第5話 飴屋金三 (書き下ろし)

 東の空が明るくなり始める頃。孝政はキョウスケを揺り起こした——。


 二人で生活するようになってからひと月ほど。孝政の落とし穴にはまって怪我をした足はすっかり治り、走ることも木に登ることも、難なくできるようになっていた。


 この状態であれば、ここから一里半ほどの距離に位置する宿場町まで行けるだろう。孝政の提案にキョウスケは満面の笑みで頷いた。


「俺、宿場町初めて!行きたい!!」

「よし、では明日行こう。」


 自由な二人の決断と行動は早い——。


 自由というと聞こえはいい。だが、実際には、誰にも何にも指図や束縛を受けない代わりに、加護や支援を期待できないことを意味する。


 全て当事者だけで執り行い、自己責任。達成できなければ、食い繋ぐことすら難しくなることもある。善は急げ、思い立ったが吉日とばかりに行動できなくては、好機を逃し命を落とす場合すらある。


 ただし、行動力で自由を味方につければ、生き抜ける可能性は高くなる。


 自らの引き際を含めての決断が的確で、身の回りの状況を思い通りに操るだけの器量を持ち合わせているなら、自由は十分味方になり得る。その場合は、縛られた者よりも生き抜ける可能性が高いだろう。


 賭け事に近いかもしれないが、全体を通して『命懸けの本気の遊び』と捉えて楽しめれば、さらに前向きに行動できるのかもしれない。


 物心ついた時から、死を避けるために立ち回る必要性に迫られ、生き抜いてきたキョウスケの中には、その感覚があるようだった。


 決して良い生育環境だったとは言えない。だが、彼が基本的に前向きで、思考も行動も早いのは、元々持ち合わせていた性質が、生き抜いてきた状況に鍛えられた結果なのだろうと、孝政は見立てていた。


「前に父さんが言っていたように、裏の竹林の筍を掘って売る?旬の食べ物だから、宿泊客に出す料理に使ってくれそうじゃない?」


 宿場町に行けるのが嬉しいのか、キョウスケの頭の回転が普段以上にいいようだ。孝政はキョウスケの案に賛同して、日の出前に筍を掘り、陽が完全に姿を表したら、出発と決めた——。


 当日。待ちに待った初めての宿場町。孝政に体を揺すられたキョウスケは飛び上がるようにして起き上がった。そして、孝政と共に意気揚々と裏の竹林に入っていって筍を採取した。


 出発を予定していた時刻には、三十個ほどの筍が集まった。筍の他には薪や竹炭、竹籠、竹竿を荷車に乗せ、二人は出発した。


「薪は違うけど、あとは竹から作った物ばかりだね。」

「うむ。裏にたくさん生えているからな。まあ、それを見越してあそこに住まうことにしたのだ……」

「すごい!なるほど!」


 竹は生命力が強く、放っておくと精力を増し、人の生活を脅かすほどになる。だが、うまく付き合えば、春の珍味だけではなく、手軽な使い道が多く、内職にはちょうど良い資材だ。


「今回は竹炭、竹籠、竹竿だが、他に、加工次第では湯呑みにも皿にもなる。柄杓、竹柵の資材、花器、竹馬、竹蜻蛉、のような玩具も作れるし、技術があれば茶せんも作れるな。」

「すげぇ。色々作れるんだ?」

「うむ。作れるものが多ければ、欲しい人も様々。買い手がつきやすくなる。」


 キョウスケは目を輝かせた——行商の話は好きらしい。何を作りどこで売るか、どういう人がそれを欲しがるか。さらには、手に入れた後、買い手がどうやって使ったか。興味は絶えないようだ。


 そのような話をしているうちにあっという間に宿場町に到着した。


 ここは、キョウスケたちが住まう納屋から中山道を西に一里半ほど行った場所にある。話しながらの道中は想像以上に楽しく過ぎていた。


 ちなみに、キョウスケが孝政の罠にかかった農村は、中山道の高崎宿から北に二里ほど行った、街道からはだいぶ離れた山間の村。キョウスケが逃げ出した寺も、その村周辺だろうと孝政は考え、今回の行商先を決めた。


 この宿場町ならば、安心安全に行商できる。そのはずと思っていた——。


 宿場町の入り口が近づくと、守衛と遠目に目があった。孝政は笑顔で手をあげて挨拶をした。孝政は何度もこの宿場町を訪れているため、知り合いが多かった。慕われている様子もあり、孝政が一人に挨拶をすると、後ろの方から三人やってきて、それぞれが手を挙げて挨拶を交わした。


