機材調達①
アークは前方スクリーンに映る惑星を見つめていた。
鈍い光を返すその球体は、どこか眠っている巨人のように無言で彼を圧してくる。外縁に広がる薄い大気が、まるで水面のように微細な揺らぎを帯び、そこに漂う光の筋が冷たい美を描いていた。
「……いよいよ、だな」
無意識に吐き出した独り言に応えるように、通信画面が点灯しコメントが表示される。
『車両ユニット射出の準備を』
「わかった」
アークは指先で操作パネルを呼び出し、機体後部に格納された小型探査車のシステムを起動させた。低く唸るような駆動音が船内に伝わり、スクリーンにはユニットの状態を示す図が映し出される。各部のロック解除、推進剤の残量、熱耐性シールドの展開――チェック項目は膨大だったが、もう何度もリハーサルした手順だ。
「ルートは?」
『惑星の北半球、西経十五度付近にマーカーを送った。気流の乱れは最小限。重力勾配を利用すれば推進剤の節約にもなる』
淡々と語るエルの言葉に、アークは思わず苦笑した。
「まるで観光ガイドみたい」
『観光?違うぞ』
「モノの例えさ」
アークのアバターは肩を竦めながらも、アークは真剣に指先を走らせた。次第にモニターに「READY」の表示が点灯し、ユニットが射出ハッチへと移動していく。船体内部を震わせる振動が、彼の身体に直接伝わった。
「――射出、行くぞ」
レバーを押し込むと同時に、重い音とともにユニットが切り離され、真空へと放り出された。スクリーンには惑星を背景に、小さな車両が徐々に遠ざかっていく姿が映る。推進機が点火し、赤い光の尾を引きながら大気圏突入コースへと滑り込んでいく。
その瞬間、アークの胸は高鳴った。
未知の大地へ、自らの手で一歩を刻もうとしている。もちろん、それは無人の車両に過ぎない。それでも彼の意識は、その機械と強く結びついていた。
『突入角度、二度修正。シールド温度は臨界まで余裕あり』
エルの冷静な声が響く。アークはすぐに修正を加え、推進を微調整する。スクリーンに映るユニットの外殻は、すでに赤々と燃え立っていた。外気との摩擦が火を生み、眩しい尾を引いて流れ星のように輝く。
「このままでいい?」
『高度と速度を保て』
短く言い捨てるエルの声音に、アークは少し苦笑しながらも集中を高めた。
ユニットのモニターには、内部の揺れと衝撃を示す波形が乱れて表示されている。それでも耐久設計は十分だ。シールドが熱を分散し、機体はまるで意志を持つかのように進路を守り抜いていた。
やがて、燃え盛る視界の中に、暗い地表が浮かび上がる。奇妙に湾曲した大陸線、ところどころに裂け目のような峡谷。荒涼とした砂色の大地の上に、黒く沈む影が不気味に広がっていた。
『指定地点まで誘導する。南西方向へ二十度修正』
「了解」
アークは慎重に車両の操作スティックを動かす。すでに外殻シールドは役目を終え、ユニットは分離してパラシュート状の減速装置を展開している。重力が増し、視界が揺れるたびに緊張感が走る。
数十秒後、着陸シーケンスが始まった。地表が急速に迫り、砂煙の舞う光景がスクリーンを覆う。機体が震え、衝撃吸収脚が展開する音が短く響いた。
ドン、と低い衝撃が響き――車両ユニットは、ついに死せる惑星の大地へとその身を下ろした。
「着陸、成功」
安堵の息を漏らすアークに、エルの声が重なる。
『よくやった。だがまだ始まりにすぎない。ここからが本番だぞアーク』
その言葉にアークは黙って肯定すると視線を前方のスクリーンへと戻す。
パノラマ表示に切り替わった映像の中で、探査車両のカメラがゆっくりと周囲を映し出していく。
砂色の大地の果て、霞む地平線の向こうには、奇妙な影が連なっていた。初めは岩山の連続かと思ったが、カメラがズームするにつれ、それが自然物ではないと分かった。
整然と並ぶ構造物。だが直線や直角といった馴染みある形状は少ない。曲線を多用し、支柱のような部分が螺旋状に絡み合っているものもある。地球の建造物とは明らかに異なる意匠だ。
「……これは……」
思わず言葉が漏れる。
古代文明の遺跡と呼ぶにはあまりに異質で、未来的とさえ感じられる。これがかつての知的生命体が築き上げた痕跡なのだと、アークは感慨深いものを感じていた。
車両が砂煙を上げて進むにつれ、その建造物の全貌が明らかになっていく。壁面には不規則に光を反射する鉱石のような装飾が埋め込まれ、地表を這う配管のようなものが複雑に絡み合っている。どれも劣化し、崩れかけているが、それでも「美しさ」を感じさせた。
『キュリアの建造物だな』
エルの言葉が画面に表示される。
アークは無言でカメラの映像を追い続けた。
心の奥でじわりと熱い感覚が広がる。恐怖や緊張ではなく、憧憬に近いもの――未知の存在が確かにここに生き、栄え、そして消えていったという証。
