親友が都市伝説に喰われたので、俺は公安で怪異をハントすることにした。 執行機関ー東京公安怪異蒐集課ー
あかむらコンサイ
第1話 奈落は口を開けた
チョークの粉が光に舞う、午後の教室。
窓から差し込む西日は橙色に淀み、机の木目に長い影を落としていた。
弛緩しきった空気。耳障りな談笑。どこにでもある、凡庸な放-課-後-の-風-景。
――なんて、陳腐なナレーションを脳内で再生してみる。我ながら、ひどくつまらない。
この、ぬるま湯のような日常。明日が今日と同じであると誰もが信じて疑わない、平和という名の退屈。
そのすべてが、ひどく現実感のない、一枚の絵画のように見えた。
「――だからさ、要は分かってない! これはマジなんだって!」
はいはい、始まりました。
俺、不知月 要(しらづき かなめ)の親友にして、週刊『ムー』の熱心な読者である男――灰葉 遊一(はいば ゆういち)の、本日何度目か分からないプレゼンテーションが。
「お前の言う〝マジ〟は、コンビニの新商品よりサイクルが早いんだよ。先週は『人面犬』、先々週は『異世界に行くエレベーター』だったか? そろそろネタ切れじゃないのか、世界の七不思議も」
「うっせえな! 今回のは格が違うんだって! ほら、これ見ろよ!」
遊一が突きつけてきたスマートフォンの画面には、匿名掲示板のスレッドが表示されていた。
スレッドタイトルは、『【緊急】〝声だけの女〟に遭遇した奴、いる? Part.7』。
Part.7。景気がいいことで何よりだ。
曰く、特定の場所で、特定のフレーズを三度唱えると、女の声が聞こえてくる。
曰く、声に反応すると、神隠しにあう。
「ふむ。『>>345:昨日ダチと試したらマジで声がした。ダチは今、行方不明』ねえ。で、その>>345の書き込み時間は今日の昼休み、と。ずいぶん暢気な心配の仕方だな。俺なら警察に通報する前に、まずスレに書き込むなんて真似はしないが」
「そういうメタいツッコミはいいんだよ! この〝臨場感〟が大事なんだろ!」
「臨場感ねえ……」
俺は、ヘッドフォンを首にかけながら、鞄に教科書を詰め込んだ。
まったく、こいつのオカルト趣味には付き合いきれない。
だが、まあ。
この、熱に浮かされたような馬鹿馬鹿しい会話が、俺たちの日常を彩っているというのも、また事実だったりするわけで。
「要は夢がないなあ。……まあ、いいや。行けば分かるって。俺、場所も条件も全部調べてあんだから」
「却下。俺は家に帰って、昨日録画した深夜アニメの続きを見るという、極めて重要なミッションが残っている」
「行けば、分かる」
遊一はそう言うと、有無を言わせぬ力強さで俺の腕を掴み、教室を後にした。
その手は、やけに熱っぽくて、少しだけ汗ばんでいた。
……こいつ、本気(マジ)だ。
やれやれ。どうやら俺のミッションは、明日以降に持ち越されるらしい。
***
アスファルトを蹴る無数の足音。甲高いクラクション。雑踏に溶けては消える、意味のない会話の洪水。
ターミナル駅前のスクランブル交差点は、まるで人間の坩堝だった。
遊一に腕を引かれるまま、俺はその人波をかき分けて進む。巨大なビルボードの広告が、色とりどりの光を明滅させていた。
「で、栄えある七不思議スポットはどちらなんだ?」
「中央区の、八番街。再開発エリアの近くだ。あそこが〝声〟の目撃例が一番多いホットスポットらしい」
「ホットスポットね。そりゃ心霊的な意味でか、それとも単に治安が悪くて変な声が聞こえるだけとか、そういうオチじゃないだろうな」
俺の皮肉を無視して、遊一は語り続ける。
「掲示板の書き込みじゃあこうだ。『――丑三つ時、八番街の路地裏で〝私はここにいるよ〟と三回唱えた。最初は何もなかった。諦めて帰ろうとしたら、背後から女の声がした。絶対に振り返るな。俺はそれで助かったが、一緒だったダチは……』」
その横顔は、いつものお調子者のそれとは少しだけ違って見えた。
退屈な日常から逃れたいという渇望。
