機材調達②
車両ユニットの前方カメラに映し出される区画の映像は、なおも闇に塗り込められていた。
機械でありながら、腐臭すら漂ってきそうな異形の群れ――オクトロンたち。触手のうねりは不規則で、カメラの映像処理が一瞬乱れるほどに生々しい動きをしている。
アークは無意識に声を出しそうになるのを、必死で抑えた。今は、言葉すらも危険だった。
『……アーク、よく聞いて。通信機はこの先の中央区画に保管されている。けれど、見た目は君の機体につけられているような通信機とは全く違う』
エルの文字情報が表示される。
その文字を追いながら、アークは操作を続ける。
『形は……円盤状で、黒曜石のような見た目をしている。ただ実体は流動的に変化する機械だ。今は形を保っているが、装着時の機体に合わせて勝手に変形する』
この異星文明の「通信機」は、アークの知る世界の技術体系から大きく逸脱しているようだ。形は基本的に決まっておらず、操作を行う対象にとって最適な形に変化する。つまりどんな文明の機体にも使えるという事だ。
『ただ、取り扱いには注意して。回収したらオクトロンはきっと気づく。タイミングはちゃんと考えないと、ここから脱出する事が出来ない。逃走経路を予め決めていこう』
アークは人間ならため息を吐いてる場面だなと考えていた。
言葉にしてはいけない上に、せっかく回収してもリスクがあるのだ。
『もう一つ警告する。オクトロンは飛び道具を失っている。長い年月の中で、エネルギー供給系統が失われたから。だから射撃される心配はない。けれど――』
文字は一拍置き、淡い光で震える。
『暴れ出せば、手がつけられない。あの質量、あの数。物理的に押し潰されれば、一瞬で車両ユニットは破壊される。だから、絶対に刺激しないで』
アークはごくりと唾を飲み込む。
人類の視聴者に向けて冗談を飛ばしていた頃の自分なら、きっと「ホラーゲームじゃん」とか軽口を叩いていたはずだ。だが今は、冗談一つ言えない。
本当に、一度の失敗が命取りになる。
ゆっくりと、遠隔で車両の操縦桿を倒す。
無骨な金属の脚が床を踏みしめた音が、わずかに響く。
その瞬間、アークの神経は張り詰める。
区画内の触手群が、ぞわりと揺れた。
(勘弁してくれ……っ)
だが幸い、オクトロンたちは再び沈黙へと戻る。まだ気づかれてはいない。
前方には、不揃いに積み重なった瓦礫。床板は一部が腐食して抜け落ち、鋼材が剥き出しになっていた。車両の脚を置く位置を誤れば、音を立てて落下してしまう。
アークは慎重にカメラの視界を拡大し、脚を一歩ずつ置いていく。
「カン……カン……」と硬質な音が響くたびに、全身の緊張がさらに強まる。オクトロンの群れはまだ遠いが、ノイズの唸り声が壁を震わせ、機体のフレームにまで響いた。
エルのコメントが再び浮かぶ。
『そのまま進んで。右側の通路は避けて。そちらは床が崩落している。左へ、大きく迂回して』
指示に従い、アークは車両を左へ旋回させる。車輪が瓦礫の角に引っかかり、ギシ、と軋む音を立てた。
その音に、奥の方で何体かのオクトロンが身をよじった。
触手が一斉に宙を叩き、ざわりと壁際が波打つ。
(頼む、気づくな……!)
