【第二話】「禁断の味、そして代償」

1 豚肉の余韻


 あの夜、俺は冷凍庫から掘り出した豚肉を焼き、味わった。

 噛んだ瞬間に広がった旨味、鼻をくすぐる香ばしい脂。

 ゾンビになって以来、初めて「心から旨い」と思えた瞬間だった。


 ……だが、その幸福感は長くは続かなかった。


 数時間後。

 俺は胃のあたりを押さえて、モールの床にうずくまっていた。


「ぐっ……おいおい……何だ、これ……」


 腹の奥が熱く焼けるように痛い。

 食道のあたりからこみあげる吐き気。

 全身に広がる鉛のような倦怠感。


 周囲にいたゾンビ仲間たちが駆け寄る。


「おいトオル! 大丈夫か!」

「お前……まさか、肉が当たったのか!?」


「……違う、人肉じゃない……豚肉だ」


「はぁ!? お前正気か!? ゾンビが人間以外の肉を食ったら……死ぬって噂だぞ!」


「死ぬも何も、もう死んでるけどな……」


 そんな苦しい冗談を言いながら、俺は気づいていた。

 ――そうか、これが「デメリット」か。



---


2 なぜ一度目は大丈夫だったのか


 腹痛にのたうち回りながらも、俺は考えた。

 なぜ最初に食べた時は平気だったのか。


 答えは、意外と単純だった。


 あの時食べた豚肉は、まだ表面が凍っていた。

 焼いた時、血液や細胞は完全に溶けきっていなかった。

 つまり――「ゾンビの体にとって有害な部分」をあまり取り込まずに済んだのだ。


「……なるほどな。だから一口目はセーフだったってわけか」


 だが二度目は違った。

 完全に解凍された肉を、普通の人間の調理法で食べた。

 その結果、俺の体は拒絶反応を起こしたのだ。



---


3 ゾンビ仲間との口論


 痛みに耐えつつ、俺はジローに支えられながら横になる。


「バカ野郎! 無茶しやがって!」

「……仕方ねぇだろ。人肉に飽きちまったんだ」


「飽きたからって……! 俺たちは人肉以外を受けつけねぇ。そんなの、昔から言われてることだろ!」


「でも、俺はあの時、確かに旨いと感じたんだ。豚肉の旨さは……人肉じゃ絶対に出せない」


「だからって死ぬ気か!」


「死ぬも何も、もう死んでるっての」


「ふざけんなッ!」


 ジローが怒鳴る。

 ゾンビ同士の会話にしては、異常なほど熱がこもっていた。


「お前まで……本当に死んじまったら……俺は……」


 言葉を飲み込んだジローを見て、俺は苦笑する。

 ――ああ、こいつは本当にいい奴だ。

 ゾンビになっても仲間でいてくれる。



---


4 目標の再設定


 腹痛は数時間で収まった。

 どうやら「即死」するわけじゃないらしい。

 だが、確かにゾンビの体は人肉以外を拒絶する。


「……だったら、調理だ」


 俺は口角を上げた。


「え?」


「豚肉をそのまま食えないなら、人肉みたいに工夫すりゃいい。臭みを消し、硬さを和らげたように……ゾンビの体でも食えるように調理するんだ」


「おいおい……また無茶を……」


「ジロー。俺は料理人だ。『食えないものを食えるようにする』のが料理の本質だろ」


 ゾンビの体質を乗り越える調理法。

 それを見つければ、俺は人肉から解放される。

 そして――ゾンビでも「本物の美味」を追求できる。


「……はぁ。わかったよ。どうせ止めてもやるんだろ」

「おう」

「なら、せめて俺も付き合う。お前が死んだら……宴会がつまらなくなるからな」


 ジローの言葉に、俺は力強く頷いた。


 人肉以外の料理。

 ゾンビの呪いを超える料理。

 それを見つけるまで、俺の戦いは終わらない。

---


5 実験開始


 モールの厨房跡。

 廃材を寄せ集め、俺は「実験室」さながらの空間を作っていた。


「おいトオル……本気でやるのか」

「当たり前だ。ここからが料理人の腕の見せ所だ」


 テーブルの上には、再び発掘した冷凍豚肉の塊。

 ただ焼くだけじゃ体が拒絶する。

 ならば――工夫だ。



---


6 臭みを消す


「まずは基本、臭み取りだ」


 俺は人肉の時と同じ要領で、生姜と酒を混ぜた液に豚肉を漬け込む。

 ゾンビの嗅覚は人間の頃より敏感になっており、血の鉄臭さや獣臭が強烈に感じられる。


「……よし、漬けたぞ。焼いてみるか」


 鉄板に乗せ、火を通す。

 生姜の香りが立ち、あの嫌な臭いはかなり抑えられた。


「お、いけそうじゃねぇか?」

「……食ってみないと分からん」


 ひと口かじる。


「……ッ!」


 数秒は旨味を感じる――が、すぐに腹の底がひっくり返るような吐き気が押し寄せた。


「うぷっ……ッ、だめだ! まだ体が拒否する……!」


 俺は吐き戻し、床に膝をついた。

 ジローが慌てて背中を叩く。


「おい、死ぬ気か! って死んでんだけどよ!」


「……ははっ、ゾンビジョークはいい……くそ、まだ足りねぇ」



---


7 発酵という手


 次に試したのは、発酵。

 俺の記憶の片隅にあった「納豆」「味噌」「漬物」などの保存法。

 幸い、モールの地下倉庫で塩と古い味噌樽を見つけていた。


「塩漬け、味噌漬け、ヨーグルト漬け……どれかいけるはずだ」


 一晩寝かせた豚肉を炙って食べてみる。


「……どうだ?」

「う……うぅぅ……ッ」


