第2話 アルクスの教えと深夜の襲撃者②


 部屋の真ん中に椅子を持ってきて、対面になって座る。

 ミティスさんとの距離は膝をつきあわせるくらい近くて、ちょっと気恥ずかしかった。

 くすりと笑み、こほんと咳をしてから、ミティスさんは話し始める。


「それでは、まずはこのお話から――」


 ……それから聞いた話をざっくりとまとめると、それはこの世界の創世に関わる話だった。

 全ての始まりである【無】。そこから生まれた【精霊】たち。

 この世界をつくり、たくさんの命が芽吹き、そこには当然のように諍いが生じて、やがてほとんどの精霊たちはいなくなってしまった。

 そのなかで、人間たちに導きを与え、知恵を与えた精霊がいた。

 精霊の名前はアルクス。

 そして、その精霊を崇めているのが「アルクスの教え」――簡単にまとめてしまえば、そういう話だ。

 そうした創世話を聞いて、僕はたいした感想を覚えなかった。

 元々、宗教やその類には疎かったから、どうしてもそういう反応になってしまうというのはある。

 もっと自分に学があれば、元の世界にあった宗教との相似性や、その違いについて考えることもできたかもしれない。

 けれど残念ながら、僕は向こうの世界にいた頃、「宗教と」いう単語を聞くだけでなんとなく距離をとってしまう人間だった。

 それに、そうした教義や成り立ちより、もっと気になることがある。

 もっと実際的な部分。

 ようするに、「アルクスの教え」はいったいどういう人たちによって運営されていて、どういう行いをしているか、ということだった。


「……そうですね。実際に我々が普段どういう活動をしているかというと、【加護】と【救護】になるでしょうか」


 長い長い始まりの話のあと、僕からの質問にミティスさんはそう答えた。


「加護と救護。ですか?」

「そうです。――精霊アルクスは言いました。隣人に愛を。病人に施しを。協調こそ我らが力。火を灯し、それを撚ってこそ、炎は夜を灯す光たるのだと」


 ミティスさんの物言いはわかりにくかったけれど、弱者救済のことを言っていることはわかった。


「そうですね……。【弱者救済】というより、【相互救済】といったほうが近いと思います」

「相互救済?」

「はい。我々に弱者も強者もありません。なぜなら、この世界においては、人類そのものが圧倒的な弱者なのですから」

「それは――たくさんの種族の生き物や、魔物がいるから?」

「はい、そうです」


 ミティスさんは穏やかにうなずいた。


「この世界に生きる多くの種族たちは、その大半が我々より強靭です。彼らは息を吐くように魔法を操り、その種類も実に多彩です。それに対して、我々は精霊に【乞い願わ】なければ魔法を扱うことができません」

「乞い、願う……」

「もっと違う呼び方で言えば、それを【契約】と言います。我々アルクスの使徒は精霊アルクスと【契約】することで、その力を扱うことを許されるのです。不幸を祓い、護りを与える。その力で傷を癒し、病を治すこともします」