車両の動きを止め、アークは一切の音を出すまいと気張る。
数秒が経ってから、オクトロンたちは再びノイズを吐き出し、元の不規則な動きへと戻った。
感情の起伏がさっきから乱高下している。
もし自分が生身の人間で、こんな作業を長時間続けたら精神が擦り切れてしまうだろう。だがやるしかない。
『もうすぐ中央区画に入る』
エルの文字が再び表示される。
画面の先、瓦礫の隙間から覗くのは、確かに彼女が言った通り――黒曜石のような物体と、それを支える六本の支柱があった。まるで生け贄を捧げる祭壇のように、静かに鎮座したそれを見れば、とても通信機とは思えないだろう。
その周囲にはなおもオクトロンが群れをなし、触手を壁や床に打ちつけていた。
わずかに近づいただけで、機体に伝わる振動が増していく。
(……あれが通信機か)
アークは無言で視線を固定する。
足場は脆く、オクトロンは徘徊し、空気はノイズに満ちている。これから先の一歩が、成功か失敗かを分ける。
車両ユニットは、ゆっくりと、黒き祭壇の方角へと進んでいった。
(よぉし……)
アークは息を殺すように、遠隔操作で車両ユニットのマニピュレーターを展開した。
金属質のアームがきしむ音を抑えながら、黒曜石の円盤へと伸びていく。光沢を帯びた表面は、周囲の赤錆だらけの金属とは明らかに異質で、わずかに淡い脈動を放っていた。
(……本当に、これが通信機なのか? 不思議な形だなぁ)
アームの先端が円盤を掴んだ瞬間、ぞり、と何かが擦れるような異音が響いた。黒曜石の物体は抵抗するように震え、アームの関節に微細な振動を走らせる。まるで「生き物」を掴んでいるかのようだった。
だが次の瞬間。
「ギュオオオオオ――!!!」
空間そのものを震わせる咆哮が轟き、オクトロンたちが一斉に蠢いた。
触手の群れがばちばちと火花を散らし、壁や床を叩きつける。その騒音は警鐘のように区画全体を揺るがした。
「っ――!!」
アークは反射的に操縦桿を押し込み、アームを強制収縮させる。通信機を掴んだまま、車両ユニットは急速に後退を開始した。
「ロロロロッ!!!」
オクトロンの群れが壁面を突き破り、宙を這いながら突撃してくる。金属が砕ける音、無数の触手が床を引き裂く音。区画全体が生き物の体内に変貌したかのように、恐怖を煽る。
(追ってきてる……っ!)
車両のキャタピラが唸りを上げ、瓦礫を跳ね飛ばしながら全力で駆け抜ける。もしこの車両が壊されたら、せっかくの努力も水の泡になる。
背後では、数十体のオクトロンが黒い奔流となって押し寄せ、わずかに遅れてはいるものの、速度差は心許ない。
『そのまま逃げても追いつかれる。』
エルのコメントが無機質に浮かび上がる。
アークは荒い息をつきながら叫んだ。
「じゃあ、どうすればいいんだ!?」
『この格納庫は老朽化している。構造体の多くは限界まで劣化している。……脆くなっている支柱を狙えば、区画ごと崩落させられる。奴らを足止めできるはずだ』
「……!」
振り返れば、オクトロンの群れが壁を食い破り、次々に姿を現している。触手の先端が鋭い槍のように床を突き破り、火花が散るたびに車両の背後へ迫ってくる。
アークは必死に視界を巡らせた。
赤錆に覆われた梁、折れかけた鉄骨、瓦礫に埋もれた柱。どれも弱ってはいるが、どこを狙えば一気に倒壊させられるかの判断は難しい。
車両のカメラが一瞬、天井を支える巨大な支柱を映し出した。ひび割れ、表面が剥離し、断面から白い粉のようなものが舞っている。
そこだけが明らかに他より脆く、支えを失えば天井の鉄骨ごと崩落する可能性があった。
(……あれだ……!)
アークは操縦桿を握り直し、必死に舵を切った。
だがその瞬間、背後からオクトロンの触手が鞭のように振るわれ、車両の外装に直撃する。
「ガァンッ!」
衝撃音と同時にモニタが一瞬ノイズで埋まった。警告音が鳴り響き、右側キャタピラがバランスを崩す。
「っ……!」
車両は瓦礫に片輪を取られながらも、辛うじて体勢を立て直す。
背後の群れはなおも距離を詰め、触手が床を叩き砕きながら殺到してきていた。
『アーク、時間がない。あの支柱を狙うしかない』
「分かってるって!」
振動で映像がぶれる中、アークは巨大な支柱を視界に収めた。
瓦礫と鉄骨に囲まれ、明らかに劣化しているその柱。
そこへ誘導すれば――オクトロンを一気に巻き込める。
(一か八かだ……!)
アークは必死に操縦桿を操作し、勢いよく走らせた。
(絶対に……ここで止める!)
車両ユニットは唸りを上げ、崩壊寸前の支柱へと突き進んでいった。モニタの中央にひび割れた鋼材が映り込み、アークは迷わず操縦桿を押し込む。
「――うおおっ!」
重厚な金属の外殻が、乾いた音を立てて支柱に激突する。
その瞬間、ひび割れは蜘蛛の巣状に広がり、白い粉が爆ぜるように飛び散った。
耳をつんざく悲鳴のような金属音。
支柱が支えを失い、きしみながら傾いていく。
やがて――轟音。
天井の鉄骨が自重に耐えきれず折れ、巨大なブロックが次々と崩れ落ちた。
巻き込まれたオクトロンたちが咆哮を上げ、触手を振り乱すも、容赦なく鉄骨と瓦礫に押し潰されていく。
「っ……やったか……!」
アークの胸中に、束の間の安堵が生まれた。
振動が収まり、背後で蠢いていた群れの大半は鉄の墓標の下に閉じ込められている。
(……何とかなった……!)