「おおー、孝政殿!よくぞいらした。今日はご子息もご一緒か?」

「ああ、私の自慢の息子です。」


 急に紹介され、キョウスケはぺこっと頭を下げた。程なくして入り口に到着して中に入ると、キョウスケは立ち止まって、辺りを見回した。目の前には幅の広い目抜通りが通っている。


 右側の手前には守衛と飛脚の詰め所、その横には馬をつなぐ場所があり、十頭ほどの馬が草を食んでいた。


 左手は広場が広がっていた。おそらく、火除け用だろう。井戸があり、その横には消化桶が積まれていた。


少し奥に入ると、両側に茶屋が立ち並ぶ。その奥に行くに従って建物が大きくなっており、宿泊する施設だということが見てとれた。


 その時——ふと風向きが変わった。春の新緑の風に乗って、温もりのある甘い香りがキョウスケの鼻まで運ばれてきた。この匂いには覚えがある。一瞬に背筋が寒くなった。


 どこから漂う香りか確かめるように、鼻を高くして匂いをたどりながら、キョウスケは辺りを見回した。


 ふと、一台の屋台が目に留まった。火除け用の広場に隣接する茶屋の前に停められた屋台から、その甘い香りは漂ってきているようだった。


 花器や湯呑みに竹蜻蛉や櫛が数本立てられ、竹で編まれたザル、竹を割って作られた器が屋台のあちこちに置かれたり掛けられたりしていた。季節外れの風鈴がいくつか屋根から下げられ、時折吹く風と戯れに音を奏でる。


 台の真ん中には藁の束が置かれ、そこには十数本の串に刺された飴細工が立てられていた。キョウスケはその屋台に見覚えがあった。


——まずい!


 キョウスケは屋台から見えぬよう、三歩後退り、孝政の陰に隠れた。すぐにキョウスケの挙動不審な動きに気づき、孝政がキョウスケに顔を向けると、屋台の方から声がした。


「ああ!孝政様!お元気ですか?」

「おう!金三殿!この通りだ。」


 孝政は笑顔で屋台の主人に答えると、キョウスケを紹介しようと、先ほどキョウスケがいた方に顔を向けた。


——いない!?


 孝政は必死に辺りに視線を走らせた。すると宿場町の入り口から声が聞こえた。


「おい!小僧!父上置いてどこにいく!?」


 すぐに入り口に顔を向けると、キョウスケの背中が走り去ろうとするところだった。


「どうした!?キョウスケ!!」


 孝政が荷車をそこに置いたまま、キョウスケを追いかけようと駆け出す。その横を疾風のような速さで「あのガキ!」と言って金三が駆け抜けていった。


——なぜ金三がキョウスケを追いかける?


 「あのガキ」とは、どう聞いても好意的な言葉ではない。何が起きているのかも全く思考が追いつかないまま、不穏な言葉の意味を探りたい一心で、孝政も二人の後に続いた。


 宿場町を出て少し行ったところにある、杉の木の下で金三は眉間に皺を寄せ、上を見上げていた。孝政もすぐに駆け寄り、金三の少し後ろで立ち止まった。


 キョウスケはかなり上の方で、木の幹にしがみついた状態で二人を見下ろしていた。さすがに四十路に差し掛かろうという大人があそこまで登るのは難しい。


 金三はもう少し若く、走るのは疾風のようだったが、木は登れなさそうだ。登れるものならば、キョウスケに追いついているだろう。


「金三殿、キョウスケを知っているのか?」

「知ってるも何も……」


 木の上方にいるキョウスケには二人の会話がはっきりと聞こえなかった。二人が何を話しているのかは気になったが、どうすればいいのか、すぐに答えは出せなかった。


——俺、あのクソ寺に戻されるかな……。


 孝政はそのようなことはしないだろう。だが、金三がキョウスケを同心に引き渡せば、身元を確認して、預けられた寺に連れて行かれるかもしれない。そうなればもう、二度と孝政には会えないだろう。


 位置関係は定かではない。だが、孝政に捕まったのは、寺からそれほど離れていないであろうはずの農村。穴に落ちて気絶したところを連れてこられたため、納屋までの道のりをキョウスケは知らなかった。


