第七話 家族

暗い夜の森を私は無我夢中で走った。


肺が焼けつくような痛み、足は痛みを通り越して感覚が無くなっていく。


痛みや不安、恐怖それらに飲み込まれないようにただ前だけを見る。


だが、それがいけなかった。


「きゃっ…。」


足元にあった木の根に躓き、派手に転んでしまった。


すぐに立ち上がらなければ、と思うが腹に鋭い痛みが走る。


足も思うように動かない。


(ソヨル…、ごめんなさい。)


私はなぜこんな思いをしてまで生きようとしているのか。


腹の子だってそうだ。命がけで守ったところで誰も祝福してはくれない。


(ああ…、もういいわ…。こんなに苦しむのだったら、いっそのこと…。)


視界が霞んでいく。


(ねえ…あなた。一緒に天国へ行きましょう…。その方がきっと…。)


意識を手放そうとした瞬間。複数の荒々しい足音が聞こえてきた。




「おい!大丈夫か!」


私は腹を庇うように縮こまる。


「女ひとりこんな場所で寝転がってるなんて随分不用心だな。」


「ほら、立て!獣に食われちまうぞ。」


大きな手が私に差し出された。私はその手を反射的に握り、立ち上がろうとするが、足に力が入らず膝が折れてしまう。


「おい!」


すかさず屈強な腕に支えられる。顔を覗き込まれ、射貫くような目で見つめられる。


「こいつ…顔色が悪い。急いで宿舎へ運ぶぞ!」


「団長…正気ですか…!?」


「当たり前だろ!今にも死にそうな奴を見過ごす程腐っちゃいねえ。」


団長と呼ばれた人物はそう言うなり私を肩に担ぎ上げた。


広い肩の上で揺られながら、私は深い眠りに落ちた。




重い瞼を開けるとそこには見慣れない天井があった。


粗末な寝台。ごわごわとした毛布。


「ここは…。」


(私は生き延びてしまったの…?)


「傭兵団の宿舎だ。」


声が降ってきた方に目を向けると、ガタイの良い初老の男性が立っていた。


「ふらふらして危なっかしいから休ませてやったんだよ。ところで、お前さんどこのお嬢さんだ?」


「私は…。」


私は口ごもる。


男は私の顔を覗き込む。その顔には見覚えがあった。


「俺はこの傭兵団の団長、ヴァレンティーノだ。見たところ、貴族の家出娘といったところか。」


ヴァレンティーノはニヤリと笑うと毛布を引き剥がした。


「さあ、病み上がりで悪いがちょっとついてきてくれないか。」


「ついてこいってどこへ…。」


「ちょっとした依頼だ。すぐに戦えとは言わない。ただ、ここに来た以上はそれなりの働きをしてもらわないといけないからな。しっかりと見ておけ。」


〈戦い〉という言葉で、胸が鋭く響く。


「私も戦います。」


ヴァレンティーノは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


「分かった…。そこまで言うなら…。」




戦場の匂いは、血と鋼の臭いが入り混じったものだった。


手に握らされた剣は重く、腕が震える。


「おい!来るぞ!」


敵が剣を振り下ろす。


私は反射的に刃を受け止める。


しかし、相手は男だ。力では到底かなわない。


必死に腹に力を込める。


(これで…なかったことにできる。)


私はふっと力を緩める。敵はこれを好機と見て一気に斬りかかる。


私は目を閉じて降りかかる刃に身を任せようとした。


しかし、一向に刃は私を斬らなかった。


(…どうして?)


目を開けるとそこには大きな背中があった。


「馬鹿野郎!なに諦めてんだ!」


目の前に現れた青年は私を叱り飛ばした。


栗色の髪に琥珀色の瞳―。

その瞳は怒りに燃えていた。


「放っておいて!私はもう…。うっ…!」


「おい!」


腹に鋭い痛みが走る。


腹を抱えて倒れ込もうとした瞬間、青年は私の身体を受け止めた。


「大丈夫か!腹が痛いのか!?」


私は脂汗をかきながら力なく頷くと、青年は私を抱きかかえて走り出した。


「しばらくここにいろ。」


彼は私を物陰に隠すと飛び出していく。背中は頼もしく、私はただその背を見送るしかなかった。




「はあ?妊婦!?」


私は青年の驚きの声で目を覚ました。


周囲の団員も信じられないといった顔で私を見つめている。


「はい。診たところ2・3カ月といったところでしょうか。」


老齢の医師が渋い顔で説明する。


「馬鹿野郎!お前、何で言わなかった!」


私は思わず身を縮こませる。


「まあまあ、グレン。お嬢ちゃんを戦場に立たせることを許可したのは俺だ。俺の確認不足なんだから責めるならお嬢ちゃんじゃなくて俺を責めろ。」


グレンと呼ばれた青年は口を噤み、ヴァレンティーノは大きくため息をついた。


「しかし、お嬢ちゃん。危険は承知の上だったんだろ?むしろ、危険な目に遭ってもいいとさえ思っていたんじゃないか?」


私は黙って頷いた。


「私は…この子と一緒に消えてしまいたくて…。」


グレンとヴァレンティーノは顔を見合わせた。


「何で…そう思うんだ。」


また怒られるかと思ったが、グレンはそれ以上続けない。


「この子は…皆望んでいない子なの…。私のことだって、そう…。」


私は震える唇でぽつぽつと話した。


話している内に目頭が熱くなる。涙を抑えようと息を呑み込む。


「お前はその子のことをどう思うんだ。」


「分からない…最初は守ってあげようって…。でも、それも私のわがままなんじゃないかって…。この子は生まれてこない方が幸せなんじゃないかって…。」


「それなら、俺が望んでやる。この子が無事に生まれてくることを。」


「え?」


私は思わず顔を上げる。グレンは真っ直ぐ私を見つめていた。


「俺にはその子の気持ちは分からない。でも、少なくとも俺は生まれてこない方が良いなんて思わない。お前が倒れていたとき、お前は腹を守っているように見えた。その命もそれを守ろうとするお前も俺は尊いと思う。」


「でも…私、育てていける自信がない…。」


「なら、俺らで育てていけばいい。」


「…!」


私は言葉を失った。


「子ども二人増えるぐらい賑やかでいいさ。」


団員の一人が笑いながら言った。


「ああ、団は家族だ。お嬢ちゃんも、その子ももう家族だ」


ヴァレンティーノも頷いた。




そんなことを言われたのは初めてだった。


私の胸に温かなものが広がっていくのが分かった。


温かな気持ちで涙が次々と零れていく。


これまでの人生で初めて、涙が「安心」で溢れたのだ。


(ああ、私は、この子は、生きてもいいんだ。)


私は声を殺して泣き続けた。


その背中を、団の仲間たちはただ静かに見守っていた。







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