 体が震える。

 先ほどよりマシだが、やはり胃が痙攣する。

 今度は数分で回復できたが、完全に「食える」とは言えない。


「ちっ……惜しいんだがな」



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8 乾燥という工夫


 次は乾燥。

 薄切りにした豚肉を天日干しにして、ジャーキーのように仕上げた。


「おい、これなら保存も効くし臭みも減ってるぞ!」

「食ってみろ」


 バリッ、と齧る。

 ……最初は悪くない。むしろ人肉より食感は良い。


 だが。


「ぐ……ッ! まだ腹が……」


 腹痛が再発する。

 ただし、さっきよりも軽い。


「……成功の兆しだな」

「兆し? 今ゲロ吐きそうになったじゃねぇか!」

「でも、前より反応が弱まってる。調理法次第で、俺たちの体でも受けつける可能性があるんだ」



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9 決意


 俺は吐き気を堪えながら、震える手でメモを書きつけた。

 調理法ごとの結果、体の反応、味の違い。


「トオル……お前、研究者か何かだったのかよ」

「違う。俺はただの美食家だ。……でもな、美食家ってのは常に『より旨いもの』を追い求める病気みたいなもんなんだよ」


 ゾンビであろうと、その性は消えなかった。


「必ず、俺たちでも食える肉を見つけ出す。

 ――そうすりゃ、人肉から解放される日が来るはずだ」


 ジローは深いため息をつき、肩をすくめた。


「……わかった。けど、今度は死ぬなよ」

「死ぬも何も、もう死んでるけどな」

「二度目は笑えねぇぞ」


 俺は薄く笑い、調理器具を磨いた。

 ゾンビの舌を進化させる旅は、まだ始まったばかりだ。

---


10 最後の試み


 何度も吐き、何度も腹を押さえながら、俺はようやく「形」になりそうな方法を見つけていた。


 ――下茹で。

 まずは豚肉を沸騰した湯で数分間煮て、血と脂を徹底的に落とす。

 その後、酒・香草・味噌といった調味料に漬け込み、さらにじっくりと弱火で煮込む。


「……いけるかもしれねぇ」


 鍋から立ちのぼる香りは、これまでのどれとも違った。

 あの鉄臭さも獣臭さも薄れ、代わりにスープのような滋味深い香りが漂う。


「ジロー、箸を持て」

「いや、俺らゾンビに箸はいらねぇだろ」

「細けぇことはいいんだよ」



---


11 試食


 俺は恐る恐る、煮込んだ豚肉をひと口。


「……ッ」


 最初は甘味。

 次に旨味。

 だが、これまでのような激しい吐き気は――来ない。


「……おおお……ッ、耐えられる……!」


 胃がじんわりと熱を持つが、激痛にはならない。

 明らかに「改善」されていた。


「ジロー! 食ってみろ!」


「お、おいおい……マジかよ」


 ジローが恐る恐る肉を口にする。

 数秒、目を閉じ――そしてゆっくりと頷いた。


「……イケる……少なくとも、すぐ吐きそうにはならねぇ」


 俺は拳を握った。

 ついに――一歩、前に進めたのだ。



---


12 仲間への披露


 夜。

 例の宴会場に、仲間のゾンビたちが集まった。


「おいトオル、今日のメシは人肉じゃねぇのか?」

「今日は特別だ。……豚肉の煮込みだ」


「はぁ!? 馬鹿か! 人肉以外なんて食ったら――」


「いいから食ってみろ。命はもう失ってんだ。怖いもんなんかねぇだろ」


 渋々口にしたゾンビたち。

 最初は眉をひそめるが……やがて顔が変わった。


「……あれ? 悪くねぇ……」

「うぐっ、ちょっと腹に来るけど……人肉より旨い……!」

「これ……いけるじゃねぇか!」


 場がざわつく。

 俺は胸を張った。


「見たか。俺たちは人肉以外でも、食える可能性がある!」



---


13 しかし、現実


 その直後だった。

 何人かのゾンビが苦しそうに腹を押さえ、膝をついた。


「ぐっ……やっぱ、ダメだ……!」

「胃が焼ける……!」


 俺は歯を食いしばった。


 ――そうだ。

 まだ完全じゃない。

 たまたま俺やジローが耐えられただけで、他のゾンビには強すぎる負担だったのだ。


「……まだ、道半ばってことか」


 その夜の宴会は、中途半端な成功と失敗で幕を閉じた。



---


14 誓い


 仲間が苦しむ姿を見て、俺は静かに決意を固めた。


「必ず作ってみせる……全てのゾンビが人肉以外を食える料理を」


 人肉の呪いを超えるレシピ。

 それを完成させるまで、俺は立ち止まらない。


「ジロー、付き合ってくれるか」

「……ったく。お前に付き合うのは胃薬よりきついぜ」

「ゾンビに胃薬は効かねぇだろ」

「そういう問題じゃねぇ!」


 ジローの怒鳴り声に笑いながら、俺は鍋を見つめた。

 ――ほんの少しの光明を、決して見逃さないために。


【第二話・完】

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ゾン美ショック!!!〜ゾンビの世界で美食生活〜 @Shibaraku_shiba

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