日食の人形令嬢は自由を望む

黒木 森

前編

「ヒルデガルド!!

 今日、この時をもって貴様との婚約を破棄する。異論はないだろうな」


 ヒルデガルドと呼ばれた女性は目の前で叫ばれているにも関わらず、作り物のような笑みを浮かべる。

 だが、その目には何の感情もない。美しさも相まって彼女は出来のいい人形のように見えた。

 男の側には一際派手な女性が勝ち誇った顔をヒルデガルドに向けている。


「…何故でしょうか」


 口を開いたかと思えば、ただ疑問を問いかけるだけで、一向に表情が変わらないヒルデガルドに男は顔を顰める。その顔を見れば、男が彼女の態度が気にいらないと言うことは誰でもわかるだろう。


「貴様のその表情は何だ!! 僕が婚約破棄と言っているのだぞ。泣いて僕に嫌だといって縋るべきだろう。

 そもそも、最初から貴様は気に入らなかったのだ。その浅黒い肌、長い耳など、どう見てもこの国において異物である貴様が僕の婚約者など、たとえ、大いなる聖樹の意思により、父である陛下が決めたこととはいえ、あり得ないだろう。

 だが、僕は寛大だからな。気持ちの悪い貴様だが、婚約者になったのだからと茶会に誘って交流してやったにも関わらず、いつまでも人形のような作った笑みばかりで僕を楽しませようという気が感じられない。いくら心の広い僕であろうとも、我慢の限界だ!!」


 男の言葉に賛同するような声が広がる。


「本当よね。ヒルデガルド様って、確かダークエルフとかいう魔に魅入られた忌むべき種族なのでしょう? そんな人が王太子であるエミット様の婚約者など、烏滸がましいにもほどがあるわよね」


「それに対してエミット様はなんてお優しい。蔑まれるはずのヒルデガルド様を気にかけ、交流していることは誰もが知っていることですもの」


「まぁ、確かに美しいとは思うが、いつまでも人形のようで、エミット様が見限るのも無理はないな」


 エミットに賛同する男の一人はヒルデガルドの体を上から下まで、舐め回すように見て、鼻で笑う。


「しかも、何だ。彼女が着ているレースやフリルが大量の似合わぬドレスは。今更、エミット様の興味を引こうという必死さが見えて痛々しいですな」


 男の言葉に周りが嗤いに包まれる。


「それより見て。エミット様とマデリン様が並んでいると、まるで一枚の絵画のよう。

 何てお似合いなのかしら」


「本来、ヒルデガルド様がいなければ、公爵令嬢であるマデリン様がエミット様の婚約者だったのですもの。当然でしょ」


 この場にいる誰もがヒルデガルドを見て嗤っている。

 夜会の音楽を奏でるはずの演者たちさえも手を止め、この余興をにやにやと眺めている。


 自分が嗤われているのがわかっているはずだが、ヒルデガルドは何も変わらず笑みを崩していない。まるで彼女が本当に心を持たぬ人形のようで気味が悪いと感じ、口元を扇で隠し、顔を顰める女性も見られた。


「それで、私との婚約は破棄ということでよろしいでしょうか」


 その冷静なヒルデガルドの態度が余計にエミットを苛立たせる。


「お前、僕が、嘘を言っていると思っているのだろう。これを見ろ!!」


 エミットはヒルデガルドの前に紙を見せつけた。それは二人の婚約破棄に関する紙で、陛下の印も押されており、あとはヒルデガルドが署名するだけの状態だった。

 その紙を見てヒルデガルドの目が驚愕により、わずかに開く。そんな彼女を見て、エミットは満足したように頷いた。


「これでわかっただろう。婚約破棄は父上も了承していることだ。さあ、早く、お前の名前をここに書け」


 渡されたペンを受け取り、ヒルデガルドは震える手で自分の名前を書く。書き終わったことを確認したエミットは乱暴に紙を奪い取った。


「これで精々した。やはり、聖樹の意思は間違いだったのだ。

 まぁ、謝るのなら、許してやってもいいんだぞ。そうすれば、僕の愛妾にでもしてやろう」


「エミット様」


 今まで黙っていたマデリンが咎めるように名前を呼び、彼の耳元で何かを囁く。マデリンの言葉に頷いたエミットは口角を上げ、彼女の腰に手を当て引き寄せる。


「ああ、すまない。僕としたことが、まだこいつに情があったようだ。

 こんなことは二度と言わないよ。許してくれるかい、愛おしい人」


「もう、仕方ないわね。許してあげるわ、私の婚約者様」


 マデリンは甘えるようにエミットの胸に体を預け、周りは彼女の婚約者という言葉に沸いた。


「おお、婚約者ということはエミット様の新たな婚約者はマデリン様か」


「まあ、当然ですね」


 未だにエミットの前に笑みを浮かべて立つヒルデガルドを惨めだと嗤う声が広い会場中に響く。それでもなお、彼女は表情を変えず、真っ直ぐにエミットたちを見ている。


「ヒルデガルド、僕の婚約者ではないお前はもう用なしだ。この国の異物であるお前は家族共々、この国から出て行け。

 僕は優しいからな、屋敷に戻って荷物をまとめることぐらいは許してやろう」


「お心遣い、感謝いたします」


 ヒルデガルドは見とれるほどに美しく、完璧なカーテシーをし、エミットたちに背を向け、歩き出す。その姿にエミットは目を奪われ、最初に彼女と会った時のことを思い出した。