「それで、加護と救護なんですね」

「はい。そうです」


 魔法で傷を癒し、病を治す。

 つまり、「アルクスの教え」はこの世界における病院の役割を担っているのだ。

 元の世界でも、昔はそういうことが広く行われていたって習ったおぼえがあった。

 祈祷とか、祈りで病気を祓うということが。

 ただし、元の世界がそこから現代医療へと発展していったのに比べて、この世界はそうはならないのかもしれない。

 少なくとも僕が元いた世界とまったく同じ道には進まないだろう。

 なぜなら、この世界には実際に『魔法』が存在するのだから。

 ――魔法。

 本当に、すごい力だと思う。

 まだ実際にいろんな魔法を見たわけじゃないけれど、それが実在することは間違いない。

 今、僕がこの世界にいることそのものが、魔法が存在することの証明なのだから。


「……アルクスの教えを学んだら、僕にも魔法が使えるようになるのかな」


 独り言をよそおって、僕はそっとつぶやいてみる。

 それはちょっとした確認みたいなものだった。

 元の世界に戻りたい僕が魔法への意欲をみせることについて、ミティスさんがどういう反応をするか。

 それで、彼女たちのスタンスの一端が垣間見えるんじゃないかと思ったのだが、実際の反応は僕が予想したものとは真逆のものだった。


「もちろんですっ」


 それを聞いたミティスさんは表情を曇らせるどころか、こちらの手をがしりと握りしめた。


「あなたにそのつもりがあるのなら、是非一緒にアルクスの教えを修めましょう。そうすれば、あなたにもきっと【啓示】が下りるはずです!」


 キラキラと瞳を輝かせるミティスさん。

 突然の、そのあまりの熱量にちょっと引きながら、僕はかろうじて愛想笑いを浮かべる。


「そ、そうですね。頑張ります……」


 ……それからミティスさんはより一層、熱を込めてアルクスの教えについて語ってくれた。

 僕が解放されたのは、とっぷりと日が暮れてからのこと。


「あら、もうこんな時間ですか。それでは、続きはまた明日にしましょう。ご飯を持ってきますから、待っていてくださいね」


 すっきりとした顔で部屋を出ていくミティスさんを見送りながら、思った。



 ――宗教って、やっぱり怖い。



 ◇◆◇



 一日中、ミティスさんについて話を聞いていたおかげで、「アルクスの教え」についてはある程度知ることができたと思う。

 けれど、代わりにそれ以外のことはまるっきしだ。

 この世界のことや、この国や、それ以外の国々のこと。

 存在するというたくさんの種族や、魔物や魔族と呼ばれるものものについてなど。知りたいこと、知らなければいけないことはいくらでもある。


「やっぱり、本を読めないっていうのは辛いな」


 食事が終わり、あとは寝る以外にやることがないという室内で、僕はそう独りごち多。

 読み書きが出来ない以上、知識を得るためには誰かから直接教わるしかない。

 現状ではミティスさんにお願いするしかないのだけれども、四六時中お願いするわけにもいかない。

 まあ、今日の様子から察するに、頼めば延々と教えてくれそうではあったけれど。特に、「アルクスの教え」についてなら喜んでそうしてくれそうだ。

 だが、知識の供給先がミティスさんだけというのも、それはそれで不味い。

 その知識が本当に正しいのか。

 たとえ正しいにせよ、一方にだけ偏ってはいないのか。

 誰か一人からの知識では、それを確かめる手段がないからだ。

 かといって、ここの人たちにお世話になりながら、「それ以外の価値観についても教えて欲しい」だなんて口にするのは、さすがに図々しすぎる。

 下手なことを言って、変に警戒されるのだってよくない。

 そもそも、彼らの志向する知識を僕に与え、価値観を自分たちに都合よい方向に誘導することも、彼らは考えているはずだった。

 彼らにとっては、彼ら以外の価値観を僕に教える義理などありはしない。

 そんなことはわかっているからこそ、誰か、ミティスさん以外の立場から、自分にこの世界の知識を教えてくれる人が欲しかった。

 もちろん、そんなのはただの高望みだとわかっている。

 そんな都合のいい相手なんて、


「あっ」


 ――いた。

 一人だけ、そんな都合のいい相手が。





 ――ふざけるな、この異世界羽虫が――


 開口一番、目の前のモヤが言った。

 異世界羽虫。

 ひどい言い様だ。

 さっさとベッドに入り、眠りにつく。

 思ったとおり、昨晩とおなじく目の前に現れた影に対して、僕はまだ一言も口をひらいてはいなかった。

 それなのにこの台詞ということは、この影にはこちらが言いたいことなどすべてお見通しなのだろう。


 ――当たり前だ。この愚か者め――


 呆れたように影が息を吐く。


 ――儂とお前は繋がっておるのだ。貴様が考えていることなど、知りたくなくても知れる。そちらの世界の知識をこの儂に教えて欲しいと、そうほざくのであろう――


 凄い、本当にわかってる。


「なんだよ。いいだろ、俺が頼れるのなんて、あんたしかいないんだ」


 ――頼る? 頼るだと?――


 あはは、と影が笑った。

