中編
ヒルデガルドは健やかに育った。屋敷に近い森で走りまわるようなお転婆な彼女だが、屋敷の異常さを子供ながら感じ取って人目があるところでは深窓の令嬢を演じ、家族だけのときには明るい顔を見せる、賢い子だった。
そして、ルイスたちが旅をした国のことなどを話すようになるとヒルデガルドも両親のように旅をしたいと願うようになった。
自分たちの心配が杞憂だったことに安堵し、使用人の目が行き届かないところでルイスたちはヒルデガルドに魔法や旅をするのに必要な知識などを教えた。
もう少し、ヒルデガルドが成長したらこの国を出ようと考えていたある日のことだった。
国王からヒルデガルドも一緒に家族で登城するように連絡を受けたが、ルイスもアンナも呼び出される理由がわからず、首を傾げた。
指示通り家族で登城し、謁見の間に案内されるとそこには国王たちとエミットがいた。
何故、エミットまでと思ったが、口には出さず臣下の礼をする。
「面を上げろ」
国王からの声に従い、頭を上げるルイスはエミットの視線が気になった。彼はルイスたちが部屋に入って来てからヒルデガルドしか見ていないのだ。
ルイスたちは自分の背より大きな戦斧を魔物相手に喜んで振ったり、魔法で使用人にイタズラをしようとする元気な子供らしい彼女の印象しかないが、口を閉じて、大人しくしている彼女の姿しか知らない屋敷の使用人から人形のようだ言われ、それが外にも伝わり、肌の色から日食の人形令嬢と呼ばれていることを知った。
人形のようだと言うのは侮蔑的な意味もあるが、彼女が美しいからというのもある。
褐色の肌と言うことで蔑まれるが、ルイスたちの容姿に見とれる人間はこの国においても、少なくはないのだ。
エミットがヒルデガルドを見る目には恋情の熱が込められているのはすぐにわかった。
一目見て、彼女を気に入ってしまったらしい。ルイスたちは嫌な予感がした。
「今日は、何故呼び出されたのでしょうか」
他の人と同じようにルイスたちを見下す目を隠そうとせず、国王は口を開いた。
「聖樹のからのお告げにより、エミットとそこの娘の婚約が決まった」
想像もしていなかったことにルイスは一瞬、頭が真っ白になった。
「…私は何も聞いていませんが」
平民ならば口約束でも婚約が成立するかもしれないが、ルイスたちは貴族だ。それも王族の婚約が話し合いもせずに、こんな一方的に決まるわけがない。
「この国の民なら聖樹の決定は絶対だ。そうでなければお前の娘のような異物が王族に嫁げるはずがないだろう」
あまりにひどい言い方に、わずかにあったこの国への情もなくなった。
ヒルデガルドの婚約が成立しようが関係ない。契約書の条件に則り、すぐにでもこの国を出て行ってやると決意し、ルイスは静かに怒りを抑える。
「まあ、エミットはそこの娘を気に入っているようだ。良かったではないか」
ヒルデガルドに見とれていたエミットは自らの思いを不意に指摘され、顔を真っ赤にして否定した。
「な、ち、父上、僕がこんなのを気に入るはずがないでしょ!!
だが、聖樹のお告げならば、仕方ないな。お前のような者でも我慢してやろう」
好きな子に素直になれない思春期のそれなのだろうが、可愛い自分の娘を馬鹿にされて微笑ましいなど思う親がいるはずがない。抗議をしようとルイスが口を開こうとしたとき、この国に来たときから感じていた纏わり付くような嫌な魔力が急に辺りに満ちた。
魔力の気配を辿ろうとしたとき、ヒルデガルドがふらつき、地面にしゃがみ込んでしまった。
「ヒルデガルド!!」
ルイスとアンナは急いでヒルデガルドに駆け寄った。彼女は苦しそうに胸を手で押さえ、肩で息をしている。国王にもエミットにも今、この場で言いたいことは山ほどあるが、体調の悪い娘の方が大切だ。
「娘の体調が芳しくないようなので今日はこれで失礼しても?」
国王は王座の肘置きに頬杖をつき、興味がなくなったように答えた。エミットは心配そうにヒルデガルドを見ているが、こちらに向かって来ることはなかった。
「ああ。早くここから出て行け」
ルイスたちは怒りを飲み込み、謁見の間を後にした。
馬車に乗ってもヒルデガルドは苦しそうにしており、何かを伝えようとアンナの袖口を握る。それに気がついたアンナは彼女の口に耳を近づけた。
アンナはヒルデガルドの言葉に頷くと、風の魔法を使い、馬車を操る御者に中の会話を聞かれないようにした。
「これでいい、ヒルデ?」
しゃがみ込んでいた時よりも幾分か調子が良くなったヒルデはうつむいていた顔を上げる。
