えば武器……剣にかけられた呪いとか」

「それは当然、あるでしょう」

「物にかけられた呪いにも主がいる?」

「命も物です」


 手が少し震えてしまったかもしれない。リベラはそれ以上のことは何も言わなかった。少し目を伏せて。ヴェール越し。うつむいて。

 私の手を両手で包んでくれている。


 首無しの騎士。

 あれは物だった。

 でも命でもあった。どんなものもそうなのかもしれない。


「脚も診ましょう」

「平気だよ」

「呪いが覆っているのを見ました」


 リベラにもそう見えていたのならそうなんだろう。あのとき、地面から蠢きが這い上がってきた感触は確かにあった。

 私は怯えてたんだ。認めたくないけれど。


 ベッドに座っている私の前、リベラが床にしゃがみこんだ。

 そして私のブーツを脱がせ、濡らした布で脚を拭いてくれる。

 少し冷たいと思った。


 でもそれ以上に、足の裏をリベラの太ももの上に置いた状態になったのが気になった。

 確かにそうするのが診やすいのかもしれないけれど。


「……いいの?」

「?」


 リベラのスカート越し。正座している太ももに私の足。柔らかくあたたかい感触が足裏から伝わってくる。

 胸元くらいの高さから、ヴェール越しに見上げてくる瞳。深く暗い色が好きだ。


 手の動きは柔らかく優しく。丁寧に拭かれる。


「っ、指の間は……くすぐったくて、ごめん」

「我慢してください。しっかり診たく思います」


 隅々まで清拭されて、なぜか少し恥ずかしいと思った。


「大事ないようですね」

「……うん」


 良くない王様にでもなった気分だった。神官に足を拭かせて、診てもらって。太ももの上に足裏を置いて。


「左足も」

「あ……。あー、うん。そうだよね。そうなるよね」


 リベラが床に布を敷く。綺麗にした右脚はそこに置いて、今度は左足だった。


「マノリア様は」

「うん」

「両利きでいらっしゃいますね」

「そう、だね」

 くすぐったい。靴を脱がされて拭かれている。


「でも本来は左利きでしょうか。右を軸足にしてこちらで踏み出すことが多いような」

「自分ではわからないよ」

 ふくらはぎ。拭きながら撫で上げられる。心地良い。


「つまり左脚のほうが敵……呪いに近かったはずですから。念入りに見ます」

「……うん」


 そう言われて断ることはできない。

 リベラに預ける。

 相変わらず脚の裏はやわらかくてあたたかい。

 いたずらで足指を動かしたくなる。たとえば親指に力を込めて、この太ももの柔らかさに強く埋めたらどんなに心地が良いだろう――。


「火傷が少し」

「っ……そう?」

「精油と、先日の薬を塗りましょう」


 少しの青臭さが広がる。清拭された脚に塗られる感触。それから精油のなめらかさ。


「足を浮かさないで。力を抜いてください」

「ごめん……」

 リベラの太ももの上に足を置きなおす。脱力して。力は入れちゃダメ。絶対に。


「マノリア様、気になさらず」

「何が……」

「わたくしはあなたのはしたです」

「…………」

「あなたのために、わたくしを役立たせてください」


 薬と精油が塗られた箇所が空気に触れる。ひんやりして、少しだけ残っていたわだかまるような痛みが融けていくようだった。


「ありがとう。楽になった」

「我慢なさらないで」

「そんなつもりはなかったけど……」

 うそだ。

「はい」

 何かを我慢してたのを見抜かれているかも。


「……はいとくてき、って言うんだ。こういうの」

「背徳的ですか。何がでしょうか」

「うまく言えない……」


 ベッドに寝転がる。

 もちろん真ん中じゃない。ちゃんと端に寄った。


「リベラはひとりのとき、どうしてたの?」

「? 何のことでしょう」

「あ。えっと。浮いちゃうのを」

「ああ――。ベッドの脚に自分の足をくくりつけたり」

 それは痛そうだ。そんな想いさせたくない。


「じゃあ……。私も。リベラのために、私を役立たせて。浮いちゃわないようにするくらいならできるから」

「ありがとう存じます」


 リベラのいつもの返事を聞く。


 この村での滞在は今晩までだと思う。明日の朝に発とう。リベラと一緒に。目を離したらどこかに行っちゃいそうだから、つかまえておいたほうが良いと思う。今の私、何か変なことを考えてるかな。もうだいぶ眠いけれど。


 リベラが私に背を向けてベッドに横になった。

 目の前にうなじがある。


「浮かないように……。手を置いてればいい?」

「はい。お願いします」


 後ろからゆるく抱いてみる。

 体格は同じくらいだから包み込むというわけにはいかないけれど。


 少し甘えてリベラのうなじに鼻先をくっつけた。

 ゆるめに。でも全身を。形を合わせるように抱いた。


 あたたかくて心地いい。やわらかくて心地いい。

 これが私のだったらいいのに。


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