疑念
(エルの事はある程度信用していいかもしれない)
エネルギーを補給し、何とか星々の光が届く場所に導いてもらったアークは、エルが敵対心のない存在だと決定した。理由は助けてもらったからというのもあるが、何と言っても配信のやり取りと、自分が置かれている状況が大きい。
もし敵意があるのなら、あの時点で自分はとっくに排除されている。甘く見積もっても、エルは地球の文明を遥かに凌ぐ技術力と知識を持っている。その気になればどうとでもできる筈だ。依然として「どんな存在か」という点では不明瞭だが、前に進むためにはエルの協力は欠かせないとアークは悟っていた。
だから、アークは自身が持つ星図データを開示することに決めた。
配信チャンネルの奥で、淡い光のスクリーンに星々が散りばめられる。無数の点はそれぞれ恒星や宙域の目印であり、その一つに彼の故郷の系が含まれている。
「……エル。頼みたいことがある」
『頼みたいこと? 内容による』
画面の隅に浮かぶエルの反応は、あいかわらず中性的な声で、感情を推し量るのは難しい。だが拒絶ではない。聞く耳を持ってくれているだけでも、今のアークには救いだった。
「僕は……地球にいる父と連絡を取りたい。きっと心配しているはずだ。消息が途絶えたことも、全部把握してるだろうし……」
一拍おいて、アークは星図の一点を指差す。
「この銀河系。僕の星がある場所だ。ここからだとどこに行けば通信が届くか教えて欲しい。もし前みたいに助けてくれるなら……ありがたい」
言葉を口にした途端に
口数は少ないが、いつも温かい眼差しを向けてくれた。最後に交わした会話が、どれほど大切なものだったかを今さら痛感する。
沈黙が数十秒流れる。宇宙の静けさが機体の内側にまで染み込むようだった。
ようやく返ってきたエルの声は、穏やかだがどこか曖昧さを含んでいた。
『構わない。だが、星図のデータを確認してみても……思い当たる宙域がない』
「……っ、どういうことだ?」
アークの心臓部に似た人工振動子が重く跳ねる。
「データは正確なはず……。まさか座標がズレてるのか? それとも……」
『断言はできない。だが、少なくとも私が知る限りでは、その銀河系に該当する領域は見つからない』
言葉が突き刺さるようだった。胸の奥に小さな穴が開いたような感覚がアークを襲う。自分の故郷が「見当たらない」と言われることほど恐ろしいことはない。
(いや、そんなはずはない)
アークは必死に否定した。
星図は正しいものだ。
「……どうすればいい……」
言葉が途切れる。声ににじむのは焦燥と諦めの狭間にある揺らぎだった。
するとエルが再びチャットを立て続けに送る。
『落ち着け。完全に道が途絶えたわけではない』
「……?」
『宙域を特定できずとも、機体そのものを改良すれば、遠距離通信の可能性は高められる。つまり――君の機体のスペックを上げてやればいい』
「……本当に、そんなことが出来るのかい?」
『理論上は可能だ。君の機体は恒星光を基盤とするエネルギー供給を持っている。だが送信系統はあまりにも旧式だ。限界距離を超えると、当然信号は拡散し、雑音に埋もれてしまう』
エルは淡々と分析を重ねる。
『もし増幅器を組み込み、次元的な波を利用して情報を圧縮すれば……君が望む「地球」へ届く可能性もある』
アークは言葉を失った。
希望が小さな光となって差し込んでくる。ほんの一筋でも、彼はその光に縋りたいと思った。
「……じゃあ、それを……やってくれるのか?」
『もちろん――と言いたいが、やるのは私じゃない』
エルはアークの予想もつかない一文を送ってきた。
『君自身の手で行ってもらう』
◆
暗闇に沈んだ研究所。
外の時刻を示すものはなく、閉ざされた空間の中では時間の流れそのものが歪んでいるかのように感じられた。照明は落とされ、壁面に取り付けられた古びた配管からはかすかな金属音が響く。唯一の光源は机の上に置かれた一台の端末。液晶画面の明滅が、部屋の奥に座る人物の横顔を断片的に浮かび上がらせていた。
カタカタ、とキーを叩く音が不規則に響く。
その人物は長い間そこに座り、膨大なデータを入力し続けていた。細かな数値、星図の断片、未知の符号。どれも常人には意味を成さないものだが、彼にとっては一つ一つが必須の断片だった。
「……あと少しだ」
かすれた声が漏れる。自分を鼓舞するように。
指先は年齢を示すように節張っており、長時間の作業で血流が鈍くなっているのか動きは重い。だが止まることはなかった。
やがて最後のキーを打ち終えると、画面の隅に小さなウィンドウが現れる。
《データ保存中……》
青白いバーがじわじわと伸びていく。その進捗を見つめながら、男は深く息を吐いた。
保存されているデータは膨大だった。
それこそかき集めるだけで何年もかかるほど。
「ふぅ……」
男が一息つき、保存完了の音が鳴った直後だった。
「――――――!!」
研究所全体が揺れる。