「うん、ありがとう、お母さん」
アンナに微笑むヒルデガルドは先ほどの人形のような笑みではなく、年相応の子供らしいものだった。
「それで、何があったんだ、ヒルデ」
来るときまでは元気だったのだ。あの場で彼女の身に何かあったと考えるしかないだろう。
「もう、最悪。僕の中の魔力、何かわかんないヤツに根こそぎ持っていかれた」
胸を押さえ、眉を顰めるヒルデガルドの手を取り、アンナは自分の魔力を彼女の中に流して探る。
「本当ね。あれほどあったヒルデの魔力がほとんど残っていないわ。
それだけじゃない、いつの間にか何かの契約に縛られているわね。それが原因でわずかだけど、今もヒルデの魔力がどこかに流れている」
「あの馬鹿との婚約が原因だろう。これが狙いだったのか」
原因として考えられるとしたら、エミットとの婚約だ。ルイスたちは了承した覚えがないが、それがきっかけで何かの契約が強引に結ばれたのだ。
そうなると、困ったことになった。ヒルデガルドを縛る契約がどういうものがわからぬ以上、国を出れば娘がどうなるかわからないので迂闊に動くことが出来なくなった。
「ああ、もう、ヤダ!! あんなこと言う奴と婚約なんて。ムカつき過ぎて、アイツの頭、僕の斧でかち割りたくなる」
「すまない、ヒルデ。お前を縛る契約をどうにかできるまで、我慢してくれ」
むくれて、頬を膨らます我が子をなだめ、ルイスたちはヒルデガルドが結ばされた契約を探り始めた。
婚約するとすぐに王太子妃教育を受けるためにヒルデガルドは王宮へと向かうようになった。蔑む王宮の人々の目に、教育の合間にあるエミットとの交流、そして、以前より魔法が思うように使えなくなったことが、ヒルデガルドを苛立たせた。
こういうときは思いっきり戦斧を振り、ルイスと手合わせをすることで発散できるのだが、国の息が掛かった屋敷の使用人の目が以前より厳しくなっているので気軽に出来なくなった。
怒りを抑え、もう少しの我慢と自分に言い聞かせて、ヒルデガルドは人形のような作り物めいた笑顔を貼り付け、今日も王宮へ向かう。
婚約の撤回を何度も訴えたが、聖樹が決めたことは覆らないと国王はルイスの訴えを聞こうともしない。
仕事の隙を見て契約の詳細をルイスが探るが、聖樹に関するものとだけとしかわからなかった。ならば、契約の破棄ができないかと魔法が得意のアンナも探るが何の手がかりも得られないまま、数年の時が経った。
もうエミットとの結婚まで時間がないと焦るヒルデガルドだが、笑顔を崩さず、エミットの方を見続ける。エミットは幼い頃と変わらずヒルデガルドに執着しているが、いつまで経っても彼女の態度が自分の思ったようなものに変わらないため、その苛立ちをぶつけてくるようになった。
「僕がこうして忙しい時間の合間を縫って交流しているのに、お前は何だ。
いつまでもその人形のような笑みで僕の話を聞き、頷くだけ。他の女ならば僕を楽しませようとして来るぞ」
「申し訳ありません、殿下」
最近、エミットはこうして他の女との関係を匂わせてくる。ヒルデガルドの嫉妬心を煽ろうという考えだろうが、そもそも、彼のことを好いていないので無意味だ。
だが、本当のことを言う訳にもいかないので、こうして頭を下げる。するとそれ以上は言わず、彼は満足そうな顔をする。
エミットはヒルデガルドの好意が返ってこない苛立ちを抑える代わりに自身の嗜虐心をこうして満たすのだ。
「本っ当に最低ぇ」
頭を下げたまま、エミットには聞こえないほど小さな声で呟く。
その後も彼の意味のない話が続き、ヒルデガルドの背に立つ侍女が声を掛ける。
「申し訳ありませんが、お時間です」
侍女の言葉にエミットは不満そうに答えた。
「ああ、もうそんな時間か。大体、お前が王太子妃教育などすぐに終わらせれば、もっと時間が取れるのだぞ。わかっているのか」
「はい。私の不徳の致すところで、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
ヒルデガルドのことを見下す教育係がまともに授業をするはずがない。したとしても、この国の考えや歴史は偏っており、両親から色々教えられている彼女としては王宮で学ぶ意味が見いだせず、どうしても集中力が欠くのだ。
エミットに言ったところで彼が理解するはずないので、ヒルデガルドは黙って頭を下げ、彼に背を向けた瞬間、笑みを消して無表情となり、ゆっくりと歩き出した。
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