 昨日も聞いた笑い声。

 ただし、今のそれは昨晩のような快活な笑い声とは違う、どこまでも暗くて重い哄笑だった。



 ―――ふざけるなよ?――



 静かな怒気に塗れた、その台詞を聞いた瞬間。


「ぁ――」


 意識の全てが吹き飛んだ。


 全身がバラバラにされたように、自我が吹き散らされる。

 そのまま散り散りになり、それをまた細切れにされ、散々に磨り潰されて――



 ――





 ――――









 ――――――――














「――っ、がはッ! ……はあ、はあっ、はぁ……!」


 永遠に思えるような空白のあと。

 唐突に意識が戻り、がくりとその場に膝をつく。

 夢のなかだというのに、全身に汗をかいていた。


 ――格の差というものを、少しは理解できたか?――


 影が言った。


 ――なにやら勘違いしているようだが。貴様、儂が直接お前を手に掛けられないからといって、自分が殺されないとでも思っているのではないか?――


 呆れるようにゆらゆらと揺れながら、


 ――貴様程度、言葉だけでも自ら散るように仕向けるなど容易い。儂とお前は生き物としての立場が違うのだ。精々、言葉には気をつけるがよい――


 目の前の影を見上げながら、改めてぞっとする思いを覚える。

 確かに、少し思い違いをしていたかもしれない。

 契約を交わしたのだから、こちらに危害を加えることはないだろうと。高を括っていた。

 目の前にいるのはただの影に過ぎないにせよ。

 その正体は間違いなく、“魔王”なのだ。


「……それで」


 ――ん?――


「……それで、俺にこっちの世界を教えてくれるのか?」


 ――ほう。いい根性をしているな――


 影の声が冷ややかに凍る。

 ちりちりと意識に触る気配に頬を引き攣らせながら、続けた。


「格の差? 立場? わかってないのはお前のほうだろうが」


 ――なんだと?――


「俺は、すぐにだって自分の世界に戻りたいんだ。そのために、必要なことならなんでもやる。こっちの世界のことを知りたいし、読み書きだってできるようになりたい。

 だから、お前に頼んでるんじゃないか」


 だって、それが一番てっとりばやいんだから。

 格の差だとか、立場だなんてものにかまっている余裕なんて僕にはない。


「あんたのプライドなんて、知ったこっちゃないんだよ」


 そんなに誇りが大切なら――


「これから一千年、一人ぼっちでネチネチと捏ねくりまわしてろ!」


 ――…………――


 しばらく、影は沈黙した。

 さっきまでの重厚な気配はどこかへ去り、無言で佇んでいる。

 やがて、


 ――ふん、くだらんな――


 白け切った声色が、その場に響いた。


 ――口だけは達者な奴だ。精々、その舌で小賢しく立ち回ってみればよかろう――


「あ、おいっ!」


 相手の気配が遠ざかるのを感じて、慌てて声をかける。

 薄れゆく影はそれを無視するように、


 ――儂は忙しいのだ。お前などに付き合っていられるか――


「待てって! だから、こっちの世界のことを――」


 ――目覚めたら、窓を開けて待っていろ。そのうちに向こうからやって来る――


 薄れていく意識のなかで、影の声が届いた。


 ――ディアと呼べ。それで事足りる――



 ◇



「待てって言ってるだろ、この性悪魔王!」


 自分の声で起きて、ベッドのうえに飛び上がった。

 むなしく突き出された自分の右手の影に、深くため息をつく。

 枕元の蝋燭は消え、室内にはとっくに暗闇が落ちている。

 暗がりのなかで、僕はぼんやりとさっきのやりとりを思い出した。


「窓を開けて待っていろ、とか言ってたっけ」


 夜、木窓は必ず閉めるようにミティスさんから言われていた。

 虫が入るからだろうと思っていたが、その窓を影は開けろと言う。

 それになんの意味があるのかはわからない。

 とにかく、指示に従ってみるかと窓に寄り、木窓の取っ手に手をかけた。

 力いっぱい開け広げたその瞬間、


「それを、待っていたぞ……!」


 冷ややかな声と共に、力いっぱいに押し倒された。

 後頭部を思い切り床に叩きつけて、視界いっぱいに火花が散る。

 激痛にその場で転がり回りたい衝動に襲われる、その首元にひたりとなにかが当てられた。


「――【動くな】」


 突きつけられたそれが、刃物。あるいは、それに類する代物だと理解して、全身が強張る。

 息をすることさえ封じるように、強く圧迫された。

 ごくりと唾が鳴る。

 動揺を落ち着かせるために薄く呼吸を繰り返しながら、僕は目の前の相手を凝視した。

 ――今まさに、自分を殺そうとしている侵入者。

 その外見はほとんどわからない。

 ただし、こちらに馬乗りになったその重さの感覚から、小柄な体格だという見当だけはついた。

 外から差し込んでくる月明かりが、かろうじてその輪郭に形色をつけている。

 闇夜に輝く金色の双眸がこちらを見下ろし、暗がりのなかで爛々と輝いていた。


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