壁に立てかけられた器具が床に落ち、金属音が反響した。蛍光灯の死んだ管がかすかに震え、奥の実験槽が不気味な軋みをあげる。
「く……」
男はとっさに机の端を掴んだ。長年慣れ親しんだ施設の振動ではない。これは外からの衝撃ではなく、この研究所そのものの深部で何か巨大なものが蠢いているかのような震動だった。
耳を劈く轟音がしばらく続き、やがて徐々に収まっていく。
残ったのは、沈黙と、低い残響だ。
男は大きく息を吐き、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
「ふぅ……危なかった」
小さな笑みを浮かべたが、その笑みは疲労に満ちている。
机上のモニターには保存済みのアイコンが点滅していた。外部装置への転送も完了している。これで最低限の使命は果たした。
男は椅子から立ち上がり、暗闇の中で背筋を伸ばした。
長時間の作業で凝り固まった背骨が、パキリと乾いた音を立てる。
ふと、彼は小さく呟いた。
「……アーク」
それは愛おしさと苦悩を混ぜ合わせたような声音だった。
口にした瞬間、瞳にわずかな光が宿る。
男――佐藤博士は再び端末に視線を落とし、保存された膨大なデータ群を確認する。指先で触れたファイル名の多くは暗号化されており、他者が解読するのは容易ではない。だが、その中にいくつか――アークの名前を冠するフォルダがあった。
「届けなければならん。たとえ宇宙のどこにいようと……必ず」
その言葉は誓いのように低く響いた。
暗闇に包まれた研究所の奥で、保存装置の小さなランプが淡く瞬いている。その点滅は、まるで遠い宇宙の星明かりのようでもあった。
そして博士は深く椅子に腰を下ろし、再び端末に手を伸ばす。
未だ終わりは見えない。だが、彼が守ろうとするものはただ一つ。
――愛する息子、アークとの「繋がり」だった。
◆
(――よし、流れを上手く掴めば大丈夫だな)
アークは再びリュミナ・フラックスに突入していた。
正しく解析し、同調する波を掴めば、通常の航行システムを凌駕する速度で空間を跳躍することが可能になる。だがひとたび位相を誤れば、粒子の奔流に飲み込まれ、機体ごと分子単位に分解される危険性も孕んでいた。
その危うい光の道をアークはたった一人で進んでいた。
ただその反面――外壁を打つように流れていく光の線はまるで無数の矢が闇を貫くかのように鋭くて美しかった。
(にしても……系外惑星の探査か……)
アークはアバターは展開せずに、思考回路の中で感慨深そうに言った。
《目的地までのルートは正常です》
機体の補正システムは、エルから受け取ったアルゴリズムを実装したおかげで、これまでよりも安定してフラックスの流れを捉えていた。
とはいえまだ気を抜くことはできない。航行データを逐一確認し、位相が外れないよう細心の注意を払う。視界に映るのは漆黒の宇宙と、奔流する光の川。進む先には、エルが示した「座標」が待っている。
自然とアークの脳裏に浮かんでくるのは、ほんの数時間前のやり取りだった。
――数時間前。
『ひとつ、座標を送る』
通信画面の片隅で、エルが淡々とした口調で告げた。
その瞬間、アークのモニターに無数の星々の中から一つの地点が示された。
青白いマーカーが点滅し、そこが彼の次なる目的地であることを示している。
「ここは……?」
訝しげに問いかけると、エルは一拍置いて答えた。
『かつて高度な文明が栄えていた星だ。だが今はもう、誰も住んでいない』
「……廃墟みたいになっているの?」
『そう』
アークは小さく眉を寄せた。
エルの言葉には、どこか重みのようなものが感じられた。ただの事実を伝えているだけなのに、その裏にある「何か」を隠しているようにも聞こえる。
「そこに行って、何を探せばいい?」
率直に問いかけると、エルは逆に質問を返してきた。
『君の機体には、地上探査用のデバイスはあるか?』
「……デバイス? ああ、小惑星探査で使った車両がある。完全自律型じゃないけど、操縦席から制御できる。荒れ地でも進める程度には頑丈だ」
それを聞いたエルは、あっさりとした調子で答えた。
『充分だ』
「充分って……何に対して?」
食い下がろうとしたアークに、エルは淡々と答える。
『詳しいことは、その惑星の軌道に到達してから説明する。準備はしておいて』
その言葉は、どこか試すようでもあり、また「覚悟を決めろ」と告げるようでもあった。
アークはしばし沈黙し、やがて苦笑を浮かべた。
「結局、また後出しか……」
けれども不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、未知の星に降り立つことへの期待と緊張が上回った。地球外知的生命体の文明がかつて築かれた星――SF的にはよだれが出そうなワードで構成されている。
「もうすぐで着くな……」
機体の中は静かだ。
だがその静けさの奥で、期待感が強まっているのが自分でも分かる。それと同時にどんどん自分が、機械というより人のようになっていく気がしていた。
