エピローグ
神仙境に戻ってからの日々は、昇太郎にとっても穏やかな日常が待っていた。坂本龍馬も昇太郎と同じで、ソラシネとの毎日の生活を楽しんでいるようだった。悟空・八戒・悟浄の三人も、それぞれの部署に戻り元の仕事に精を出していた。
仙境の町には、相変わらず古びた街並みが立ち並び、空には天女の羽衣を身にまとった、神仙女たちが優雅に舞い飛ぶ姿が見て取れた。
昇太郎は神仙境に戻ってからしばらく経っても、あの悪夢のような天草四郎との闘いの日々を思い出さずはいられなかった。そして、あの織田信長が天草四郎の魔の十字架にやられて、他界して別次元に往くことを余儀なくされた日のことを、思い出すたびに胸が張り裂けるような思いに駆られるのだった。まして信長は昇太郎のことを、息子のように可愛がってくれたのだからなおさらであった。
そんな想いは龍馬も一緒で、昇太郎と似たようなことを感じていることは確かで、時折り昇太郎を訪ねて来ては話に花を咲かせていた。
『いや、まっこと信長さんちゅうひとは凄かお人じゃった。自分が死ぬか生きるかの瀬戸際だちゅうのに、最後の力を振り絞って命のオーラ球を天草四郎に投げつけたんだから、まっこと大したもんぜよ。並みのわれわれみたいな精神体には到底太刀打ちがでけん…』
『そうですよね…。それに天草四郎の肩口を掠めただけなのに、最終的にはあのダメージが致命傷になって身を滅ぼしたんですから、龍馬さんの云う通り信長さまはもの凄く偉大な精神体だったんですね…。もっと長く神仙境にいてほしかったなぁ…』
『そんなことを云ったって、さまさらどうにもならんぜよ…。それにしても天草四郎ちゅう男は、何ともしぶといか男じゃったきに、わしゃ、考えただけでも身震いがするき、もう二度とあんな奴とは逢いたくないぜよ』
龍馬はそういうと、両手を振って顔をしかめた。
『でもね、龍馬さん。ぼくは思うんだけど、考えてみるとアイツもちょっと可哀そうな気もするんだ…。だって、小さい頃から神の子として崇められていたんでしょう。それが、わずか十五・六歳で百姓一揆の総大将に祀り上げられたんだもの、まだ善悪の判断もつかない子供ですよ。いくら頭が良かったかも知れないけど、まだまだ考えが成熟しきってない子供を相手に、大の大人が寄って集って討ち首にしたり、時代が時代だからと云ってもこれじゃあんまり酷すぎるとは思いませんか…』
『うーむ…、云われてみれば確かにその通りだが、しかし、わしらの時代だって同じようなものぜよ。わしらは天子さまを立てて新しい政府を樹立しようとした。そして、それを壊そうとする輩がいた。それでもって、わしらは殺されてしまった。どこがいかんと云うんじゃ、昇太郎さん。わしらに何もするなと云うことなのかのう…』
龍馬は自分の中を、生前のことが過ぎって行ったらしかった。
『いや、ぼくはそうは思いませんよ。龍馬さん、龍馬さんたちの働きがあったからこそ、現在の日本があるんだと思いますよ。ぼくは、だから、龍馬さんが夢にまでみたカンパニーだって、いまの日本には掃いて捨てるほどありますし、それこそ、世界を股にかけて働いているひとたちだってたくさんいるんです』
『百五十年という時の流れというか、時代の移り変わりというものは、まっこと激しいものじゃのう…』
ふたりで、そんな話をしているところにソーラがやっきた。
『昇太郎さま。龍馬さまもいらしておられましたら、ちょうどよろしゅうございました。神仙大師さまからのお呼びだそうにございます』
『何じゃろう。いま頃…、わしは何も大先生から怒られるようなことはしとらんき、何ごとじゃろうか…』
『それから、わたくしにも一緒に来るようにとも申されておりました』
『まっこと、わけがわからんき、昇太郎さん。おまん、何か心当たりでもあるんかい』
『いや、ぼくも別にこれと云ったことは…。とにかく、ここでとやかく云っていても始まりません。神仙大師さまのところへ行って見ましょうよ。龍馬さん』
龍馬は自分では気づかないうちに、何か失敗でも仕出かしたのではないかと、神仙大師の館に着くまで気が気ではなかった。それでも館に着いて太子のいる広間に通され、にこやかな顔で迎えてくれた、大師の姿をみてホッと胸を撫で下ろしたのだった。