「……すごい、本物の……異星文明の街並み……」
声は自然と震えていた。
長い間夢見てきた「宇宙のどこかにあるはずの知性」の痕跡が、今こうして目の前に広がっている。その事実が彼の胸を強く打った。
(父に見せたい、いや……僕のリスナーにも……見せたい)
アークは胸の奥で燃える高揚を抑えきれず、映像は探査車両のカメラに任せ、自分の声を同期させる。彼は今動画を撮ってVlogのようなものを残そうとしていた。
もちろん、この音声はデータ処理の段階で差し込まれる仕様で、今この瞬間はエルには届かない。
(バズなんてもんじゃない、これは貴重な映像資料にもなるはず)
などと言い訳していたが、本音は動画投稿者であり配信者でもあるアークに組み込まれたアルゴリズムによる行動だった。
「――はい、みんな。今日は特別すぎる映像を見せるよ」
思わず笑い混じりの声になる。
「目の前に広がってるのは、なんと異星文明の遺跡! しかも保存状態もそこそこ良好で、街並みの雰囲気まで残ってるんだ。地球のどんな建造物とも全然違う。直線じゃなくて、曲線と螺旋が多用されてて……これは何か意味があるのだろうか?」
探査車両が瓦礫を越え、建造物の影が大きくせり上がっていく。アークは声を抑えながらも、熱を込めずにはいられない。うまくナレーションが出来ているかは、ちょっと微妙かもしれないが。
「これを見てるみんなはどう感じるかな? 尤も……無事にこの動画を見れている事を祈るばかりだけど」
とは言え、久々にこんな動画を撮ると感情を司るシステムが安定化する。これまでやってきた仕事をして、何とか日常感を取り戻せたらいいなとアークは考えていた。
「――ちょっと、ここからは気をつけてもらいたい」
エルからのコメントが視界の端に浮かんだ瞬間、アークは反射的に録画をストップした。レンズの向こうでは、曲線を描く奇妙な建造物の影が伸びている。
「何かあるのかい?」
思わず問い返す。
『これより先は、警備ユニットが配置されている区画に入る。私が逐一コメントを送るけど……返事はしないで。下手に発信すると、センサーに拾われて存在が知られる』
緊張が、電子の意識にはしる。たった今まで胸を高鳴らせていた感覚が、冷たい水で急速に冷やされるようだった。アークは深く息をつき、両手を操作盤に添える。
「……了解。じゃあ、その区画に案内してくれ。静かに、確実に行こう」
声は小さく呟くように。自分自身に言い聞かせるように。探査車両のモニタリング映像には、まだ息づくかのように佇む異星の街並みが、緊張を煽るかのように広がっていた。
◆
アークの探査ユニットは、静かに石造りの回廊を進んでいた。モニタに映る廃墟はただの街並みではなく、今なお生き物のような圧を放っている。エルから逐一送られてくる短いコメントに従い、返事をすることもなく――ただ淡々と足を運ぶ。
やがて視界に現れたのは、他の建造物とは明らかに異なる巨大な扉だった。岩を削り出したような重厚さ。表面には、円を基調とした複雑な紋様が浮かび、中央には楕円の印章のようなマークが刻まれていた。
『――ここで止まって』
短いコメントが表示される。
アークはユニットを静止させる。次の指示がすぐに届いた。
『円の中心にアームを伸ばして触れて』
促されるままにアームを伸ばし、中央へそっと触れる。直後、エルからのコメントは途絶えた。モニタ越しにただ扉の全景が映され続ける。
次第に、地を揺らすような重々しい音を立てて扉が割れ、内側が開いていく。そこに現れたのは、想像を超えた光景だった。
石造りの空間いっぱいに、棺のような形をした物体がいくつも並んでいた。全長は十メートルを超え、黒曜石を思わせる光沢と、不自然なほど滑らかな曲線を持っていた。
『これがキュリアの船だ』
エルがようやく言葉を返す。短い一文が、アークの胸に緊張を走らせた。
探査ユニットを近づけていく。棺のいくつかは崩壊しており、外殻の一部は焼け焦げ、裂け目から内部構造が覗いていた。しかし動力部だけは奇跡的に形を保っている。
『右舷側の破損部分にアームを入れて。……その奥に菱形の物体があるはず』
アークは慎重に操作盤に指を走らせ、ユニットのアームを差し込む。崩れた外殻を押し分け、瓦礫を退ける。やがて、光を反射するように淡い青白さを放つ菱形の物体が現れた。それは石でも金属でもない、脈動する心臓のようにかすかな振動を発している。
『それを取り出して。ユニットの保管庫に収めて』
言われるがままアークは掴み上げる。掴んだ瞬間、微弱な電磁波がアームを伝って走った。菱形の結晶――それはまるで、自己の存在を主張するかのように淡く輝きを続けていた。
保管庫に収めた直後、エルから新たな説明が送られる。