あるいは、この世界のどこかには、自分の知らない〝真実〟があるはずだという、根拠のない確信。
そういうものが、彼の表情を焦がしているようだった。
まったく、物語の主人公にでもなりたいのか、こいつは。
「……なあ遊一。最近、ちゃんと寝てるか?」
「ん? ああ、まあな。たまに変な夢は見るけど」
「変な夢?」
「なんか、知らない女がずっと耳元で囁いてる夢。起きたら忘れてんだけどさ。……でも、なんか最近、その声がだんだんハッキリしてきてるっつーか」
――まずい。
その瞬間、俺の脳内で、警報が鳴った。
それは論理的な思考ではなかった。もっと、生物的な、本能としか呼べない感覚。
こいつは、ただの好奇心から首を突っ込んでいるわけじゃない。
〝呼ばれて〟いるのだ、と。
「遊一、帰るぞ。もう付き合いきれない。今日のところは俺の奢りでラーメンでも食って――」
「はあ? なんだよ要、ノリ悪いな。ここまで来て」
「いいから!」
俺は、無理矢理に遊一の腕を引いた。
だが、遊一はテコでも動かなかった。それどころか、信じられないような力で、俺の手を振り払った。
「……もう、遅いんだよ」
ぽつり、と。
遊一が呟いた声は、ひどく乾いていた。
彼の視線は、俺を見ていなかった。俺たちのすぐそばにある、暗い暗い、路地の入り口へと注がれていた。
そこは、古い雑居ビルと、解体予定の駐車場の隙間に空いた、都市の裂け目だった。
不法投棄されたゴミ袋から、甘ったるい腐臭が漂ってくる。壁からは絶えず水が滴り、地面には黒い染みが広がっている。
光が、届いていなかった。
太陽はまだ空にあるはずなのに、その路地だけが、夜の色に塗り潰されていた。
「ここ、だよな。噂の路地裏」
遊一が、吸い寄せられるように、一歩、足を踏み入れた。
俺の制止は、もう彼の耳には届いていなかった。
***
やれやれ、どうしてこうなった。
俺は頭を掻きながら、腹を括るしかなかった。ここで親友を一人、不気味な路地裏に放置して帰れるほど、俺は薄情者じゃない。
遊一は路地の入り口に立った。
そして、悪戯が成功した子供のような――あるいは、これから処刑される罪人のような顔で、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「――ワタシハ、ココニイルヨ」
都市伝説で定められた、忌むべき言葉。
遊一の、少しだけ上擦った声が、夕暮れの空気に吸い込まれて消えた。
……。
…………。
何も、起こらない。
吹き抜ける風が、コンビニのビニール袋をカラカラと転がすだけだ。
静寂。
いや、違う。
街の喧騒が、遠い。さっきまで、すぐそこで鳴り響いていたはずの音が、まるで分厚いガラスの向こう側のように、くぐもって聞こえる。
この路地だけが、世界から切り離されたかのように、静かだった。
――音響的な特異点か? 反響が妙だ。
「ほら見ろ。何も起こらない。期待外れだったな。さあ、帰るぞ。ラーメンが俺たちを待っている」
「いや、まだだ。三回、繰り返すのが作法なんだよ」
遊一は諦めていなかった。
もう一度、そしてもう一度、その言葉を繰り返した。
二度目。
空気が、さらに重くなった気がした。湿度が上がったような、肌に纏わりつく不快感。
三度目。
言葉が、終わった、その時。
キィン、と。
微かな耳鳴りが、俺の頭蓋の内側で鳴り響いた。
*―――キコエル?*
ぞわり、と。
首筋の産毛が、一斉に逆立った。
その〝声〟は、鼓膜を介さず、脳の内に直接響いた。
女の声。
ひどく歪んで、ノイズが混じっている。
――幻聴か? だとしたら、俺と遊一の二人同時に? 集団ヒステリーにしては規模が小さすぎる。
「……要、今……」
「気のせいだ。すぐにここを出るぞ」
遊一の顔から、血の気が引いている。
今度こそ、俺は遊一の腕を掴んだ。
だが、動かなかった。彼の足が、まるで地面に縫い付けられたかのように、動かない。
*―――ドウシテ、ムシスルノ?*
声が、近付いた。
右から? いや、左だ。背後か?