だが、油断したその刹那。
「ギャアアアアアア!!!」
轟く咆哮と共に、瓦礫を突き破って別のオクトロンが飛び出した。鉄骨を跳ね飛ばすその力強さに、アークは思わず目を見開く。
「なっ――!?」
触手が鞭のように振るわれ、車両の側面を直撃。
重金属の外殻がめり込み、制御盤に警告音が鳴り響いた。
『――損傷警告。推進系統に異常』
「まずい……!」
車両の右側後方にある推進エンジンが、衝撃で深刻なダメージを受けていた。本来なら地上移動用に加え、惑星軌道上の本体へ帰還するための補助推進装置でもある。
だがその出力ゲージは赤く点滅し、吐き出される煙がモニタの視界を曇らせていた。
(エンジンが……っ。これじゃ、本体まで戻れない……!)
アークの思考が一瞬空白になり、すぐに焦燥へと塗り替えられる。せっかく通信機を回収できたのに、このままでは瓦礫の迷宮で動けなくなるだけだ。
『アーク、落ち着いて』
エルのコメントが視界に浮かび上がる。
「どうすればいい!? このままじゃ――!」
『方法はある。回収した中に共振装置があるだろう?』
ヴェクター・リレーと呼ばれる異星の装置、ワープドライブ構築において必要と言っていた機械だ。
エルは更に続ける。
『幸い、このユニットには以前回収した小型ワープドライブが保管されている。通常は研究用途のため眠らせていたけれど……今なら組み合わせられる。通信機と共振させれば、この地上ユニットでも短距離ワープが可能になるはず』
「……通信機を使って、惑星軌道上にある僕の本体の位置を特定してワープすると?」
『その通りだ』
短距離とはいえワープができるなら、惑星軌道上の本体との座標を結び、一瞬で帰還できるかもしれない。
だがすぐに疑念が湧く。
「でも……そんな芸当、どうやって? この車両はただの探査ユニットだぞ!」
『理論上は可能。ただし制約がある。』
エルのコメントは淡々と続く。
『まず、共振装置の負荷に耐えられるよう、ユニットの電源を全てワープ系統に回さなければならない。つまり、移動機能や防御は完全に失われる』
「……つまり、止まったままになると?」
『ああ、無防備になる』
轟音がまた響き渡る。
なおもオクトロンが瓦礫を跳ね飛ばし、触手を振り回しながら迫ってきている。
「どうやって時間を稼げば……! このままじゃ――」
『任せろ、ただ君のアバター機能を借りる』
「は?」
その瞬間、アークの視界に異常な揺らぎが走った。
皮膚を裏側から撫でられるような、不気味で未知の感覚。
同時に、オクトロンの群れのすぐ近くに「光の人影」が現れた。
それは、アーク自身の少年を模したアバターではなかった。
輪郭は曖昧に光を帯び、仮初の人型として揺らめくホログラムだった。
「ギャアアアア!!」
するとオクトロンはホログラムに襲いかかった。
ただ何も当たらないせいで、虚空を見事に掠っていた。
「これはエル、君が……?」
『そう。囮に使わせてもらった。ホログラムは奴らの感覚器を強烈に刺激する。少しの間は時間稼ぎが出来る』
確かに、光の人影に気づいたオクトロンのいくつかが、触手を狂ったように振り回して攻撃を始めていた。
壁が砕け、火花が散り、格納庫の鉄骨に激しい衝撃音が反響する。
(……これなら……!)