 仮に寺に連れ戻され、逃げ出したとしても、孝政の納屋に行き着ける自信がない。


 悪いことをしたとは思っているから、頭で判断する前に体が反応して、何も考えずに逃げ出してしまった。逃げても逃げ切れるわけがないのに——いや、そうじゃない。逃げようと思えば、逃げられた。


 だが、逃げたら孝政とはもう、一緒にいられない。とはいえ、あの場ですぐ捕まれば、同心に引き渡されてしまうかもしれない。


 一緒にいたいから、どうしたらいいか、しっかり考える時間が欲しかった。だから逃げ出した。でも、逃げ切る気はなかったから、この木に登ってしまった。


 寺から逃げ出してから一ヶ月半ほど、孝政に捕まるまで盗みを繰り返した。もちろん、いけないことだなどわかっていた。


 だが、生きるためには仕方ないと心の中で言い訳して、盗み続けた。その中で、盗んだ相手の一人が金三だ。


——誰かと一緒にいたいから、逃げられねぇなんて……初めてだ……


 キョウスケの目に涙が滲んだ。寺を逃げ出した当初は、浮浪児やそのまま大人になった、盗賊に足を半分突っ込んだような青年らと、しばし共に行動していた。


 だが、毎回『何か違う』と思うたび、逃げ出した。結果、仲間のような関係の人間は、ほぼ毎回違っていた。


 キョウスケは鼻が効く。彼らがいそうな場所は避け、二度と会うことはなかった。だからおそらく、今もここから逃げ出せば、逃げ切ることはできたろう。


 しかし、どうしても孝政の元は離れがたかった。孝政はキョウスケの憧れになっていた。彼の持つ全てを学びたかった。


 寺に突き出されず、孝政と一緒にいられるようにするにはどうしたらいいのだろうか。初めての経験ですぐに答えを出すことができなかった。木にしがみついたまま、肩で涙を拭き鼻を啜った。その時——


「この通りだ、すまぬ、金三殿。」


 金三の前に孝政が正座をし、両手を足の付け根に置くと、頭を下げた——キョウスケの胸がドクンと拍動した。眼下の光景に息を呑み、視線は縫い止められたように二人に注がれた。


 懐が深く、強くて美しく、浪人に身を落としても、気高さすら感じさせる孝政に、このような行為をさせてしまう自分が、とんでもない悪党に思えた。早まる鼓動と共に息苦しさが増していく——。


 息を呑んだのはキョウスケだけではない。金三もまた、胸が握りつぶされるような衝撃を受けていた。コソ泥小僧を少し懲らしめてやろうと思っただけだった。


 それだけなのに、どこからどう見ても、格式の高い雰囲気を持つ孝政が、地べたに座り頭を下げている——。


 咄嗟にしゃがもうとする金三に、彼の足元から視線だけ上にあげ、孝政は少しニヤリと口元を歪めた。それですぐに金三は悟った。おそらく、孝政もキョウスケを少し驚かせようとしているに違いない、と。


 金三は少し大袈裟に、腰に手を当てて仁王立ちになり、孝政を見下ろすと、一瞬、「すみません。」と眉を顰めてから演技に入った。


「あの日俺ぁ、一文も手にできなくてな。どう弁償するつもりだ?え?」

「私が持ってきた筍と竹細工、全てお渡しするのでいかがでしょうか。」

「銭か飴で返してくれ。俺ぁ、飴屋だ!筍や竹細工じゃ、俺が売らなきゃならねぇ。すぐ銭にできなかったらどうすんだ、ああ!?」

「では、先日置いていった竹細工の売上金、全てでどうでしょうか?」


 屋台に置かれていた品物——どこかで見たことがあると思ったが、孝政が作ったものだったようだ。つまり、孝政の行商の協力者にとんでもないことをしてしまっていたらしい。


 もちろん、孝政の知り合いではなかったとしても、盗みなどするべきではない。だが、知らなかったとはいえ、金三から飴を盗んだことで、孝政からも商機を盗んでしまったのだ。キョウスケはもう一度、肩で涙を拭いた——。


 盗みを仕切っていた年上の少年に言われた通り、金三に話しかけ、皆が飴と売上を盗み出す間、時間稼ぎをした。


 途中でバレて逃げ出したが、約束した場所で落ち合うと、一仕事終えた報酬だとして飴を二本、分前としてもらった。


 初めての盗みで、初めての飴。だが、腹は満たされず、不安で胸ばかりがいっぱいになり、甘いはずなのに石ころを舐めているようだった。


「あれじゃあ、足りねぇ!作った飴、二十本と売上全部持って行きやがったんだ!」

「では、私が金三殿の屋台で働いて返すのはどうだろう。」


 金三は恐縮した。そこまでする必要はない。キョウスケから自分の表情が見えないのをいいことに、彼は「そんなこと言わないでください!」と囁いて、申し訳なさそうに顔を歪めた。孝政は「大丈夫、もう少し合わせて。」と小声で応えた。


