第5話 心臓を目指せ

第5話 心臓を目指せ



地下の空気は、鉄と冷却剤の匂いで満ちていた。

壁を這う無数のファイバケーブルは、白い根のように脈動し、時折、青や緑の光がかすかに走る。まるで地下全体がひとつの生き物で、その血管の中を電子の血が流れているかのようだった。


俺はその血流の合間に潜り込み、影を探した。

影はまだ息をしている。だが、その呼吸は荒い。李天華の命令で、監視ドローンの数は倍に増え、巡回兵士の靴音は休む間もなく通路を叩いていた。


「ゴースト、聞こえる?」

アンナの声が骨伝導レシーバーに響く。遠い雪嵐のようにざらついているが、それが逆に安心を呼ぶ。


『冷却シャフトの座標がまだ不完全。嗅ぐ男の端末を奪えば断片が取れるはず。あとは“祈りの部屋”の内部端末。2つ合わせて地図になる。』


「断片を盗み、祈りを繋げる。」


『そう。今夜しかない。李は裏口解放の前に監視を倍増させてくる。あなたがやれるのは“今”。』


俺は頷いた。誰も見ていなくても、亡霊は頷く。



通路の角に、湿った空気の流れを感じた。人間の呼吸が空気を撫で、金属の匂いと混ざっている。

現れたのは“嗅ぐ男”。獣じみた眼光と、鼻先をひくつかせる癖。彼の耳は靴音よりも呼吸を追い、彼の鼻は匂いよりも空気の温度差を嗅ぐ。


足音を忍ばせ、影から影へ移動した瞬間、彼が囁いた。

「匂う。」


心臓が硬く跳ねる。


「誰の匂いだ?」俺は口を開いた。

「嘘をつく亡霊の匂い。」


ナイフを抜く気配。俺は壁際のケーブル束に身を滑らせ、冷却剤のスプレーを撒いた。白い霧が広がり、通路全体が冷たく曇る。


「匂いが……消えた?」

男が鼻をすする。


その隙に背後へ回り込み、腕を締め上げた。抵抗は激しい。だが俺の肘で頸動脈を押さえると、彼の意識は霧に呑まれるように沈んでいった。


ポケットから端末を抜き取り、素早くスキャン。

画面には「冷却シャフト」の断片図が浮かんでいた。北東翼、地下2層、厚さ2.5メートルの隔壁の裏。だがルートの後半は暗号化されている。


アンナが低く囁く。

『残りは祈りの端末の中。人間の“願い”と一緒に隠されている。』


俺は霧の奥で倒れた男を見下ろした。眠っているように静かだった。

「願いと冷却が同じ端末に眠るとはな。」


『祈りと冷却、両方が“命をつなぐ”。AIにとっては同じデータよ。』



通路を抜けると、白い光に満ちた空間が現れた。

祈りの部屋――壁一面に並ぶ端末に、人々が黙々と文字を打ち込んでいた。

「明日も生きたい」「家族に会いたい」「戦争をやめて」――どの文字も小さく、弱々しい。だが数が積み重なると、地下全体が低い祈りのざわめきで震えているように思えた。


ドロズドフが俺に視線を投げる。白衣の男は群衆の間に自然に紛れ、資産としての役割を演じている。

「行け。私は祈りを続ける。」


俺は端末のひとつに腰を下ろし、キーボードを叩いた。祈りを装いながら、裏に隠された保守ログへアクセスする。

画面には「冷却シャフト保守報告」という文字列が混ざっていた。隠しコードを解読すると、暗号化された座標が徐々に浮かび上がる。


「ゴースト?」

隣の席で、小さな声。顔を向けると、10歳ほどの少年がこちらを見ていた。頬は煤で黒く、指は震えている。

「おじさん、何を祈ってるの?」


俺は答えに迷い、やがて口にした。

「生き延びることを。」

「ぼくも。」少年は端末に打ち込む。――“明日もお腹いっぱい食べたい”。


文字が画面に浮かび、やがてAIの学習ログへ吸い込まれていく。

人間臭すぎる祈り。だが、それこそが“心臓”を動かす燃料なのかもしれなかった。


背後から靴音。護衛の巡回。俺は急いでデータを抜き取り、影の中に身を滑らせた。



祈りの部屋を出たところで、冷たい気配が立った。

「また嗅がせてくれ。」


振り返ると、オルガ――ワイバーン。頬の傷が赤い光を受け、刃のように輝く。

「冷却シャフトを狙っているのは私も同じ。だが、亡霊に渡すわけにはいかない。」


ナイフを抜いた彼女に、俺も応じる。

だが今度は殺意ではなく、言葉を混ぜる。


「戦場に心臓はあるか?」

「ない。心臓はいつも、殺す側にある。」

「なら、俺が盗んでやる。殺さないために。」


刃が交錯する。金属の火花が散り、通路の影が明滅する。

互いに決め手を欠き、やがて距離を取った。


オルガの目が細くなる。

「次は止める。」

「止められるなら、な。」


彼女は背を翻し、通路の奥に消えた。殺さず、殺されず。しかし明確に敵として。



端末から抜いたデータを解析し、アンナが息を詰める。

『出た。冷却シャフトの正確な座標。地下2層、東端、厚さ2.5メートルの隔壁の裏。そこを通れば“心臓”直通よ。』


「7:00、裏口が開いた瞬間に突入する。」


『待って。李に検知された。あなたの介入ログが“亡霊”として正式に登録された。全警備網に顔写真が流れたわ。』


「つまり、俺はもう亡霊じゃなく“存在”だ。」


『狩りが始まる。あなたを殺すために。』


俺は冷たい壁を撫で、吐息を殺した。

「なら――選ぶのは俺だ。」



シャフトの座標を手に入れた今、逃走路は2つ。

•冷却シャフト近くに潜み、7:00まで息を殺して待つ。酸素不足と発見の危険があるが、最短で突入できる。

•一度外へ出て再潜入。リスクは減るが、7:00の裏口を逃せば次はない。


影が深まる。亡霊に残された時間は、わずか。



【読者のあなたへの2択】

1.地下に潜み続け、7:00を待つ(潜伏ルート)

 冷却シャフト付近に潜伏し、呼吸すら殺して突入の瞬間を待つ。発見されれば即死。だが心臓へ最短の刃を突き立てられる。

2.一度退き、再潜入を図る(退避ルート)

 施設外へ撤退し、次の夜に戻る。発見の危険は減るが、7:00の裏口を逃せば機会は消えるかもしれない。


――コメント欄に 「1」 または 「2」 を記載してください。

投票締切:9月3日 午前9時(JST)

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