第8話 葛藤
インスタのDMに送られてきた画像に書かれた『掘り起こすな』という文字。プリンターで出力されているであろう。特徴的な文字でもなければ、特徴的な紙でもない。誰から送られてきたのか
“しょーこさんだよ!!!ちゃんと返信してよねハイド!!!”
昨日アカウントのIDを交換した時に
“何があったんですか?”
メッセージを送るとすぐに松子から返信が来た。
“今朝起きたら、ドアの前の室内の床にこの紙があったの!!!超怖いんだけど!!!何これ!?”
“その紙だけですか?何もされてませんか?”
“多分この紙だけだと思うけど…”
“鍵を開けられたってことですか?”
“ここオートロック”
文字を打っていると、途中で松子に先を越されて返信が来た。
“ドアの下は紙一枚入る隙間がある”
つまり、鍵を開けなくともこの紙を室内に仕込むことができるということ。松子は盃都と別れたあの後、コンビニにご飯を買いに一度外へ出た──とのこと。駅前のコンビニならばホテルの横にある。松子が悩んであれこれ買い物したわけでなければ5〜10分もあれば部屋を出て戻ってきてるだろう。あの性格の松子だ。食べ物如きで悩みそうにないと思った盃都はすぐに昨夜の外出中に何者かが侵入したという想像は消えてった。外出中に入れられたのならば帰ってきた松子がその時に気づくだろう。
──となると、鶴前さんが就寝中に何者かが下から紙を入れたか、もしくは別の鍵で侵入した。
現実的な二つの可能性が見えた時、
“今すぐ荷物をまとめて東京に帰った方がいいと思います“
“でも事件について何もわかってないよ??”
“事件とショーコさんの命、どっちが大事なんですか?”
“命ってそんな大袈裟な笑”
“
そこでメッセージが途絶えた。
新幹線内の気温が徐々に上がっているのを感じた。GPSを見ずに盃都は確信した。
──郡山は過ぎたな。
あと1時間30分もせずに東京駅に着くだろう。このまま東京に帰って松子のことを忘れるか、引き返して松子の身の安全を確認すると同時に彼女を東京に連れ帰るのか。そこで盃都はふと思った。
──鶴前さんに脅しのような紙が届いたということは、一緒に調べていた俺にも何か来てるのか?
盃都は自分が昨日まで滞在していた場所を思い出し、一気に顔色が悪くなった。スマホを握りしめて立ち上がりデッキに向かう。電話帳の“あ行“をスクロールした。“
『──もしもし?』
『盃都か?』
受話器の向こうから迷いのない声で盃都の名前を呼ぶ男の声。春如の声だった。その声を聞いて盃都は一気に脱力してデッキでしゃがみ込んだ。春如が生きている。だがまだ無事なのか聞いていない。スマホを反対の手で持ち直して電話の向こうの春如に声をかける。
『ああ、爺ちゃん──俺だよ』
『なした?忘れ物だが?』
『そうじゃないけど、あの、じいちゃん、今朝は変わったことなかった?』
盃都の問いの言葉に意図が読めないという反応をする。当然だ。春如は何も変わらない1日を送っている途中なのだから。
『なした?今朝おめどこ駅さ送った後、梅澤さんがうちさ来て、今一緒に昼飯食べてら』
『は?』
想像の斜め上をいく状況に盃都はフリーズした。全く状況が読めない盃都をよそに電話口で楽しそうに語る春如。
『梅澤さんとおめのこと話してたった。昨日またうちの孫がコンビニまで送ってもらってって』
『そっか、よかった。警察官が一緒なら頼もしいね。あの、梅澤さんに変わってもらえる?』
春如は保留にせず受話器をその場に置いたらしい。背景音と春如が梅澤を呼ぶ声が聞こえる。間もなくしてあの関西弁が聞こえてきた。
『よおボウズ!昨日ぶりやな!』
『梅澤さん、早速じいちゃんを気にかけていただいて、ありがとうございます』
『ああ、これは偶然や。朝ランニングしとったら春如さんが、重そうにジャガイモが入った大袋抱えとったんや。危なっかしうて見てられへんかったから、運ぶの手伝っただけやで?まさか、自分のじいちゃんやとは思わへんかったけど。まあ、その流れで昼飯食べへんか?言われて、今、ご馳走になっとったんや』
偶然とはいえ十分すぎる援助に頭が下がる盃都。再び梅澤にお礼の言葉を伝えた後、本題に入る盃都。
『その、じいちゃんがお世話になっててアレなんですけど、この後、梅澤さんに頼みたいことがありまして……』
『なんや改まって』
『ちょっと、ある人の無事を確認してもらいたくて──』
『誰や?』
『
『彼女か?』
『そういうのじゃないです。昨日知り合った人でほとんど他人です。その、今朝、彼女、脅しみたいなことされてるっぽくて』
『はあ?誰かに脅迫されとるっちゅうこと?』
『多分──?』
『なんや自分、歯切れ悪いな。人にもの頼む時はハッキリせえや』
表情が見えない電話越しだからか、ただ単純に聞きなれない関西弁だからか。盃都は電話越しに梅澤の威圧感を感じた。
──助けを求める人を間違ったか?