驚きと同時に、わずかな猶予を得た安堵が胸をよぎる。
アークはすぐに車両の格納庫を操作し、例の共振装置を取り出した。
異様に重厚な黒い筐体。
角ばった外殻は幾何学的な文様に覆われ、まるで生き物の器官のように脈動していた。
「で、これ……どうすりゃいいの!?」
『ただ機体に取り付ければいい。――あとは装置が勝手にやる』
「……わかった……」
アークは躊躇した。
未知の装置を無造作に接続することへの本能的な恐怖。
だが時間はない。
「……なるようになれ!」
操縦桿を乱暴に動かし、マニピュレーターで共振装置をユニットの外殻に押し付けた。
――瞬間。
共振装置が音を立てて開き、金属の触手のような突起を伸ばした。まるで機械が機械を「喰らう」かのように、車両ユニットの表面へと深く侵食していく。
「なっ……!?」
外殻が軋み、パネルが次々とめくれ上がり、内部機構へと金属の枝が入り込んでいく。
ガチャガチャと獣の歯車のような音を立てながら、装置はユニットの骨格そのものを書き換えていった。
やがてユニット内部の格納スペースから回収済みのワープドライブ・コアが強制的に引き出され、黒い金属枝と融合を始めると眩い光が散り、電流が表面を奔った。
(形が……変わっていく……何か別の
アークの思う通り、車両ユニットそのものが、別の機械へと変わっていった。
外装は幾何学的な紋様を浮かび上がらせ、駆動部にまで黒曜石のような装甲が浸透していく。
車輪やキャタピラに代わって、未知の機構が姿を現す。
内部配線は再構築され、アークの操作盤にまでその変化は及んでいた。
「本当に……変形した」
彼の驚愕をよそに、共振装置は冷徹なまでに機能を浸食し、ユニットを“ワープ機”へと書き換えていった。
その時、不意に光の人影――エルの操作する囮ホログラムが掻き消える。
同時にエルのコメントが短く浮かんだ。
『準備は完了した』
まるでそれを合図にしたかのように、オクトロンが再びユニットへと殺到してきた。触手の群れが格納庫の床を突き破り、瓦礫を弾き飛ばして押し寄せる。
黒い奔流が迫り、今にも車両を丸ごと握り潰さんばかりに。
「エル! まだか!?」
『座標同期、完了。……今だ』
「うおおおおおっ!!!」
アークの叫びと共に、ユニット全体を包むように光が弾けた。空間が裂けるような音が響き、格納庫そのものが軋んだ。
オクトロンの触手が外殻に触れる寸前――車両ユニットは、光の奔流に呑まれた。
視界が一瞬にして白く弾け、全ての音が消え失せる。
次の瞬間には、崩壊しかけた格納庫も、迫り来る触手も、もう存在していなかった。
ただ、異常な重力の歪みに引きちぎられる感覚だけが残り、アークはその中で必死に意識を繋ぎとめる。
(……頼む……届いてくれ……!)
光が爆ぜる。
短距離ワープはついに発動した。
◆
轟音もなく、静かに視界が戻ってきた。
次に見えたのは虚空に浮かぶ車両ユニットだった。
「……成功、した……のか?」
アークは震える視線を外へと向けた。ワープの余波で車両ユニットの外殻はひび割れ、焦げつき、ところどころ歪んでいる。それでも形を保っているのは奇跡に近い。
同時にアークは車両の操作を打ち切り、マニピュレーターアームを伸ばしてユニットを絡め取る。無機質な金属の指が車両を優しく抱え、ゆっくりと衛星の格納区画へと引きずり込んでいった。
そこからが異様だった。
格納庫に収められた瞬間、車両ユニットの外装が脈動するように震え、金属の表面に光の筋が走った。共振装置によって変形を強いられたそれは、もはや元の機械ではなかった。異星の技術が刻み込まれた異形の器が、衛星本体に触れた途端、まるで磁石に吸い寄せられるように融合を始めたのだ。
「……おい、勝手に……!」
アークの制御パネルに、次々と警告と解析ログが踊った。
だが同時に、数値は加速度的に安定していく。人工衛星の基幹システムが、未知のモジュールを拒絶するのではなく、むしろ同化しようとしているのだ。
外殻が溶けるように剥がれ、配線とフレームが衛星の内部へと潜り込む。配列パターンは未知の数学的規則に基づき、アーク自身の設計では到底理解し得ない結合を示していた。
――カチリ。
最後のロック音が響いたとき、衛星の輪郭を走る光のラインが一斉に点灯し、外装の一部が変形する。従来にはなかった構造物まで迫り上がったせいで、人工衛星というより戦闘機のような形になった。
「……もう僕の機体はすっかり別物になった……何じゃこれ」
アークは言葉を失った。
表示された新しい機能一覧には、開発された覚えのない項目がいくつも並んでいた。局所的な空間歪曲フィールドの生成、エネルギーの自動循環機構、さらには一部の構造物を“可変”させるアルゴリズムまで。
まるで衛星自体が進化したようだ。
『……アーク』
不意にエルのコメントが表示される。
『良かった、上手くいって。これでもう少し宇宙で過ごしやすくなったし、動きやすくなった』
「……博士は……僕を見て気づくのかな……」
アークはため息まじりに自らの機体をスキャンする。
もはや異星からやってきた未確認飛行物体と言われてもおかしくない姿だ。
『気づくさ、アバターは何も変わらないんだから』
「そんな問題じゃない気がするなぁ……」
かつての姿も愛着があっただけに、若干複雑に感じたアークは、戻っても気づいてくれるだろうかと不安に思いつつも、とりあえず初めて知的生命体が生活していた星に降り立ち、冒険をしたという記録をきちんと残すのだった。
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