第11話「ピンク色のキリン」

「……遅いな」



 日陰でスマートフォンをいじりながら、俺は相手を待ちわびる。


 まったく、どうして貴重な休日を学校で過ごさなければならないのだろうか。

 それが嫌だから、こっちでは部活をやらないと決めたのに。



 校庭に目を向けると、野球部とサッカー部が大部分を使って練習していた。知り合いがいないかと探してみると、先日色々大変な目に遭っていた涼介の姿を見つけた。


 パーカーを着ていない涼介を見たのは初めてだったが、それ以外はこれといった変化はなく、同じクラスの知念ちねん和馬かずまと親しげに話している様子も見ることができた。


 時間を潰すために体育館まで近づくと、既に午前の部は活動を終えたらしく、女子バスケ部と男子バスケ部が同時に走り込みをしていた。


 ほとんどが見知らぬ顔だったが、桃が軽やかに走っている姿を見つけ、俺は思わず胸を撫で下ろす。



「やー何しとるば」



 地窓から覗いていた俺は、誰かが近寄ってきたことに気付けず、油断していたところ背後から声をかけられた。



 ***


「……これで全員か」



 武道場に低い男の声が響き渡る。彼の名前は新垣あらかきたける

 二年二組随一の巨漢で、どんなときでも彼の周りには男子生徒が集まっている。


 だから、こうやって直接話すのは初めてだ。少しばかり緊張はする。


 しかしこの空間で二人きりというわけではない。周囲には俺と猛以外に四人の男女がいる。



「ええと、新垣君と呼べば良いでしょうか。ごめんなさい、私たち一度も喋ったことありませんよね」

「呼び方なんてどうでもいい」



 抜けた声で話す紫鏡に、鋭いツッコミを入れる猛。現代版美女と野獣と言えるような対比の効いた構図に、俺は思わず感心する。


 勿論、彼に呼ばれたのは俺たちだけじゃない。


 雷来、美樹、美藍。この三人も同様に呼ばれている。


 前日の夜に話したこともない猛から連絡が来たときはかなりびっくりしたが、面子を見れば俺が呼ばれた理由も何となく察することができた。



「そんなことはどうでもいいばーよ。誰でもいいからあの日何があったか答えれ」



 貸し切りの武道場に猛の怒号が反響する。ただ、これは日常茶飯事なのだろうか、俺以外の四人は平然とした様子で見つめ合う。



「僕たちは何も知らないよ。何も起こってないのに、勝手に来なくなったんだ」

「俺もしーらね。そもそも俺の願いは叶ってんし」

「やーは何が言いたいば? 美樹だって事情を知りたいんですけどー?」



 だが、返ってくる答えは大体同じで、外側にいた三人でさえも当時の状況がわかっていないようだ。



「第一、なんでそんなことを僕たちに聞いてくるのかな。部活で疲れたから早く帰りたいんだけど」

「俺はこれから部活ど? やーのせいでしにまさいことしてるやし」



 非難轟々の中で、美樹は心なしか何かを言いたげに歯を食いしばっているように見える。


 いつもなら、もっと乱暴な言葉を吐き捨てるはずなのに、やけに今日は大人しい。



「だったら……マリーさんが何なの考えてみるのはどうでしょうか? 新垣君も気になるのでしょう?」

「気になる……つーか、いきなり休みが増えたん……やーのせいだろ? 転校生」

「……俺!?」



 すっかりと油断していたため、間抜けな声が全体に響き渡ってしまう。たしかに儀式を始めたのは俺の苗字がマリーさんと読めるという理由がある以上、一概に否定はできない。


 それでも、俺だけのせいにするのはいささか理不尽すぎやしないか?



「待って。真偽はむしろ巻き込まれた側だよ。誰の責任かって言われたら、僕と美弥が悪い」

「は、みーやーは関係ないやっし」

「関係はあるっしょ。俺見てたぜ、一番最初に美弥が言い出したんだからな。『願いを叶えるマリーさん』っていう七不思議があるってさ」

「わーのせいやっし」



 会話が進むたび、彼らの言葉は方言が増していき、最終的には何も聞き取れなくなる。


 俺は紫鏡に目線を送ったが、彼女は心底興味がなさそうに周囲の設備に目を向けていた。


 彼女を見つめているうちに四人の会話は進んでおり、気付いたときには「願いを叶えるマリーさん」の由来について話し合っていた。



「まず、マリーさんってどこから言われるようになったんだろうね? だって、七不思議って呼ばれてるくらいだし、昔からあったってことでしょ?」

「じゃあ先生に聞けばわかるか?」

「えー、先生に聞いたらやばいやし。美樹たちがやったことバレるさー」

「わざわざさん付けだし、別の都市伝説が由来だったりすんじゃね」



 様々な憶測が飛び交っている。正直俺もその輪に入りたい。


 たしかに、この学校の七不思議の中だとかなり浮いているような気がする。


 ――『未来予言の本』『夕暮れに鳴るピアノ』『電気が付かない準備室』『早朝流れる呪いの曲』『樹の下に埋まっている死体』『ある時間に見ると呪われる鏡』『願いを叶えるマリーさん』。