だが他に現地で頼れる人間は残るは春如しかいない。春如は既に桜太の一家を匿ったことで過去に制裁を受けている。今、春如が松子に加担してしまうと余計に目をつけられてしまう恐れがある。そしておそらく、松子に警告文を送ったのは、十中八九、桜太の事件に絡んでいるあの町の誰かだ。昨日、松子が“掘り起こした“のは桜太の事件くらいだ。松子はそのためにあの田舎に来たのだから。
何をどう、どこまで説明すればいいのか分からなかった盃都は、梅澤に昨日から今日にかけて松子と共に図書館で2年前の事件を調べたことを伝えた。話を聞き終えた梅澤は声色が変わった。盃都は梅澤が一般人の梅澤から警察官の梅澤に切り替わったのを感じた。
『なるほど、事件を知られたない誰かが、彼女に脅迫じみた警告文を送ったっちゅうことか』
『おそらく』
『自分は大丈夫なんか?』
『今のところは何も。俺よりじいちゃんが被害に遭う可能性もあったので、電話して無事を確認したんです』
『なるほどね。OK、とりあえずこの後、そのホテルに行って彼女を確認してみるわ』
『あの、確認ってどうやって──』
『まあ、こういうのは俺の十八番や。まかしとき』
盃都は梅澤が露骨にホテルの受付に乗り込まないか不安があった。警察官が人を探しているというだけで町中に尾鰭背鰭がついた情報が拡散する田舎町。警告文を送ってきた何者かやゴシップ好きの田舎民に気づかれないように、松子の無事を確認して彼女に東京に帰るように促す手段を取って欲しい──と、無理な注文をどう伝えるか迷っていた盃都。だがその心配は無用だった。盃都が思っているより梅澤は機転がきくらしい。
梅澤が電話を切って30分しないくらいのことだった。盃都はまだ新幹線の中にいた。見知らぬ番号から電話がかかってきた。いつもは出ないが、こういう時は勘が働く。恐る恐る出ると聞き覚えのある女性の元気な声がした。
『ちょっと!いきなり知らない人を寄越すのやめてよね!押入り強盗かと思って警察官に暴行しちゃったじゃない!』
すぐに松子の声だとわかった盃都は急いで席を立って再びデッキへと移動する。
『無事だったんですね、鶴前さん』
『インスタのDMでやり取りするって言ってたのどこのどいつよ!?警察官を雇って電話させるくらいなら最初から連絡先教えなさいよね!』
電話口の松子は怒っている。盃都は察しが悪い方ではない。だが、松子が今、なぜ怒っているのか理解が追いつかなかった。松子が面識のない梅澤を遣いにしたことを怒っているのか。言葉通り、インスタではなく今こうして電話していることに怒っているのか。この電話をかけたのは盃都ではなく松子だというのに。
どうやら梅澤がホテルの客室清掃に変装して松子の無事を確認しに行ったらしい。バックヤードのシステムから鶴前松子の滞在している部屋を見つけ出した梅澤がスペアキーで侵入したところに松子は遭遇して、梅澤を不審者と間違えた松子が抵抗した。その後、盃都の名前を出してどうにか事情が伝わり今電話してきたとのこと。
盃都は考えるほど自分が責められる理由が見当たらず、この後思わず不服そうに口応えしてしまう。それが良くなかったのだろう。結果的に松子の怒りに油を注ぐことになる。
『そもそも、自分からDM送ってきておいてシャワーって。脅迫されといて、なんでシャワーに行けるんですか?どういう神経してんですか?』
『何よ?私朝シャワー派なの。悪い?』
『今、得体の知れない奴から自分の滞在先を特定されて脅されてるって時に、呑気にシャワーですか?俺言いましたよね?今すぐ荷物まとめて東京に帰った方がいいですよって。その後既読スルーしてシャワー入ってるなんて思いもしませんでしたよ。てっきり、あなたが、誰かに何かされてメッセージを返せない状況かと思ったんですよ』
『それは盃都のハヤトチリじゃん!これから警察官が向かうってことくらい教えてくれてもいいでしょ!?』
『あんたからメッセージ返ってこないのに、どう連絡つくと思うんだよ?直接人を送るしか思い浮かびませんでしたよ!』
二人の言い合いが終わりそうにないのを察知して、梅澤が松子からスマホを取り上げてスピーカーに切り替えた。
『まあまあまあ、そこら辺にしとき!無事やったんやから、とりあえずええやろ』
梅澤の仲裁で無言になる二人の間に気まずい空気が流れる中、梅澤は気にせず話し出す。
『こっちに来て1年も経ってへんけど、俺もこの町はどっかおかしいと思う。自分らが調べとるっちゅう事件についても、俺はよう知らん。俺がまだ大阪おった頃にテレビで見て知っとる程度や。この事件には裏があるんやと思う。やなかったら、こないに脅迫じみたことされへんやろ。たかが2年前の事件調べたくらいで。調べたゆうても図書館で2年前の広報誌読んでただけやろ?その他に自分ら、事件を調べてること気づかれるような行動しとらんやろ?』
梅澤の問にどう答えていいのか分からない盃都は、昨日、梅澤と初めて遭う前に訪れていた場所に松子も来ていたことを話した。すると、梅澤は少し考えた後、口を開く。