「何だとぉ!?あんたに屋台の商売の何ができる!?俺ぁ、木の上のコソ泥をお上に突き出せたらそれでいい!」

「では、これでどうでしょうか……あの子が盗んだ売上は私の行商から支払う……二十本分の飴は、私が屋台で売る。達成できなくば、私が親として目付け役のところに出頭する。」


 キョウスケは目を見張った——このままでは、父さんと離れ離れになるかもしれない。


 金三の飴を盗んだ後、いくつかの集団を転々として盗みに協力した。だが、どの集団も自分の居場所ではないと感じ、そのうち一人で盗みを繰り返すようになった。


 山谷に食べられる物が見つからないときは、畑の野菜を盗んで齧るようになった。


 気は引けたが、畑の野菜は野生動物も齧っている。自分が少し食べても、鹿一頭が食べるほども食べない。そう自らに言い聞かせた。そして、ある日、孝政の罠に落ちた。


 捕獲されて始まった関係だが、絶対に手放したくなかった。この関係を失わないために、自分も行動しなくては——そうしなければ、あとになって、あの時何かしていればと思う日が来るだろう。


 キョウスケは意を決して、スルスルと木を降り「とすっ」と、小さな音と共に、地面に降り立った。


 金三が振り返ると、そこには両膝を地面につき、金三を見上げるキョウスケがいた。涙を滲ませた瞳に木漏れ日が煌めいていた。


「本当にごめんなさい……俺が……飴、全部売ります。やらせてください。」


 そういうと、しっかりと頭を下げた。孝政は立ち上がり、キョウスケの元に歩み寄ると、しゃがんで彼の肩を抱いた。


「よく言ってくれた。二人で頑張ろう。」


 その言葉にキョウスケはもう一度「ごめんなさい。」と口にして泣いた。


 金三は頬を緩めそうになったが、孝政に無言の視線で制され、表情の威厳を崩さぬまま二人を促した。そして、二人の先頭に立つと、宿場の屋台に向かった——。


「さあ、お立ち会!飴細工の達人、金三が、皆様の要望に応えます!何なりとお申し付けを!あっという間に飴を練り上げるその様はまさに神業!ぜひご覧あれ!」


 人の往来が忙しなくなり始めた正午近くの宿場町に孝政の精悍な声が朗々と響き渡った。あまりの良い声に、行き交う人が顔を向ける。


「役者?」

「いやあ、浪人だろ?」


 そんなことを口々に、通り過ぎる者もいれば足を止める者もいる。何人かは屋台の前まで行き、注文を始めた。


 キョウスケが両腕で抱える、藁で作られた台座には、飴の串が十数本立てられていた。孝政のやり方を見よう見真似で声を上げた。だが、こちらの呼びかけは少し特殊だ。


「さあ、ご覧あれ!盗まれるほどのおいしさを誇る飴!一味見する価値あること間違いなしでございます!!」


 子供がおかしな呼び込みをしている——すぐにキョウスケの周りに数人が集まった。中には物珍しそうに見つめる子供の姿もある。


 集まった人々にキョウスケはちょこんと頭を下げた。


「どうです?盗まれるほどの飴。」

「盗まれるの?」

「ええ。」

「この飴が?なんで?」

「それは、味見しないとわからないでしょう。俺に取っちゃ罪の味だけど。」

「『罪な味』じゃねぇのか?坊主!」


 辺りから笑い声が上がった。キョウスケは嬉しそうに周りの人を一周ぐるりと見回して、静かに首を振った。


「違うんです。罪の味なんです。盗んだの俺だから……」


 周りからどよめきが上がる。キョウスケは申し訳なさそうな表情で恐る恐る観客たちの表情をうかがった。思い切って言ってみたが、周りの反応が気になった。


「本気か?小僧!」

「おもしれぇガキだな。」

「飴に心奪われて、つい……。」

「罪を犯させるなんて、罪な飴だな。」

「罪風味っていうんですかね……」


 キョウスケの言葉に数人の大人が「罪風味か!」「うまい!」「違いねぇ!!」と言って、手を叩くと、辺りは笑いに包まれた。


 なぜか『罪風味』が受けた様子で、ぽんぽんと数本があっという間に銭に変わった。


 変わった子が飴を売っている——人が人を呼び、あっという間にキョウスケの周りには人だかりができた。