みんなの前に数限りない料理が運ばれ、神仙女たちによって酒が注がれた杯が運ばれて来た。
『オホン…』
と、ひとつ咳払いをして神仙大師は静かに口を開いた。
『みなの者、此度の働きについては大儀であった。此度は益田四郎時貞という、魔界の者どもと手を結び自らの恨みを晴らさんと、人類を特に日本人の絶滅を企てし罪、断じて許し難きものがありて、これを阻止するべく織田信長坂本龍馬大山昇太郎、それにソーラ・マラダーニアの四名に命じ下界に下りてもらった。その結果、紆余曲折はあったものの益田四郎時貞を、見事魔界に落とし返すことができたのだが、ただ残念なことに織田信長は四郎時貞の手にかかり、われわれとは違う別次元に他界してしまったことだ…』
そこに集まった者たちは、神仙大師の話を静かに聞き入っていた。
『ですが、大先生…』
突然、龍馬が話しかけたので、みなが一斉に龍馬のほうを振り向いた。
『何じゃ、龍馬よ。申してみよ』
『大先生は、いかにもわしらの功績のように云っておらますが、わしらは何ひとつとして、これと云ったことはやっておらんぜよ。いつもアイツに一方的にやられっ放しで、いいところなんてこれっばかしもないきに。まっこと立役者といえば、あの悟空さん八戒さん悟浄さんのお三方じゃろうが、それに彼奴に致命傷を与えた信長さんに尽きるぜよ。そして、さらには、たったの一撃で天草四郎を魔界に送り返した、大先生がいたればこその話しじゃきに。それをそんなに褒められたりしたら、わしゃ穴があったら入りたいくらいじゃ』
龍馬の話を訊いていた者たちは、どっと沸いたので龍馬は頭を掻きながら引き下がった。
『じゃがのう。龍馬もみなの者もよく聞いてほしいのだ…。もし、益田四郎時貞をあのまま放置しておいたなら人間界はおろか行く行くは、この神仙境にまで影響を及ぼしたやも知れぬのだ。それを未然に防いだ功績は、この地球はおろか大宇宙にまで匹敵するかも知れぬ。それだけ、その方たちは大いなる仕事をし遂げてくれたのだ。天帝も大変満足のご様子でおられた。よって、その方たちにも特別の任務を与えよとの仰せであった』
『その特別な任務とは、一体どのようなことでしょうか。大師さま』
昇太郎が訊ねた。
『うむ、それは追って知らせるとのことであったが、何も心配することはない。大宇宙の果てまで行けとは云わんであろうからのう…』
『はい、ぼくは心配などしていません。行けと云われたら、どんな時代にでも行く覚悟はできています。ただ、ひとつ気になっているのは信長さまのことです。前に大師さまは、天帝さまにお願いして、信長さまを別の次元から復活させてやろうと、おっしゃっておられたではありませんか。それなのに、いつまで経っても信長さまの姿さえ、見られないじゃないですか。その辺のところはどうなっているんでしょうか…』
昇太郎に言われて、神仙大師はポンと膝を叩いた。
『おお、そうであった。天草四郎のことに感けていて、すっかり忘れておったわい。いくら神仙の一族とは云えども、やはり歳は取りたくないものじゃのう…。しばらく待っておれ。これ、そろそろ出てまいれ』
神仙大師が声をかけた。すると、辺り一帯に赤い閃光がひらめき渡った。
『しばらくだったな。昇太郎、坂本』
昇太郎と龍馬の前に現れたのは、真っ赤に燃え上がる焔のような、オーラに包まれた織田信長だった。
『の、信長さま。そのオーラは…』
『信長さん……』
昇太郎も龍馬も、それ以上声が出なかった。
『何をそのように、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしておるのだ。ふたりとも』
『信長さま。そのオーラ…』
『信長さん…』
昇太郎も龍馬も驚きのあまり、同じ言葉を繰り返すばかりだった。
『おお、このオーラか…、このオーラはな。別の次元に行って、再びこの世界に復活した者が、一段階高い位の精神体になった証だとか訊いたぞ』