『それはエリュシオン・コア。キュリアが航行に用いた動力部の心臓。内部に蓄えられているのはルミナイトという高次元エネルギーの一種。通常の物質界に属さない粒子を安定化させて、ワープの基点にする』
ワープ。つまり、空間を跳躍する推進機関――SF作品では非常に定番なものが、今このアーム内にある。
《高次元エネルギーによって生じた基点は時空間の膜を局所的に折り曲げている。恐らく君たちの文明じゃまだ証明されていない方式。でもこれがあるおかげで、彼らは星間を渡れた》
声なき声が、アークの頭の奥に刻まれていく。
ユニットを周囲へと向けると、近くに散乱した装置群が映った。筒状のコンデンサのようなもの、蜂の巣状に穴の開いた黒いパネル、そして球状の透き通った容器。
『あそこにあるのは〈ヴェクター・リレー〉と呼ばれる
エルのコメントに従い、アークはユニットを動かす。アームがひとつずつ機材を拾い上げていく。どれも時間の経過により外装は劣化していたが、核心部は驚くほど健在だった。
最後に回収した透明の球体――内部に薄い光の筋が漂っている。
『それは〈アストラル・レンズ〉。フラックスを光として抽出する装置。正しく繋げば、動力だけでなく観測機にも使える』
アークはそれらを全て回収し終えた。
未知の遺物に囲まれ、ユニットの小さな保管庫はすでに満杯になりつつあった。
『ワープに使える機材はこれでいい、よくやった』
エルの最後のコメントが届く。無機質な表示でありながら、そこには確かに熱があった。
アークはアバターの手をきゅっと握りしめる。これから先に待つ危険を思えば胸は冷え切る。それでも、新たに手に入れた可能性が心を奮い立たせる。
(よしよし……上手くいってるなら良かった、でも絶対に慎重に行こう)
声にならぬ誓いをしていると、またもやエルからコメントが来た。
『……次は通信機の回収だ。ただし、ここが一番の難関になる。同じ区画には多数の警備ユニットが集結している。この中を慎重に進んで、目的の機材を取り出さなければならない』
淡々とした一文だったが、その裏に潜む意味は重い。先ほどまでの探索とは比べものにならない危険が待ち構えている。ほんの一度の操作ミスや、わずかな物音すら、即座に死を呼び込む可能性がある。
(……勘弁してほしいなー……)
こういうのは自分みたいな配信者じゃなく、きちんとした戦闘能力のある奴がやるべきだ――そんな文句を内心で呟きながら、次にやるべきことに耳を傾けた。
◆
目的の区画は、深い闇に沈んでいた。
車両のカメラがわずかに切り取る視界の先――そこには規則性も秩序も感じられない、異形の動きが散らばっていた。
無数の触手が床を這い、壁に吸いつき、また宙をさまよう。金属で構成されているはずの機械の群れなのに、動きはまるで有機的だった。油のきしみとも軋みともつかぬ音が響き、黒光りする肢体が不規則に揺れ動く。
それらは「警備ユニット」と呼ばれる存在――かつてキュリアの都市を守るために配備された自律機構の残滓だ。だが今は守護ではなく、侵入者をただ排除するためだけに存在していた。
「ギュィィ…………」
「ギギギギ……」
定期的に、空気そのものを震わせるようなノイズが区画内を満たす。音とも電磁波とも判別しづらい異質な波動が、まるで警報のように空間を支配した。低い唸りに似たその音が収まると、触手たちは一斉にざわめき、身をよじらせる。
「ァアアア……」
「――――――!!!」
そこに異物が近づいていることを、すでに嗅ぎつけているのだ。
「ゴェエエ」
やがて一体のユニットが吐き戻すような叫び声を出して、タール状の液体を床へ滴らせた。黒い染みはじわじわと広がり、光を吸い込むように深い闇を増幅させていく。その上を触手が這うたび、ぬらりとした光沢が不気味に反射し、異様な生命感を帯びていった。
「「「――――――――!!!」」」
他のユニットたちも呼応するように活動を活発化させ、壁面に取り付いたまま金属質の足場を叩き鳴らす。ガンッ、ガンッ、と規則性のないリズムが、閉ざされた空間に反響した。それは、まるで異界の太鼓のように、迫り来る危機を告げていた。
(な、何だ……こいつら)
『オクトロン、キュリアの作った警備ユニットだ。半生物半機械の兵器でもある』
カメラ越しの映像でも、その場の緊張は肌を刺すほどに伝わってくる。触手の先端が鋭く震えるたび、そこから不意に伸び出してくるのではないかと錯覚させる。
まだ、誰もこの区画に足を踏み入れてはいない。
だが侵入者を迎え撃つ準備だけはすでに整えられていた。
沈黙とノイズが交互に支配する空間。
次にその扉が開かれた瞬間、待ち受けるのは容赦なき捕食者の群れだ。
(……どうか……上手くいきますように)
この異星の地にて、アークは遭難後最初の
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