 この頃になると、うまく説明できないが『気持ちいい』という言葉に近い感覚がキョウスケの中を満たしていた。彼は胸を弾ませながら、集まった人に笑顔を向けた。


 自分のかけた言葉に人が反応を示し、近づいてきてくれる。しかも、疎むのでも、蔑むのでもない、好奇の視線を寄せてくれている。初めての経験だったが、血が沸くように全身を駆け巡った。


「お前本当に、盗んだの?」

「ええ、残念ながら……でも、こうやって、仕事させてもらって……返そうって思ってます。」

「正直だな。演技じゃねぇの?」

「本当ですよ。金三さんに聞いてみて……」


 ただのお調子者でもなく、正直そうだ——周りの大人たちは目を細め、何人かが「頑張れ。」「罪はよくねぇが、ちゃんと仕事して返そうってのはいいことだ。」など言いながら、飴を買った。


 金三は飴を練る手を忙しなく動かしながら、孝政はその横で注文を取ったり、商品と銭を交換しながら、キョウスケの活躍に目を見張った。


 最初用意されていた十数本の飴は、正午過ぎには全て売れていた。その日の午後には『罪風味』が宿場町内ですっかり噂になり、試してみたいと金三の屋台の周りに人が集まった。


 そして、夕方を待たずして、用意してあった飴は、ほぼ全て売れていた。


「いやー、驚いた。キョウスケの自虐行商のおかげで、とんでもなく売れたな。」

「ほんと?」


 金三の表情と語気から、機嫌の良さを読み取りキョウスケは少しだけ、ほっと胸を撫で下ろした。


「私など足元にも及ばぬ。大したものだ。」


 孝政の声が優しい。キョウスケは高鳴る鼓動を抑えるように一つ深呼吸をして頬を緩めた。すると、目の前にスッと一本の飴が差し出された。天に登ろうとする竜の形をした精巧な飴細工だ。


「ほらよ。今日のお駄賃だ。」


 キョウスケは目を丸くした。今日は盗みの償いに、仕事をしたつもりだった。駄賃などもらえる立場にないはずだ。


 なかなか手を出さないキョウスケの手元にもう一度、金三は飴の串を差し出した。


「いや、盗まれたのよりもずっと稼いでくれたからよ。これじゃあ、俺の気がすまねぇ。よくやってくれた。礼だ。」


 孝政と引き離されずに済むということだろうか。さらには、仕事をして駄賃をもらうのが初めてだ。様々な思いを抱え、キョウスケは目の奥にジワリと温もりを感じた。それに気づいた孝政がキョウスケの肩を抱いた。


「ありがたくいただくべきだ。お前は、ちゃんとやっていた。」


 その言葉に背中を押され、キョウスケは差し出された飴をそっと手に取った。そして恐る恐る口に運び、舌先をほんの少しだけ形に沿って滑らせた。


——甘い!


 キョウスケは心の中で叫んだ。孤児として寺に預けられていたキョウスケにとって、飴は高級品だ。今まで口にする機会がなかった。


 盗んだ飴は、味を感じなかった。だが、この日の飴は驚くほどに甘い。これほど甘いものが世の中に存在するなど、想像だにしたことはなかった。


 キョウスケはもう一度舌を少しだけ出して、味を見た——やはり、しっかりと甘い。


「どうだ?仕事じまいの飴は、最高にうまいだろ?」


 金三の言葉にキョウスケは大きく頷いた。キョウスケの表情を満足気に眺めた後、金三は同じ飴を孝政に差し出した。


「これは、孝政様に……申し訳ないほど、乱暴な物言いしたんで……。」


 大人の約束で、詳細は語らなかったが、二人は目配せで笑いあい、孝政は差し出された飴を手に取ると、口に入れた。


「よし!では、陽が落ちる前に納屋につきたいから、そろそろ出発するか。」


 そう言ってキョウスケを促すと、二人は金三に「また来ます。」と挨拶を交わして、宿場町を後にした。


 二人は木漏れ日が降り注ぐ木立の中を、空になった荷車を引きながら家路についた。


 飴の甘さと木々の香りが混ざり合う——初めての駄賃の味を、キョウスケは言葉少なに確かめていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る