第六話 決別

月明りだけが照らす部屋。


私とソヨルはこの檻から抜け出すための密談を交わしていた。


「僕が魔法を使って王城の中の時間を一瞬だけ止めます。」


「魔法…?」


私が首を傾げると、ソヨルは深紅の石が嵌められた銀色の指輪を懐から取り出した。


私はその輝きに既視感を覚えた。


「その指輪…私も持っているわ!」


ドレッサーの奥から、鎖に通された指輪を取り出す。


石の色が桜色と菫色が入り混じったような色だということを除けば、ソヨルのそれと全く同じだった。


「これを使えば時間を止められるの?」


ソヨルは静かに首を振る。


「この指輪に込められている力は人それぞれ違うのです。ルシア様の指輪には、まだ眠っている何かがあるはずです。どうか大切に。」


「そう…。あと指輪だけじゃないわ。あなたがつけているその耳飾りと同じものを幼い頃から付けているの。これは、一体何なの…?」


ずっと身に付けている十字の銀の耳飾り。


ソヨルはそれの意味も知っているのではないか。


ソヨルはしばらく黙りこんでしまった。


「ごめんなさい…言いたくないのならいいの。」


「いえ…ただ、今お話しすると混乱させてしまうと思って…。あなたの血筋に関わる大切なものなのでむやみに外さないように。」


なんとなく釈然としないが、今はそこまで問いただす余裕はない。


「決行は明日の夜です。どうかお休みください。」


私は多くの涙がしみ込んだ寝台に身を沈めた。




どうか、上手くいきますように――。




声にならない声でそっと祈る。


胸に灯った決意の炎は煌々と燃え盛っていた。






「さあ、今です!」


私はその合図と共に部屋から抜け出した。


丈の長い絹のドレス、踵は高くないがつま先が尖っていて窮屈な靴。


「大丈夫ですか、ルシア様。」


「はぁ…はぁっ…。」


身ごもった身体は思うように動かない。


魔法で止められた静止の世界の中、私は必死に足を動かした。


だが、すぐに息は上がり、視界が揺れる。


(ダメ…ここまでなの…。)


諦めそうになったその瞬間、身体が宙に浮いた。


「すみません。抱き上げて行った方が速いので、少し大人しくしていてください。」


ソヨルはそう言うなり地面を蹴った。


自分の足とは比べ物にならない速さで、城の中を駆けていく。


耳元でソヨルの鼓動が響き、息遣いや体温が伝わる。


張りつめていた心が少しずつ和らいでいくのが分かる。


(ずっと、このままが良いのに…。)


だが、それは叶わぬ願いだった。




「よし、城を抜けられましたね。」


ソヨルは達成感を露にした。彼の晴れやかな顔を見るのは随分久しぶりだった。


だが、私には言わなくてはいけないことがあった。


「ありがとう…ソヨル。ここからは私ひとりでいくわ。」


「え…?」


ソヨルの瞳には困惑の色が見える。


「あなたが私を逃がしたことが知られれば、あなたは王城にはいられなくなる。努力して得た立場を失うのよ。」


「それは覚悟の上です。あなたをひとりで放り出すことなんてできません。」


「違うの!」


私は彼を遮り、必死に笑みを作った。


「私ね、あなたを利用していたの。」


「え…?」


「こんな牢獄みたいな城から抜け出すには私ひとりの力じゃ到底無理。だから、あなたの情に付け込んで、逃げ出す手助けをするように仕向けたの。」


胸が裂けるように痛い。だが、言わなければ彼は離れてくれない。


だが、ソヨルは柔らかい笑みを浮かべた。


「それでいいんですよ。いくらでも利用してください。あなたがそれで幸せになれるのなら…。」


「触らないで!」


伸ばされた手を叩き落とし、私は怒鳴った。


「ルシア様…?」


「分からないの…?私はあなたのことが嫌いなの!苦しむ私を傍で見ていながらただ綺麗事を並べるだけで何もしてくれなかったじゃない!さも私の気持ちを理解しているような顔をして…。」


「ごめんなさい…。でも、」


「『幸せになれるのなら』ですって?私の幸せはもう誰にも邪魔されないことよ。分かったのならもうついてこないで!」


震える声。

溢れそうな涙を飲み込み、私は背を向けて駆け出した。


(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…!)


胸が張り裂けるような罪悪感で、涙が次々と溢れ出した。


あれだけ彼を傷つけることを恐れていたはずなのによくもまあ、あんな言葉がすらすらと紡げたものだ。


ソヨルは追ってこなかった。


それでいい。私が彼に守られる資格などない。




月明りが照らす中、必死に駆け抜けた。


「一体何をしている。」


その声に足が止まる。


小さな炎が揺らめき、空色の髪を持つ青年の姿を照らし出した。


「殿下…。」


シリウスの瞳は炎を映してなお、冷たかった。


「…少し、外の空気を吸いに。」


「嘘だ。」


短く切り捨てられ、胸が強く掴まれる。

彼は私から目を逸らさず、低く続けた。


「俺はお前を苦しませた…。」


「殿下…?」


「だが、今更謝ることはしない。俺は王子としての責務を果たしただけだ。どうしても謝罪が欲しければ今すぐ城に戻れ。そうでないのなら好きにしろ。」


信じられない言葉に耳を疑う。


「どっちだ。」


私は震える声で答えた。


「謝罪は…いりません。」


「なら行け。もう二度と戻るな。」


彼は私の背を強く押した。


私は振り返らなかった。


振り返ればもう二度と歩けなくなると分かっていたから。


地面を踏みしめる音だけが、月夜に響いた。

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