 同時に王太子である自分が、どんな言葉を掛けても彼女は笑顔だが、その目は冷たいままで、自分と同じ熱を最後まで返さなかったことが頭を過ぎり、唇を噛む。


 だが、それも今日までだ。彼女の屋敷の使用人は全て国王の息が掛かっており、屋敷に残っているはずのヒルデガルドの両親はもう捕らえているはずだ。

 彼女の乗る馬車は屋敷とは違う場所へ向かうように指示している。そこでヒルデガルドを牢に入れて飼う予定だ。


 婚約破棄され、また、家族を人質に取られれば、さすがの彼女も笑顔から絶望へとその表情を変えるだろう。そして、話すのはエミットだけ、頼れるのも彼だけという状況が続けば、彼女はエミットの素晴らしさにようやく気づき、愛を囁くようになるはずだ。


 エミットは腰に抱いたマデリンの方を向き、この計画を立てた彼女に感謝した。


「これでようやく、僕の願いが叶う。これも全て、君のおかげだ」


 微笑むエミットにマデリンも笑い返す。


「貴方の妻になるのだもの、これぐらい当然ですわ。

 ですが、新しいおもちゃに夢中になって、私を忘れないでくださいましね」


 二人の仲のいい様子に拍手の音がしばらく鳴り止まなかった。




 ヒルデガルドは、令嬢として咎められない速度で廊下を歩く。本当はスキップしたいぐらいなのだが、まだ、気を抜くことはできない。

 しかし、我慢出来ず、彼女は笑みを浮かべる。その笑みは先ほどまでの人形のような冷たいものではなく、子供のように無邪気なものだった。


「僕は自由になったんだ。やったね!!」


 先ほどとは違う口調で、機嫌良く鼻歌を口ずさむ彼女の姿を月だけが見ていた。




 ヒルデガルドの両親であるルイスとアンナは国から国へと旅をするダークエルフだった。ある時、聖樹の意思により国へ迎え入れたいという申し出があった。

 その国は海に囲まれた小さな国であり、聖樹の導きにより、国が守られていると信じられていた。聖樹の意思に間違いなどなく、全て叶えるものとされているらしく、何度か断ったが、その国は諦めることはなかった。


 そのうち、アンナに新しい命が宿っていることに気がつき、彼らは悩んだ。それというのも、ダークエルフは特定の故郷というものがなく、それを探すために旅をしているようなもの。もし、生まれた我が子が旅を嫌ったらと考えてしまったのだ。


 旅を嫌っても居続けられる場所があればと二人は考えた。他にも移住候補の国はあったが、自分たちを迎えたいという申し出をする国ならば、歓迎してくれるだろうと考え、了承の返事をした。その際に、もし、国を出たいと自分たちが考えたのならば、引き留めることはしないという条件を出した。

 最初は渋ったが、了承しなければルイスたちを迎入れるという聖樹の意思を叶えられないとわかった彼らは国王に相談し、これを認めるという契約書を作成した。


 契約書に不備がないことを確認すると使者と共に国へと向かった。

 見たことのない国に期待する彼らを迎えたのはダークエルフを蔑む目だった。

 まだ、ダークエルフへの差別は根強く、また、白く透き通るような肌こそが、この国における美の基準であったので仕方のないことだったのだが、これに彼らは落胆した。


 他の国にもダークエルフの差別意識はあるが、昔よりも薄れてきている。ルイスたちもここしばらく、そういった目で見られていなかったので、油断していた。


 国に向かうとすぐに国王から領地はなしの法服貴族として伯爵の地位とルイスは騎士の指導役という役職を賜った。そして、彼らのために建てたという屋敷に案内され、使用人も用意されていたが、誰もが彼らを蔑む目を隠そうとはしない。


 使用人を入れ替えるが、代わりの者はダークエルフに仕えることに嫌がり、なかなか集まらない。来るのは国の息が掛かった者だけだ。早くもこの国から出たいと思う気持ちが強くなったが、生まれてくる子供のためと我慢した。



 それから、すぐにアンナは女の子を産んだ。元気に泣く我が子に二人で涙が止まらなかったのはいつまでも覚えているだろう。

 女の子はヒルデと名付けたが、平民のような名前だと周りから文句を言われ、仕方なくヒルデガルドとした。

 だが、使用人の目がないところでは、本当の名前であるヒルデと呼んだ。

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