――父さん。
思わず心の中で呼びかけていた。
届くはずもない声。けれどもあの人ならどこかで自分を見てくれている気がする。だからこそここで止まるわけにはいかない。
《到着しました》
システムが到着を告げると同時にフラックスの流れが収束し、視界が徐々に安定していく。
暗闇に点々と光が散らばり、その中に一際強く輝く星が浮かび上がる。
アークは驚きから固まった。
「あれが……」
眼前に広がるのは、かつて文明が栄えていたという惑星。
薄い大気に覆われた外殻がわずかに反射し、星光を鈍く返している。その姿は死んだ星のようにも見えたが、同時にまだ何かが眠っているかのような存在感を放っていた。
「……エル、見えてきたよ」
短く告げると、すぐにエルがチャットを送ってきた。
『ああ。ここからが本番だ』
長い航行の果てに辿り着いた未知の惑星。その表面には無数のクレーターや裂け目が走り、崩壊しかけた都市の残骸らしき影が点々としている。荒涼としているのにどこかで生命体の存在を感じるのはこの残骸のせいだろう。
『ここにはかつてキュリアという知的生命体が存在していた。だが、彼らは戦争で滅び去った。今となっては廃墟と機械の残骸しか残っていない』
エルの説明に、アークは僅かに眉を寄せた。
キュリア――どんな種族だったのか。外見も思想も、今のところエルの口からは断片的な情報しか聞けない。確かなのは彼らが高度な文明を築いていたということだ。
『キュリアは死んだ。だが彼らが残したものは生きている。惑星各地に投棄された基地や工廠、無数の機械群。そして……大量の宇宙船だ。小さな部品でさえ、君の機体を根本から変えるほどの性能を秘めている』
宇宙船の部品――もしそれが手に入れば、通信機やワープドライブの使用が可能になる。今の彼にとって、それは地球への帰還、あるいは父との交信のための唯一の希望だった。
『アーク、君には車両ユニットを使って、通信機とワープドライブの回収に向かってもらう』
「……わかった。内容は理解した。でも――注意事項はあるんでしょう?」
一瞬の沈黙の後、返ってきた文字は簡潔で冷たい。
『原生生物はほとんどいない。だが警備ユニットは今も起動している。投棄された基地のシステムが、彼らを延々と稼働させ続けているんだ。見つかれば容赦なくスクラップにされる』
「つまり、敵意を持った機械相手ってことか」
『そうだ。こちらから干渉しない限り、彼らはただの亡霊のように巡回を続けるだけだ。だが、一度でも認識されれば……君の機体では勝ち目はない』
淡々とした文面の中に、わずかながら警告めいた冷たさを感じ取った。アークは唾を飲み込み、深呼吸で気を落ち着ける。
未知の惑星、滅びた文明、今も生き残る警備ユニット。全てが危険と隣り合わせだった。
「安全な着陸点はあるのか?」
『ある。私が誘導する。心配はいらない』
そう言い切るエルにアークは自然と疑念を覚えた。
(にしても……どうしてここまで協力してくれるんだろうか)
敵じゃないにしろ、やけに親切だ。
アドバイスはしてくれるし話しやすい。
ありがたいのだが……動機は何なのかはわからない。
「エル……改めて聞いてもいい? どうして僕を、ここまで手助けしてくれるんだ。正直……動機がわからないんだよ」
数秒、チャットは沈黙した。アークは心の中で言葉を続ける。
(地球のためか? それとも僕自体に興味があるからか? もしくは、もっと別の……)
やがて画面に文字が流れた。
『私が君に協力するのは、君が動くことで私にとっても意味があるからだ。君は未知の宙域を進み、私が直接行けない場所に触れていける。君が成果を得れば、私も情報を得られる』
つまりエルは自由に動けないという事になる。
ますます謎は深まったが、そう考えるとアークは複雑だった。
何だか駒のように思えたからだ。
「……僕を駒扱いしてない?」
駒の意味はわかるのだろうか――と不安になったが、すぐに返ってきた。
『駒だと受け取るのは勝手だが、互いに利益がある関係を“駒”とは呼ばない。私は君に嘘をついていないし、君も私の助けを必要としている。それで良いだろう』
痛烈な正論だ。
『君は父と連絡を取りたいんだろう? ならやるべきことは一つだ。余計な疑いを抱いて足を止めるのではなく、前に進む事だ。それが君の目的に一番近い道になる』
胸を撃ち抜くような一文にアークは深く息を吐いた。
確かにそうだ。疑心を抱いても現状は変わらない。エルの真意がどこにあるかを探るよりも、父と交信する術を手に入れる方が先決だった。
「……わかったよ。僕は進む。エルの誘導に従う」
『それでいい。着陸点を示すから備えてくれ』
新たな座標がチャットに流れた瞬間、アークの機体はわずかに進路を修正した。
目指すは、滅びたキュリアの遺産――そして、自分の未来へ繋がる希望の断片だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます