第34話 壁上の戦い、壁下の戦い(別視点)

「シルヴァン様、兵の配置と壁上への前線指揮所の構築が完了いたしました」


 副官のダリウスが報告に来た。父の右腕とも言える歴戦の騎士で、今回の前線指揮のために僕の補佐として付けられた男だ。


 父——ヴェルディナ辺境伯は、今回のスタンピードの前線指揮を僕に任せた。

「シルヴァン、お前が指揮を執れ。ダリウスを補佐として付ける。彼の助言を聞きながら、お前自身の判断で戦え。今こそお前の祝福の力を実戦で証明する時だ。実戦での経験が、お前を真の領主に育てる」

 父の言葉は重かった。これは信頼であり、同時に領主候補としての試験でもある。


 祝福「指揮」——3歳の祝福の儀で授かった、領主の跡取りに相応しい祝福だ。戦術指揮に必要な戦況把握能力が向上し、声が良く通るようになる。しかし、祝福の真価は実戦でこそ発揮される。


 僕は深呼吸をして、冷静さを保つ。


「ご苦労。各区画の状況は?」


「西区画に主力を集中配置しました。大森林からの襲撃に備え、弓兵と騎士の大半を西壁に。魔術師団も西側で待機しています。北と南には最低限の守備兵力を残しました」


「東側は?」


「東側は王都方向ですので、監視のみで守備兵は配置していません」


 僕の名前はシルヴァン・ヴェルディナ。この街を治める辺境伯の長男で、次期領主候補だ。

 城壁の上に設けられた前線指揮所から、眼下に広がる光景を見渡す。


 辺境伯領の領都ヴェルデは王国の最西端に位置する。西側には大森林が広がり、その向こうには国境がある。

 街の防衛において最も重要なのは、常に西側だ。


 そして今——


 地平線まで続くかと思われるゴブリンの大群が、西側から押し寄せている。

 その数は尋常ではない。これほどの規模のモンスター襲撃は、この街の歴史でも前例がないだろう。


「シルヴァン様、今からどのように戦われますか?」


 ダリウスが尋ねる。


 父から前線指揮を任されたばかりの僕に、経験豊富な副官が方針を確認している。これは確認であると同時に、僕の判断を試す質問でもある。

 僕は戦場を見渡しながら、冷静に答えた。


「籠城戦の定石に従う。城壁という防衛拠点を最大限に活かす」


「騎士団の出撃は?」


「しない。この敵の数では騎士団は外に取り残されてしまう。突撃に必要な助走も取れないしね。出番があるとしたら数が少なくなってからだね」


 ダリウスが頷く。


「その通りです」


 僕は続ける。


「壁上からの防衛戦に徹する。弓兵と魔術師で敵を削り、壁に取り付いた敵は投擲武器と槍で排除する。それが今日の戦い方だ」


「了解しました」


 ダリウスが命令を伝えに走る。


 騎士団の最大の強みは機動力だ。馬による高速移動と、統率された騎兵による一斉突撃。広い戦場で敵を翻弄し、集中攻撃を加える。しかし今回は、その強みを活かせない。敵の密度が高すぎて、馬が動く余地がないからだ。


 それでも、やれることはある。



 ダリウスの命令伝達が終わり、各部隊が配置につく。


 そして——戦いが始まった。


「予定通り冒険者たちが門から出撃します!」


 伝令が報告に来る。僕は西門の方向を見た。


 門が開き、40人ほどの冒険者たちが一斉に駆け出していく。身体強化を使える者たちだ。彼らは個人戦闘に優れている。密集した敵の中でも、小回りの利く戦い方ができる。


「門を閉じて!接敵したら援護射撃を開始!冒険者に当てないように!!」


 僕の命令が伝達される。門がゆっくりと閉じていく。


 壁上から、騎士団が弓矢や投擲武器で援護射撃を開始した。魔術師団も魔法を撃ち下ろす。


 冒険者たちは見事な動きで敵を削っていった。


 中でも、一人の小柄な冒険者の動きが目を引いた。

 先頭を駆け、まるで竜巻のようにゴブリンの波を裂いていく。黒と白のナイフを両手に持ち、風を纏いながら超高速で駆け抜ける。体格からして、子供?…いやまさか。


「あの小柄な冒険者は誰だ?」


「詳細は不明です。ただ、かなり小柄なようなので……ハーフリングか何かでしょうか」


 伝令の声には困惑が滲んでいる。

 小柄な種族か。しかしその動きは、確かに歴戦の冒険者に匹敵する。一体何者なのか。


 しかし敵の数が多すぎる。倒しても倒しても、後続が押し寄せてくる。森から絶え間なく増援が現れ、草原全体がゴブリンで埋め尽くされている。


 冒険者たちは奮闘していたが、やがて疲労の色が見え始めた。


「冒険者たちが撤退を開始しました!」


 伝令の声が響く。


 見ると、冒険者たちが順番に壁上に登り始めていた。壁から垂らされたロープを使い、次々と登ってくる。

 最後に、大柄な剣士と、あの小柄な冒険者が登ってきた。二人は殿を務めていたようだ。


 全員が壁上に戻ってきた時、冒険者たちは疲労困憊の様子だった。しかし確実に敵の数を削り、その勢いを削いでいた。


 僕はその光景を見ながら、ある考えが浮かんだ。

 ——冒険者たちがやった方法を、もっと組織的に、効率的にできないだろうか。



 午前中から始まった戦いは、既に昼を過ぎようとしている。


 冒険者たちによる壁下での迎撃は功を奏した。敵の密度は一時的に下がっている。

 しかし問題は残っている。根本的な問題が。


「やはり数が多すぎる……」


 僕は小さく呟いた。

 ゴブリンの群れは依然として外壁を取り囲んでいる。壁上からの迎撃だけでは、完全に殲滅するには時間がかかりすぎる。

 余りに時間がかかり過ぎると備蓄された矢や投石用の石が尽きてしまう。そうなったらもうおしまいだ。


「シルヴァン様」


 ダリウスが近づいてきた。


「冒険者たちの迎撃により、一時的に敵の密度が下がっています。次の手はいかがなさいますか」


「そうだな……」


 僕は改めて戦場を見渡した。

 冒険者たちは本当によくやってくれた。しかし冒険者だけに頼るわけにはいかない。これはの街だ。僕が守らなければならない。


「ダリウス、作戦を変更する」


「はっ」


「冒険者たちの戦い方。あれを組織的に行う」


 僕は戦場を指差した。


「魔術師団を壁上に配置しろ。壁直下の敵に集中砲火で穴を開ける」


 ダリウスが目を見開いた。


「穴を……ですか」


「ああ。壁直下に穴を開けたらそこに身体強化持ちの精鋭をロープで降下させる。降下したら壁沿いにゆっくりと進軍させる。西側の壁の端から端まで、壁に沿って敵を殲滅していく。魔術師団は壁上で騎士たちの進軍に合わせて移動する。僕が壁上から進軍速度を見て撤収の合図を出す。その合図で魔術師が帰還位置の壁直下を攻撃して敵を排除し、騎士たちは走り込んでロープで撤収。これを繰り返す」


 ダリウスはしばらく考えてから、ゆっくりと頷いた。


「なるほど……壁沿いを進軍すれば、一面は壁で守られますし、壁上からの援護射撃も届きます。それに、いつでもロープで兵員の帰還や補充ができる。確実に敵の数を削れますね」


