第3話 彼女いるの?

 土曜日の朝。

 世羅せいらはぎこちない手つきで香水を全身に振りまいている。

「あ!出しすぎちゃった!…ん~、まぁいっか!」

 一階から、

「世羅ー!」

 と、呼ぶ千陰ちかげの声が。

「はぁーい!」

 軽やかに広がるスカートの裾をひらひらとなびかせ、自室から一階の玄関まで一直線に走っていく。

「千陰さん、準備出来ました!」

「スカート?珍しい。」

「あ、えっと…。別にテキトーですよ。」

 着慣れないスカートの裾をにぎにぎいじり、会いたい人の顔を思い出して頬が熱くなる。そんな世羅の姿をまじまじと見て、千陰は目を細めた。

「それになんか臭くない?」

「へ!?」

「甘ったるいにおいがする。なんか付けた?」

「香水です!せいら、この香り気に入ってて!」

「付けすぎじゃない?服替えてきなさいよ。」

「えぇー?千陰さんが神経質なだけじゃないですか?せいら別に平気だもん。」

香害こうがい…。」


 こうして、いつものように世羅と千陰は新幹線で京都本部へ向かうのだが…。

「あれ?世羅今日は駅弁食べないの?」

「はい。あんまりお腹空いてないので。」

「えぇ?今日も本部長の舞子まいこさんと武術の稽古するんでしょう?ちゃんと食べないとあとでお腹空くよ。」

「大丈夫です。だって、せいらごはん食べたらお腹目立っちゃうんですもん。」

「どうしたの急に。今まで駅弁に加えてお菓子まで食べてたくせに。まさか瀬戸内の馬鹿になんか言われた?」

「せ、瀬戸内の馬鹿?」

「だってあの人、世羅にちょっかい出してるでしょう。」

「確かにかいは馬鹿ですけど…別にあいつのせいじゃないです。千陰さんって結構口悪いですよね。」

「世羅もね。」

「えぇー。」

 小さく鳴ったお腹の音が隣の席の千陰に聞こえないように、グッとお腹を手で覆った。


 午後2時過ぎ。

 地下の階段を、手すりに捕まりながらヘロヘロの足でゆっくり上がっていく世羅。

 やっとのことでロビーまで着くと、大吉と千陰が慌ただしそうにしていた。

「あ、世羅。舞子さんとの稽古終わったの?」

「はい。…千陰さん、なにかあったんですか?」

「ああ、なんか兵庫の方で緊急事態があったみたいで…。」

「悪いな。やっぱり同行してくれねーか?」

「わかりました。日帰りは無理ですよねーこれ。」

「多分な。」

「世羅、一人で帰れる?私も大吉さんと現場に行くことになったから。」

「わかりました。せいら一人で帰れます。」

「気を付けて帰りなさいよ、じゃあ。」

「はぁーい。」

(千陰さんたち行っちゃった。忙しそうだなぁ。)

 ロビーにあるソファーにポスッと腰掛ける。急に一人にされても、どうしたらいいか悩んでしまう。

(せっかく京都にいるし、このまま帰るのは勿体ないなー。でもどうしよう?)

 考えているのかいないのか、ほげ~っと窓の外を眺めて両足をぶらぶらさせていると、向かいのソファーに誰かが座った。無駄に勢いのある座り方で、世羅は向かいに来たのが誰なのか顔を向けずとも見当がついた。

「おつかれ。お前今日会議前いなかった?」

「いたよ?ギリギリだったけど。今日、朝からずっと千陰さんと大吉忙しそうだったから。」

「あー、なんか会議でもその話してたわ。A級の妖にしては他と毛色が違い過ぎるとかなんとか。傾向的には始祖が近いからさぁ……。なに?鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔して。」