『事件現場に行っとったんか。やけど、盃都には何も手を出しとらんことを考えると、目をつけられてるんはあんただけやな』
『なんで?私だけ?盃都と一緒にいたんだよ?』
『レンタカー』
『『え?』』
盃都の呟きに松子と梅澤の疑問の声が重なった。脈絡もなく出てきた単語に、二人とも理解が追いついていない。松子は気付きそうだが、いまいち点と点を繋ぐことができていないらしい。盃都は冷静に推測する。思いつきとも言えるが、盃都の思いつきを否定できる要素が今のところ存在しない。盃都はある程度自信を持って自分の推測を披露する。
『鶴前さんの行動だけを追えるのは、鶴前さんにGPSをつけている人だけです』
『GPS?私がGPSつけられたってこと?いつ?』
『そういうことか』
梅澤は盃都の言いたいことを理解したらしい。松子は相変わらず理解に至っていない。盃都は松子のために説明を続ける。
『俺も部分的にとは言え、鶴前さんと一緒に行動していたのに、俺には何もなく鶴前さんにだけ警告文が送られた。つまり、この警告文を送った誰かは、俺らのことを直接見張っていたんじゃない。鶴前さんがどこに行ったかを見たんだ。しかも、訪れた場所だけで何をしているか分かるような場所に行ったことがきっかけで』
『レンタカーは盗難防止のためにGPSがついとる。利用者がどこを走ったんかも、レンタカー屋ならシステムさえあれば閲覧可能や』
『じゃあ、レンタカー屋の誰かが、私が借りたレンタカーのGPSを見て、私が2年前の事件について調べていると思って、事件を掘り返されたら困るから、警告文を出してきたってこと?』
『それなら、鶴前さんにだけ警告分が届いた理由は説明つくと思います。それにおしゃべりな鶴前さんのことだから、レンタカー屋でどこのホテルに滞在してるとか話の流れで喋っちゃってるんじゃないですか?』
盃都の指摘に反論できずに悔しそうな顔をしている松子を見て梅澤は笑う。それと同時に梅澤は思った。
──人のことをよく見とるんやな。
電話では松子のことをこう言っていた。昨日知り合ったばかりのほとんど他人─―と。その割に彼女のことをよく知り得ている。何にも興味なさそうに見えてしっかり相手のことを見ているのが、春如の姿と重なった梅澤は再び一人で笑うしかなかった。
盃都と松子のやり取りに和みつつも、スピーカー越しに話しながら三人は2年前の事件は明らかに裏で力が働いていることを悟り、全く笑えない状況である。念の為、今後何かあったときのために三人は正規の連絡先をそれぞれ交換した。
夏が終わるまでに盃都のラインをゲットしてやる──と昨日は意気込んでいた松子だったが、ラインを通り越して電話番号という超個人情報を取得できることになるとは思ってもみなかった。
松子は身の安全を確保するためにすぐ東京へ戻ることになった。松子の帰還については梅澤の指示だ。松子も駄々を捏ねる余地はなくおとなしく従った。松子に警告文が届いたことも、今回は警察に届け出ない方がいいだろう──と三人の見解は一致した。
もうこの事件は知らなかったことにした方が、全員の命の心配をしなくてもいい──と梅澤も言っていた。だが松子が脅迫じみたことをされたのは事実である。梅澤がそれを隠蔽するような警察官には見えないが、松子本人が被害届を出さなければ捜査しようがない。
しかし、盃都には梅澤がそれで諦めるような警察官には見えなかった。きっと密かに事件について調べるに違いない──と思った。
盃都が梅澤に松子の保護を依頼して松子から電話がかかってくるまで30分も経っていなかった。春如の家からホテルまで車で10分ほどとはいえ、残り20分程度で一連の流れをやってのけるとは、手際がいいだけでは済まない。変装をするためのものを調達して変装して、松子が宿泊してる部屋を探し部屋に直接乗り込み松子を説得して盃都に電話をかける。それを瞬時に思いついて実行できるの能力。盃都は思った。
──あの人は大阪にいるときはそれなりの部署でそれなりに高度な仕事をしていたんじゃないか?
そんな警察官がこの事件に関わるなと言うのだから、この事件からは盃都と松子の一般人は手を引いた方がいいのだろう。
盃都はデッキから座席に戻り、東京駅までの残り40分弱の時間考えていた。
──このまま手を引いた方がいいのか、一人でも地道に調べ続けた方がいいのか。
自分の身の安全を確保したい想いと、今までどこに隠れていたのか顔を覗かせ始めた存外強い探究心がせめぎ合っている。
三日前まで進路で悩んでいた盃都だが、田舎で過ごしたたかが二日間のおかげで悩み事が増えてしまった。今までにない強烈な夏休みをここで閉じてひと夏の思い出にするのか、桜太を殺した犯人を引き摺り出すための戦いのリングに上がるのか。終点の東京駅に着くまで、悶々と考えていた。
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