第3話 二人目の協力者①


 目の前の影に誰何を叩きつけるより早く、相手の方が動いていた。

 無言のまま、大きく右腕を振り上げる。

 その手に握られたなにかの刃物が、月明かりを受けて瞬くように輝いた。


「……くっ!」


 そのまま躊躇なく振り下ろされる。

 正確に顔を狙って繰り出された一撃を避けようと、僕は捩じるように身体を捻らせた。


 ガッ!


 まさに間一髪。

 切っ先が、硬い音を立てて床に突き刺さる。

 相手がそのまま右腕を払ってくることは容易に想像できたし、今の体勢でその攻撃を避けることはできないことはわかっていた。

 大きく息を吸い込み、下半身に力を込める。

 ――実際に跨られているから、わかる。この相手の体格は小柄だ。

 なら、体重だって決して重くないはず。

 僕が全力で腰を跳ね上げると、思ったとおり、相手は意外なほどあっさり体勢を崩してくれた。


「っ――」


 暴れ牛に翻弄されるロデオのように、影は僕のうえでバランスをとろうとする。

 そこで生じた隙間にねじ込むようにして空間をつくり、無理やりに右足を引き抜いた。そのまま相手を思いっきり蹴り飛ばす。


「痛っ!」

 

 想像していたより可愛らしい悲鳴をあげながら、侵入者は盛大に床を転がっていった。

 転がって転がって、次の瞬間にはあっさり態勢を立て直している。

 四肢を踏ん張り、壁にぶつかる寸前でピタリと制動。

 闇夜に浮かぶ一対の瞳が油断なく、ひたりとこちらを見据えていた。

 その姿勢は這うように低く、僕はまるで闇の奥から猛獣に狙われているような感覚に襲われた。


「…………」


 相手はこっちの追撃を警戒しているようだったが、実のところ、そんな余裕はない。

 相手の拘束から抜け出し、蹴とばした。

 たったそれだけで、全身で息をするくらいに呼吸が乱れている。

 とても追撃どころじゃない。

 そんな発想さえ思い浮かばなかった。

 平和ボケというやつかもしれない。

 きっとそうなんだろう。

 なにしろ、これは僕にとって初めての「殺し合い」だった。正しくは、殺し“合い”にさえなってはいなかったけれど。

 千々に乱れた呼吸を落ち着かせようと努力しながら、僕は闇の奥を睨みつける。

 闇の向こうからこちらの様子を窺う相手が、その双眸をかっと見開かせた。


「【動くな】って言ったのに!」

「いや、動くだろ」

 

 反射的に答えながら、同時に僕は驚いていた。

 さっきの悲鳴でまさかと思ってはいたけれど、この襲撃者はどうやら女の子らしい。

 人間?

 それはわからない。

 わかるのは、この相手がこちらに対して殺意を持っているということだけだ。

 ……大声をあげるべきかもしれない。

 随分と物音を立ててしまっていたから、大声で助けを呼べば、目を覚ました誰かが様子を見に来てくれるかもしれない。

 それをためらったのは、脳裏にさっきのやりとりを思い出していたからだ。



 ――向こうからやってくる。

 ――ディアと呼べ。



「あのさ。もしかして、」


 僕は相手に呼び掛けようとして、だけど残念なことに、相手のほうがそれを聞こうとはしてくれなかった。


「【動くな】!」


 咆哮一閃。

 そのまま、こちらに向かって飛び掛かってくる。


「くそ!」

 

 相手への呼びかけを中止して、相手との距離をとった。

 刃物を持った相手に、これ以上素手で立ち向かうなんて冗談じゃない。

 慌てて近くのベッドに駆け寄り、枕を手に取る。

 がさりとした感触を右手に握り込み、それを相手に投げつけるか、それとも盾代わりにするかで迷ってから、結局は後者を選んだ。


「――――!」

 

 そのあいだに、闇夜の侵入者はこちらの足元まで接近してきていた。

 右手の刃物を閃かせる。

 今度はさっきみたいに振りかぶるのではなく、腰元に構えてそのままこちらを刺突しようとする狙いだった。

 最短距離で突き出される一撃をなんとか避ける。

 続いて二撃、三撃。

 焦れたように、侵入者が大きく舌打ちした。


「なんで動くんだ、人間のクセに!」

「だから、無茶言うなよ!」

 

 無茶な要望に、こっちとしては頬を引きつらせるしかない。

 余裕をもって刃物を避けようとすれば、どうしたって相手との距離をとるしかない。

 結果として、僕は徐々に壁際まで追い詰められていくことになり、


「…………」


 ついに、背中に固い感触が当たった。

 物言わぬ壁がそれ以上の後退を拒否してくる。

 ――これ以上は避けられない。

 チャンスとばかりに、侵入者が一気に距離を詰めてきた。

 それを、僕は待っていた。

 一足飛びにこちらに飛びかかってくる相手と同じ勢いで、こちらから前方に身体を投げ出す。


「なっ――」


 侵入者が驚きに目を見開いた。

 暗がりのなかでもそれがわかるくらいの至近距離。

 そこまで一気に接近して、身構えた枕ごと、僕は目の前の相手に突進した。

 もみくちゃになりながら床を転がる。

 当たり前だが、刃物を持った相手に向かって体当たりして、そのまま取っ組み合いを仕掛けるなんて、絶対にやっちゃいけない行為だ。

 だけど、そのくらいしか僕にとれる手段はなかった。

 せめて刃物が急所に刺さったりしないよう、どこかの誰かに祈りながら、したたかに頭を打ち、腹を蹴られた。

 こんな状態で刃物を振り回されたらたまらない。

 涙目になりながら、僕は必死に相手の腕を探した。

 闇雲に宙をまさぐり、片方の腕をつかみ、もう片方の腕も確保する。

 ほっと安堵した瞬間、顔面に激痛が走った。

 ――頭突きされた。

 意識が飛びかけるが、それでも腕を離すわけにはいかない。


「離せ! 【動くな】ったら!」

「さっきから、勝手なことばかり……!」

 

 悪戦苦闘することしばらく。

 暴れる相手を抑えつけて、ようやく僕は相手の上にマウントをとることに成功していた。

 ちょうど、さっきと逆転した格好。

 万歳するように両手を抑えつけられて、相手はなんとか拘束状態から抜けようともがいている。


「離せ、人間!」

「騒ぐなよ。いま何時だと思ってるんだ」

 

 時計もスマホもないから、正確な時間なんてわからないけれど。

 じたばたと暴れる小柄な影を見下ろして、僕はため息をついた。


「落ち着け。頼むから、こっちの話を聞いてくれ」

「人間の話なんて、誰が聞くか!」

「――ディア」

 

 その言葉を発した瞬間、相手がぎょっとしたのがわかった。


「なんで――」

「……お前、魔王の関係者なんだろ? ディアっていうのは、名前でいいのか?」

「うるさい! 軽々しく呼ぶな! どうして人間如きがあたしの名前を!」

「そのあたりの説明をしたいから、まずは話を聞いてほしいって言ってるんだ。できれば、こんな体勢で話したくはないんだけどな」


 同意を求めて視線で訊ねると、組み伏せられた侵入者は悔しそうに歯噛みして、


「……わかったから、さっさとどけ! この変態!」


 精一杯の悪態を込めた口調で吐き捨てた。


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僕と魔王と世界滅亡の異世界転位 猪去 @rksl24

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