『でも、信長さま。天草四郎にやられてから神仙境から姿を消されましたが、一体どこからどうやって、ここに戻ってこられたんですか…』
『それが、どうにも判らんのだ…。たぶん神仙大師さまが天帝にお願いして、復活させて返してよこしたんじゃないかと、わしは睨んでおるのだが…』
信長が神仙大師のほうを、チラッと盗み見をするような仕草で言った。
『わしは知らぬぞ。信長…、わしは知らぬ…。わしは何もしとらんし、何も知らぬぞ…』
神仙大師は知らぬふりをして、とぼけていたが昇太郎には分かっていた。信長が別次元に他界した時、「わしが天帝にお願いして復活させてもらうから、何も心配など致すではないぞ。昇太郎」と、言ってくれた言葉を昇太郎は一刻も忘れることはなかった。
その日の神仙境での宴は、信長の復活を祝って盛大に繰り広げられ、昇太郎も龍馬も天草四郎との闘いを、余すところなく信長に語り聞かせた。
『と、いう訳なんじゃよ。信長さん。それにしても、うちの大先生は歳は喰っていても、あれでなかなかのもんぜよ…。まっこと』
龍馬は神仙大師に聞こえぬように、信長の耳元で小さな声でつぶやいた。
『んむ…。何か申したかの…、龍馬』
神仙大師は聞き耳を立てたように龍馬に訊いた。
『何でもありません…、大先生。別に何も気にせんでいいぜよ。こっちのことじゃきに』
こうして、信長の復活を祝った宴は夜遅くまで続けられた。
宴があった日から数日が経った頃、ソーラの舘に神仙大師から呼び出しが掛った。
『いよいよ来たかな…』
信長がニヤリと笑いながら言うと、龍馬も頷いて昇太郎と顔を見合わせた。
『天帝の沙汰が下りたようぜよ…。昇太郎さん…』
『さっそく行って見ましょうよ。ソーラも行こう…』
取り急ぎ神仙大師の舘に向かうと、大師は極めて厳粛な姿勢で四人を待っていた。
『天帝が申されるには、此度の天草四郎のような忌まわしき事象は、これから先の世にもそれ以降の世のにも、二度とあってはならなぬとの見解であった。
よって、その方たちに天帝より特命が下りた。まず、織田信長には戦国の世から飛鳥時代までの世を、坂本龍馬には江戸幕府開府より明治に到るまでの時代を。そして、大山昇太郎には明治以降より令和を含む未来全般を、此度のような忌まわしき事柄が起こらぬように、要所要所を厳重に固めて警護しなければならぬとの仰せであった。これにより、その方たちは、これから直ちに各時代へと出向いてもらわねばならぬ』
『じゃぁ、ぼくはまた令和の時代に戻れるんですね…』
昇太郎は目を輝かせるように言った。
『よろしいでござりますぞ。大師さま、わしたちはこれよりすぐにでも出立致します故、どうぞ、ご案心くだされ。それでは、これにて御免被ります…』
信長は素早く立ち上がりかけた。
『待ちなさい。信長、それからその方たちも、その姿のままでは人間界には行けぬぞ。天帝はその方たちに仮の姿を与えよと申された。然るに、ここにてまったくの別人になり替わって人間界に降りるがよかろう。そーれ…』
神仙大師がひと声かけると、三人の姿は各時代にマッチした、年相応の姿に変貌を遂げていた。
『さあ、往くがよい。これでわしの仕事は終わった…。後は、その方たちの裁量で各時代ごとに、その時々に応じた人間の治安と平和を守ってやるのだぞ』
『それでは、わしも行きますきに、大先生も達者でのう…』
龍馬も信長に次いで神仙境から立ち去って行った。最後に取り残された昇太郎は、無言のままソーラと顔を見合わせた。
『これ、昇太郎。その方も早く行くがよい。それから、ソーラも昇太郎と一緒に往ってやりなさい…。どうやら昇太郎は、その方と離れたくないと思っておるようじゃからのう…。ホウッホホホホ…。これでよいのじゃ、これでのう…』
それから間なく、昇太郎とソーラも神仙大師に別れを告げて舘を後にした。昇太郎は期待に胸が高鳴っていた。これから始まる新しい生活と、懐かしい令和の世界に帰れる喜びで、数日前に谷川岳で転落死したことさえ、悪い夢でも見たような気になっていた。
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