第2話 初恋
それから、次の土曜日。
「千陰さん千陰さん、せいら喉乾いたから自販機行ってきていいですか?」
「ああ、行っておいで。大吉さん喫煙所から帰ってこないし、私もまだここにいると思うから。」
「はぁーい。」
本部のロビーから離れて、数十メートル先の自動販売機へ向かって歩く世羅。
自動販売機の近くまで来ると、
(こっちに気付かないかな…。)
世羅は浄士を見つめたまま、ピタッと歩みを止めた。浄士はすぐに世羅に気付き、右手を顔の高さまで上げて挨拶のジェスチャーをしている。世羅もつられて手を上げそうになったが、ハッと思いとどまって、ペコリと軽く会釈をした。
「世羅ちゃんおはよー。今日も蒸し暑いねぇ~。」
「そうですね。暑いですね。」
自分より20センチ以上高い顔をジッと見上げることもできず、なんとなく浄士の手元に視線を置いた。すると、浄士の左手に紙袋が。
「ああ、そうだこれ。」
浄士はその紙袋をスッと世羅の前に差し出した。
「これ世羅ちゃんに。」
「え?」
世羅は紙袋を受け取ると、中に入っている四角いものを取り出した。モノトーンのお洒落な包装紙で綺麗に包まれている。
「それ、俺が普段使ってる香水。この匂い好きって言ってたでしょ。」
「え?……え!?いいんですか!?」
「いいよ~。あげるあげる。」
浄士は会議室へ向かうのか、ひらひら手を振りながら世羅に背を向けてロビーの方へ向かって歩いていった。
世羅は浄士からもらったプレゼントを両手で胸に当て、いつまでもその背中を目で追っていた。
温かい余韻も束の間、世羅の横から派手な柄のシャツを着た男がヌッと現れた。シャツ全体に大きく虎の柄がプリントされている、どこかのチンピラが着ていそうな服。世羅にはその服を着た男の正体が安易にわかった。
「おい待てなんだその顔!」
この乱暴な話しかけ方。やっぱり。
「……
「お前まさか。」
「なに。」
世羅が眉間に皺を寄せながらぶっきらぼうに答えると、海は全身で不快そうなオーラを出してきた。
「別に。言っとくけど浄士はみんなにああいうことするヤツだから。」
「うるさいな!そんなのわかってるもん!」
「いーやわかってない。せいらだけ特別に…!?みたいな顔してただろーが。」
「してません!海には関係ないでしょ。」
「中学生のくせに生意気。つーかなんで俺には敬語じゃないんだよ。」
「……。」
ツン、と海から顔を背ける世羅。
「おい、俺は陰陽師連合会幹部!中国四国支部の長!お前はヒラ!」
「せいら陰陽師じゃないもん。それにせいらにとって海はただの海だもん。そんなに偉いならはやく会議行きなよしぶちょーさん。」
海は顔を逸らして唇をとんがらせている世羅の頬をグニッとつねり、
「バーカ。」
と、言い残して去っていった。
(海の方がバカだもん。ふーんだ。)
幹部会議が始まったのか、本部内はガランとしており、人の声ひとつ聞こえない。
世羅は談話室のソファーで、先ほど浄士からもらったプレゼントを開けていた。包装紙が破れないように、丁寧にゆっくりと剝がしていく。
「わぁ!大人っぽーい!」
箱から香水瓶を取り出し、机に置いてうっとりと眺めてしまう。
「へへ、つけちゃおっかな。…あ!でも香水ってどうやってつけるんだろう?」
世羅はスマホで香水の付け方を調べたあと、おそるおそるスプレーヘッドを押した。
彼女を包むように広がったのは、やさしいココナッツの香り。
会議が終わるまで、世羅はキラキラ輝く香水瓶を角度を変えながら何度も眺めていた。
幹部会議が終わり、廊下がざわつき始めた。
世羅は千陰のところへ戻ろうと、ソファーから立ち上がってロビーへ向かった。
はや足で談話室を出ようとしたその時。
「おっと!…ああ世羅ちゃん。」
「あ!浄士さん。」
「千陰くんならそこの廊下で大吉と喋ってるよ。」
「ありがとうございます。」
お礼を言ってその場を去ろうとしたが、ふと思いとどまって、ちらりと浄士の顔を見上げた。
「あの…。香水ありがとうございました。さっき付けてみたんですけど…。」
いい香りですね、と言い終わるより先に、浄士の鼻先が世羅のうなじを一瞬かすめた。
浄士は世羅と目線の高さを合わせて、
「ほんとだ、同じ匂い。」
とだけ言い残して、奥の喫煙所へと入っていった。
世羅は目玉をかっぴらいたまま、その場から一歩も動けない。ただ混ざり合ったお揃いのココナッツの香りが、世羅の五感に色濃く染みていく。
(どうしよう、せいら…。あの人のこと、もっと知りたい。)
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