「その通りだ。壁の近くを進むことで、戦線を維持しやすくなる」


「了解しました。すぐに手配します」


 ダリウスが駆け出していく。僕は再び戦場を見下ろした。


 騎馬突撃が使えないなら、別の方法を取るだけだ。

 我々には訓練された魔術師団がいる。精鋭騎士がいる。それを最大限に活用する。


「回復魔法の使える者も壁上に集めろ。降下した騎士たちの回復に専念させる」


 僕は追加の命令を出した。


 今回の作戦では、同じ騎士たちを何度も降下させることになるため、消耗が激しい。

 回復魔法で怪我や疲労を取り除けば、戦力を維持したまま作戦を継続できる。



 命令はすぐに伝達された。


 壁上に魔術師たちが並ぶ。領主お抱えの宮廷魔術師たちだ。

 普段は儀礼的な役割が多いが、全員が実戦経験を持つ。今こそその力を発揮する時だ。


 魔術師団は降下地点に集中配置された。降下後は騎士たちの進軍に合わせて壁上を移動し、帰還時に再び攻撃する手筈だ。


「魔術師団、準備はいいか」


「はっ、いつでも」


 先頭に立つ魔術師が答える。


「目標、壁直下、西区画南側。降下地点の敵を排除する!壁に当てないでね!!」


 魔術師たちが杖を構える。


「一斉放射――開始!!」


 僕の号令と同時に、複数の魔法が壁直下へと叩き込まれた。


 炎の奔流が地面を焼く。

 氷の槍が敵を貫く。

 風の刃が群れを切り裂く。


 様々な属性の魔法がゴブリンの群れを薙ぎ払っていく。

 その光景は、まるで神の裁きのようだった。


 煙が晴れると、敵の群れに大きな空白地帯が生まれていた。


「第一小隊、降下!」


 ダリウスの号令で、精鋭騎士たちがロープを使って壁下へ降りていく。

 全員が身体強化が可能で大抵が騎士などの戦闘系職業の祝福を持つ、選りすぐりの戦士たちだ。


 降下の動きは訓練されていた。一人ずつではなく、三人同時にロープを滑り降りる。

 着地と同時に防御陣形を組み、周囲のゴブリンを押し返す。


 地面に着いた瞬間、彼らは一斉に動き出した。


 しかし円陣は組まない。代わりに、壁沿いに一列に並んで進軍を始める。

 壁を背にすることで、背後からの襲撃を防ぎながら前方の敵だけに集中できる。


 剣を振るう。

 押し寄せるゴブリンたちを、圧倒的な速度と力で薙ぎ倒していく。

 身体強化は強力だ。通常の数倍の速度で動き、数倍の力で敵を倒す。


 騎士たちは壁沿いをゆっくりと、しかし確実に進みながら、前方の敵を次々と殲滅していく。時折、先頭を入れ替えて疲労が偏らないように調節する。

 焦る必要はない。壁上の魔術師団も騎士たちに合わせて移動している。個々の実力だけでなく、連携も完璧だ。

 これが領主の精鋭騎士団。日々の訓練が、この戦場で活きている。


 僕は壁上から騎士たちの進軍を見守っていた。


 順調に進んでいる。壁に沿って着実に前進し、敵を殲滅していく。

 しかし疲労も蓄積しているはずだ。動きが鈍くなる前に撤収させなければ。


 騎士たちは十分に進軍した。このタイミングだ。


「撤収の合図!」


 僕の声が響く。


 それを聞いた魔術師団が、帰還地点の壁直下へ魔法を叩き込む。

 炎と氷と風が壁直下の敵を薙ぎ払い、騎士たちが登るための安全地帯を作り出す。


 騎士たちは即座に反応し、帰還地点へ向かって走り込む。そして帰還地点のロープを掴んで壁上へと引き上げられる。

 その直後、再びゴブリンの群れが空白地帯を埋めようと押し寄せてきた。


 しかし遅い。騎士たちは既に壁上に戻っている。


 戻った騎士たちのもとへ、待機していた回復魔法使いたちが駆け寄る。

 淡い光が騎士たちを包み込む。疲労が癒され、体力が回復していく。


「ご苦労。少し休んでから次の降下に備えろ」


 僕は第一小隊の騎士たちに声をかけた。彼らは敬礼で応える。


「第二小隊、待機。魔術師団、次の標的を」


 戦いは淡々と、しかし確実に進んでいく。

 降下、殲滅、撤収、回復。このサイクルが機能し始めていた。



 作戦は順調だった。


 魔術師団が穴を開け、精鋭が降下して殲滅し、撤収する。

 このサイクルを繰り返すことで、敵の数は確実に減っていった。


 壁上では回復魔法使いたちが忙しく動き回っている。

 僕は領内の神殿から回復魔法が使える僧侶や魔法使いを総動員していた。彼らは戻る地点の近くに待機し、戻ってきた騎士たちをすぐに回復させる。

 この回復体制があるからこそ、少数の精鋭で何度も降下作戦を繰り返せる。


 時折、冒険者の精鋭たちも降下作戦に参加した。

 彼らの動きは騎士たちにも劣らない。特にライルという剣士は頼もしく、彼を中心にしてまとまりのないはずの冒険者がまるで一つのパーティーのように機能していた。


 日が傾き始めていた。

 夕陽が城壁を赤く染める。美しい光景だが、戦いは終わらない。


「夜まで続くな……」


 僕は小さく呟いた。



 夕闇が迫る中、戦いは続いていた。


「シルヴァン様、敵の様子が変わってきました」


 ダリウスの声に、僕は戦場を注視した。


 夕闇が深まり、夜の帳が降りようとしている。

 その中で、ゴブリンの群れが動き始めていた。


「引いていく……?」


 敵は攻撃を止め、じりじりと西の森へ向かって後退していく。

 まるで潮が引くように、密集していた群れが徐々に薄くなっていく。


「ゴブリンは夜目は効くが夜行性ではないですからな。暗くなると活動が鈍る」


 ダリウスが説明する。


「しかし油断はできません。明日の朝、また襲来するでしょう」


「そうだな……」


 僕は頷いた。今日の戦いは終わったが、これは一時的な休息に過ぎない。



 完全に日が暮れた頃、父——ヴェルディナ辺境伯が壁上に現れた。


「ご苦労だった、シルヴァン」


 父は僕の指揮を労った。


「まだ終わっていません。明日も続くでしょう」


「その通りだ。だからこそ、今夜のうちにできることをする」


 父は壁下を見下ろした。そこには無数のゴブリンの死体が積み重なっている。


「シルヴァン、街の非戦闘員を動員する。死体を焼き、使用済みの矢と石を回収させる。壁直下の死体を放置すれば、明日の戦いで足場になってしまう。そして矢と石がなければ、我々は戦えない」


「しかし非戦闘員を危険に晒すのは……」


「敵は引いた。今なら安全だ。それに、これは領民の義務でもある。自分たちの街を守るためだ」


 父の言葉は冷徹だが、正しかった。

 戦いに勝つためには、感傷は捨てなければならない。


「お前は今日一日指揮を執った。よくやった。夜間の作業は私が指揮する。お前は休め。明日もまた戦いが続く」


「しかし……」


「これは命令だ。指揮官が疲労していては、明日の戦いに支障が出る。休息も戦いの一部だ」


 父は有無を言わさぬ口調で言った。


「……分かりました」


 僕は頷いた。考えないようにしていたが確かに体は鉛のように重かった。明日に備えるためにも、今は休むべきなのだろう。


 眠る前に城壁の方向を見ると明るくなっていた。

 父の指揮の下、非戦闘員たちが死体を焼き、矢と石を回収しているのだろう。

 人々が黙々と作業を続けている証だ。


「早く、また串焼きを食べに行けるようにしなきゃなぁ……」


 僕は小さく呟いた。

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