「そういう話してると支部長っぽいね、海って。あ、支部長だっけ?」

「…うざ。そういうお前も今日は変に女子っぽい恰好してるし。つーかくさい。香水付けすぎ。」

「うるさいな。別にいいでしょ海には関係ないんだし。」

「よくねーわボケ。どうせ浄士じょうじの態度に浮かれてるだけだろーが。」

 バレバレな思惑を言い当てられて、恥ずかしさで目線を泳がせる世羅。無意識にスカートの裾をにぎにぎいじっている。

「あ、あのさ。浄士さんってさ、彼女とかいるのかなぁ?」

「はぁ?」

「海、浄士さんと友達でしょ!?なにか知らない?」

 期待と不安を膨らませてこちらを見つめる乙女の顔に、大層気に食わんと言わんばかりに、手に持っている紙パックのお茶を音を立ててすする。

「ねぇ、海ってば!聞いてる?」

「あー、聞いてる聞いてる。浄士の彼女だろ?大人な美女。非の打ちどころなし。」

「……え?いるの?」

 段々と顔に力がなくなっていく世羅の表情が、またしても海のいらだちを煽る。

「なに驚いてんだよ。そりゃ彼女の一人や二人いるだろ。」

「ふ…二人もいるの?」

 世羅は俯いて黙り込んでしまった。お気に入りのスカートを履いて、浄士から貰ったおそろいの香水を付けて、浮かれていた自分が恥ずかしい。

 そんな世羅の様子を見て、さすがにやりすぎたと反省し、嘘だとネタばらししようと思った、その時。

「おつかれ~。」

 ヤツがふらっと現れた。世羅と海の空気が一瞬ピリつく。

「あ、世羅ちゃん今日スカート?可愛いね。」

 今日最も望んでいた浄士からの言葉は、今の世羅にとっては何とも言えぬ苦いものだった。

「どうしたの?なんか元気ないね。」

「浄士おまえ本部長に呼ばれてただろ?はやく行った方が…」

「ああ、行った行った。その帰り。」

「じ、じゃあなんか飲み物飲まん!?なんか買ってきて!」

「今飲んでるんじゃねーの?手に持ってるやつ。」

「……。」

「海、世羅ちゃんになんかした?」

「は?な、なんで。」

「世羅ちゃん明らかに元気ないし、お前はお前でさっきから言動が変だし。」

 いつもならそこまで突っ込まずにスルーするような男がここまで言ったときは、もう隠すことができないのは海自身が誰よりも知っていた。

「じ、浄士が。」

「俺?」

「彼女、二人いるって。」

 観念して白状しようにも、これ以上の言葉が出てこなかった。

「…は?」

「……。」

「いや、なんで俺?そもそも彼女いないの知ってるだろ?」

「えっ!?」

 世羅、勢いよく顔を上げて浄士を見る。その表情はほっとしたような、喜ばしいような顔だ。

「そもそも彼女とかいらないし。…って、前に海に言った気がするけど。」

 しかし安堵したのもつかの間、浄士の言葉が世羅の頭に重く響く。

「え…。彼女いらないんですか…?」

「めんどくさいじゃん、そういうの。…って、15歳の女の子の前でする話じゃないか。今が1番恋愛楽しめる時期だもんな〜!」

 にっこりと世羅に笑いかける浄士。しかし、彼女に向けられたその微笑みは、今はチクチクと心を刺すものでしかない。

 浄士はそんな彼女の心境など知ってか知らずか、世羅から視線を外し、世羅の向かいにいる海に話かけた。

「海、どうする?帰る?」

「え、あー…」

 ケロッとしている浄士に、気まずさと後ろめたさを抱いているのは海だけだ。

「時間あるなら呑み付き合ってよ。」

「あー、じゃあこいつも!な、世羅。」

 咄嗟に出てしまった言葉だった。

「………え。」

 急な海の提案に、世羅もぽかんとしている。

「世羅ちゃんは居酒屋行けないだろー。」

「別に同伴なら普通に入れるだろ。それに居酒屋じゃなくても飲めるし!」

 何言ってんだ俺、と思いつつも、止められない海。

「じゃあ、世羅ちゃんもご飯食べに行く?」

「へ…。」

「元気なさそうだし。この辺の美味しい店一緒に行こうよ。」

「……う。」

 嬉しいのに、哀しい。泣きたい。でも、目の前の笑顔が眩しすぎて、涙をためることさえ許してくれない。

「そうと決まれば行こう、ほら。」

「えっ。…?え!?!?」

 世羅の右手がふっと温かくなった。そう、大きくてかたい浄士の手が世羅の手を包んでいたのだ。

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