違う。どこでもない。あらゆる方向から、同時に聞こえる。
この空間そのものが、その声で満たされている。
――定位不能。物理的な音波じゃない。これは、直接的な、精神干渉の類か。
「……あ」
遊一が、短い悲鳴を漏らす。
彼の足元。コンクリートの地面から、黒い〝染み〟のような何かが、陽炎のように立ち上っていた。
それは、人の形をしていた。
女の、形を。
だが、その輪郭は曖昧で、まるでテレビのノイズのように絶えず揺らいでいる。
そこに〝いる〟のに、そこには〝いない〟。
希薄な存在感。
だというのに、その〝染み〟から伸びた影だけは、異様なほど濃く、アスファルトに縫い付けられていた。
*―――ミツケタ*
影が、伸びる。
それはもはや二次元の絵ではなかった。
ぬるり、と。
立体的な質量を持った〝腕〟となって、遊一の足首を、掴んだ。
「う、わ……ッ!?」
引きずり込まれる。
遊一の身体が、まるで沼に沈むように、アスファルトの中へと沈んでいく。
――ありえない。固体であるはずのコンクリートへの、物理的な干渉。位相変換か、あるいは空間の湾曲か。
駄目だ。俺の脳(CPU)では、処理(演算)できない。
目の前で起きている現実を、俺の常識(OS)が、拒絶している。
「たすけ、て……かな、め……!」
親友の、悲痛な声。
それで、俺の停止していた思考は、ようやく再起動した。
論理も、分析も、ここで何の意味もなさない。
やるべきことは、一つだけだ。
「――遊一ッ!」
考えるより先に、身体が動いていた。
遊一の腕を掴む。絶対に離してたまるか。
だが、影の力は、あまりにも強い。
俺の身体ごと、地面に引きずり込もうとしてくる。
――まずい。このままでは、二人とも。
選択肢は、ない。
俺は遊一の腕を掴むのと反対の手で、影の〝腕〟を掴もうとした。
触れれば、どうなるか分からない。
それでも。
今、ここでこいつを見捨てたら、俺は俺でなくなる。
ただ、それだけだ。
指先が、〝それ〟に、触れた。
瞬間――世界が、砕け散った。
ノイズ。
ノイズ、ノイズ、ノイズ。
視界が、無数の砂嵐に覆われる。
脳を直接、万力で締め上げられるような激痛。
知らない人間の、知らない記憶。怨嗟、悲鳴、憎悪、絶望。意味を成さない情報の奔流が、俺の意識を焼き尽くそうとする。
*――誰かワタシをミツケテ。――*
*――どうしてワタシだけ。――*
*――許さないユルサナいユるさなイ――*
この場所の記憶。
この土地に染み付いた、人間の感情の澱。
それが、〝声だけの女〟の正体。
世界のテクスチャが、まるで安物の書き割りみたいに、パラパラと剥がれていく。
その向こう側にある、混沌とした、根源の〝ナニカ〟が見えてしまう。
――これが、〝ソレ〟の正体。
――これが、この世界に貼り付いた、異物。
理解しては、いけない。
認識しては、いけない。
そんな、魂の奥底からの警報が鳴り響く。
どれほどの時間だったのか。
一瞬か、それとも永遠か。
……ふ、と。
意識が、浮上する。
目の前の光景は、元の路地裏に戻っていた。
アスファルトに、異常はない。
ただ、そこに、遊一の姿はなかった。
俺が掴んでいたはずの腕の感触も、綺麗に消え失せていた。
「…………あ」
声も、出なかった。
何が、起こった?
俺は、今まで、何を。
右の手のひらを見つめる。
そこには、遊一を掴んでいたはずの感触も、影に触れたはずの感触も、何も残っていなかった。
キィ、と。
背後で、車のブレーキ音がした。
それも、一台ではない。複数台の、統率の取れた停止音。
振り返る。
いつの間にか、路地裏の入り口に、数台の黒塗りのセダンが停っていた。
寸分の狂いもなく、等間隔に。
中から現れたのは、黒いスーツに身を包んだ、表情のない男たち。
その動きは、あまりにも静かで、無駄がなく、機械的だった。
彼らは、この場の異様な空気に一切動じることなく、淡々と状況を確認している。
一般人ではない。
それは、一目で分かった。
彼らの一人が、俺を見る。
感情の読めない、ガラス玉のような瞳で。
「――対象一名を確認。怪異接触者(エンカウンター)と断定」
「レベル3以上の霊素反応。……生存している、か」
「……確保」
冷たい声が、響いた。
抵抗する間もなかった。
男たちの手が、俺の身体を地面に押さえつける。
薄れゆく意識の中、俺はただ、誰もいなくなった路地裏の暗闇を、見つめていた。
遊一が消えた闇を。
俺の日常が、完全に終わったことを証明する、奈落の口のような闇を。
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