 脳内で列挙してみたが、そもそも統一感はさほどないのかもしれない。



「あっ」



 不意に美藍が声を上げる。何か思いついたと言わんばかりに興奮した様子で言葉を続けた。



「ブラッディ・メアリーってみんな知ってる? 海外の都市伝説だよ。深夜鏡の前でブラッディー・メアリーの名前を数回唱えると呼び出せるっていうやつ」



 饒舌な語り口で、圧倒されている周囲のことなど気にせずに、美藍は語り続ける。



「マリーさんを呼び出すときに鏡を使っただろう? きっと鏡の由来はこの都市伝説からだったんだよ。そう考えると、どんどん話が繋がってくる。カーテンを閉じて暗闇で儀式を行ったのも、これを再現してたんだよ。それに、名前を復唱しただろ? メアリーはマリーとも読めるし、この可能性が一番高いと思うんだけど、みんなはどうかな」

「おお……美藍が言ってること何一つわからんが……あり得るのか? そしたら、どうすればその呪いは?」



 ……なるほど、猛の目的はわかったぞ。


 呪いの解除。猛は不登校になった美弥と聡美の身を案じているんだ。


 それに、美藍の考察もかなり腑に落ちる内容だ。確定とまではいかないかもしれないが、可能性を追ってみてもいいかもしれない。

 ……俺は関わりたくないが。



「私はその説、あり得ないと思います」



 一致団結しかけた瞬間、紫鏡が突然口を開いて彼らの空気をぶち壊した。


 誰も口には出さないが、空気を読めよという圧を直接向けられていない俺ですらひしひしと感じる。


 だが、紫鏡はそんなことを気にしないのか、はたまた気付いていないのか知らないが、悠々と言葉を継ぎ足していく。



「まず、そのお話の流行時期が違います。七不思議は昔からあると言っていましたが、ブラッディー・メアリーはわずか二十年前に流行った都市伝説ですよ? この学校って何年に創設されたものなのでしょう?」

「……去年創立百五十年を迎えたばかりねー」

「鏡は途中から追加された可能性はあっても……元ネタになった可能性は限りなく低いと思います」



 あまりにもスパッと言い切ったものだから、猛の表情は明らかに怒りを堪えているし、美藍も眉をひそめて軽蔑した顔を見せた。



「それに……それに、私はブラッディー・メアリーが元ネタだとは信じたくないの。だって、もしそうなら……誰も救われないでしょう?」

「は、救われないってどういうことだ美藍!」

「……つまり、『願いを叶えるマリーさん』がただの餌だとしたら、僕たちはみんな、その女に呪い殺されるだけだからね。既にいない美弥と聡美が既に死んでいる……なんてことになっちゃうから」



 どこまで紫鏡を信じていいのかわからない。みんなとは違って、俺は彼女の願いを聞いている。


 ――恐怖で満たされる日々が訪れますように。


 俺にはどちらが本心なのかわからない。



 その後も、美藍を中心に「願いを叶えるマリーさん」とは何なのか話し合っていたがそれらしい解答は生まれず、一時間が経過した。


 あれから紫鏡は一度も口を挟まなかった。まるで電池が切れた玩具のようだった。



「……すまん。土曜だってのに呼び出して。急に欠席者が増えたのはただの杞憂かもしれないし。真偽もいきなり責めて悪かった。ただ、涼介も被害にあったって聞いて、焦っちまった」

「ああ、大丈夫だよ。猛と話せたし」



 そして俺も、図書館であったことは言わなかった。もし言ってしまえば、どんな願いをしたのか俺が詰められることになる。それだけは嫌だった。


 何より、ちょくちょく紫鏡以外から「黙ってろよ」といった視線が送られてくるため、彼らの自尊心を傷つけたくなかったのだ。


 話が終わりそうな雰囲気を迎えていた。そんなタイミングで、誰かのスマートフォンから爆音の通知音が鳴った。


 その奇妙な音とともに、雷来がポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出した。


 そして、熱心に画面を見つめたかと思えば、大きな声でそこに書かれている文章を読み上げる。



「『ピンク色のキリン』……」

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