10
天草四郎時貞、幼い頃より周りの人々から〝神の子〟として崇められ、自らもそう信じて疑うことすらも知らなかった男。
その天草四郎が、如何にして悪魔に魂を売り渡してまで、何故人間を根絶やしにしようと思い立ったのかは、本人以外は誰ひとりとして知る由もなかったが、高い年貢に苦しめられ喘いでいる農民を見て、何かしらの力添えになってやりたいと思ったとしても、これもまた至極当然のことのように思える。
しかし、その結果、三千人もの農民を死に至らしめたことについた、その罪を償おうともしないで、己れが斬首にされた怨みだけを前面に押し出して、日本人の大本まで遡っても絶滅させようとは、いくら四郎の精神体が未熟なものであって、若気の至りであったとしても途方もない企てであった。
その天草四郎が日本人の絶滅計画を、後回しにしてまで昇太郎たち六人に復讐しようとしていることは、悟空の推察通り天草四郎の精神体そのものが、どこかに異常を来たしいずれは自分にも、終末が来ることを知ったからではなかったのか…。
『なあ、昇太郎さんに龍馬さんよ…』
次の日の朝、昇太郎と龍馬のところに悟空がやって来た。
『おいら考えてみたんだけど、どうも夕べの使い魔コウモリたち、妙にあっさりやられ過ぎたとは思わないかい…』
『そうじゃろう。わしらもいま話とったところじゃき、悟空さんもやっぱりそう思っとったとね』
龍馬がいち早く反応を示した。
『これもふと思ったんだが、もしかすると天草四郎の状態はおいらたちが考えている以上に、悪化しているんじゃないかと思ったんだよ。そうじゃなかったら、魔界の使い魔であるコウモリたちが、あんなにいとも簡単に殺られるはずがないだろう。と、いうことは、奴も今度こそ必死になって襲ってくるに違いない…』
『それじゃ、こっちも厳重に防護を固める必要がありますよね。悟空さん』
『うん、そこなんだがね…。奴も相当ダメージを受けているとして、こっちは六人だ。一対六の戦いに、まともな方法じゃ襲ってはこないだろう。何か極端に卑劣な手を使ってくるだろうよ』
『む…、確かにアイツは卑劣極まりない男じゃき、どんな手を使ってく。か判らんぞ…』
龍馬は腕組みをすると、しきりに考え込んでしまった。
『それじゃ、それを逆手に取って、こっちから反対に罠を仕掛ければいいじゃないですか。悟空さん』
今度は何を思ったのか、昇太郎が話し出した。
『何…、罠だって…、何かいい手でもあると云うのかい。昇太郎さんよ』
『いい手かどうかは分かりませんが、だれかひとりが「万華変」を使って天草四郎になりきるんです。それで、これも偽装なんですけど、この辺の部落に嵐や洪水を起こして、壊滅したように見せかけるんですよ。
それに気づいたら、天草四郎も何ごとが起きたかと姿を現すんじゃないでしょうか…』
『しかしな、昇太郎さんよ。相手は海千山千の天草四郎だぜよ。そんな子供騙しの手に乗ってくるとは思わんが…』
珍しく龍馬が昇太郎の意見に難色を示した。
『だったら、龍馬さん。他に何かいい作戦でもあると云うんですか…』
『いんや、何もないから困っているんだけんど…、だがのう。昇太郎さん、そんな見え見えの手に引っかかるとは思えんのじゃ…』
『よし、わしが行こう…』
と、後からやって来た八戒が言った。
『何だ。八戒、お前にいい策でもあるのかよ』
『いいや、何もないけど、何もしないでいるよりは増しだろう。それに、モクさん相手もひとりだと思って油断が生じないとも限らない。ここはひとつ、ただでさえ出番の少ない、このわしに任せてくれ。但し、兄貴たちは絶対に姿を見せないでくれよ。天草四郎が現れるまでは…、頼んだよ』
そう言い残すと、猪八戒は大食漢で女好きの普段の八戒とは、思えないほどの勇猛さで、旧石器時代の荒野に姿を消していった。
『どれ、それじゃ、おいらたちも姿を消して八戒の後を追うか…』
さて、さっそうとたったひとりで飛び出しては来たものの、八戒の内心では後悔の念が頭を擡(もた)げ始めていた。
「ああ…、あんなこと云うんじゃなかったな…。いつもカッコいい役は兄貴に持っていかれるし、たまには主役になってみたかったけど、段々心細くなって来ちゃって、やっぱりダメだな。わしは…」
そんなことを考えながら歩いて行くと、前方の上空に黒雲がムクムクと湧き上ってきた。
『やや、何だ。あれは…、もしや、天草四郎が…』
八戒が身構えていると黒雲は一気に近づいて来て、やがて黒雲は掻き消えてそこに現れたのは、紅顔の美少年と謳われた天草四郎だったが、もはやその容貌に往年の面影すらなく、醜く引き攣った阿修羅のような形相をしていた。
『ふふふふ…、待っていましたよ。豚の化け物さん。まず、あなたから先に始末して差し上げましょう』
『黙れ、どっちが化け物かは知らんが、ここで逢ったのが百年目と思いな。さあ、行くぞ…』
八戒は肩に担いでいた馬鍬(まぐわ)を構えると、天草四郎を目掛けて一目散に突進して行った。
『おっと…、その手は喰いませんよ。ええい…』
天草四郎は、突進してくる八戒をヒラリと躱すと、そのまま空中高く舞い上がって行った。
『こら、逃げるのか。待てぇ、絶体に逃がしはしないぞ。それ…』
猪八戒も見た目とは、打って変わったような速さで、天草四郎を追って空中に舞い上がっていた。
『おや、おや、豚さんも空を飛ぶことができるんですね…。これは非常に面白い…』
『ふふん…、何が面白いってんだよ。飛べない豚は、ただの豚なんだよ。分かったかい』
『ふふふ…、何を小賢(こざか)しいことを…、それでは今度こそ遠慮会釈なしに行きますよ。覚悟はいいですか…。えーい』
八戒と天草四郎の戦いが始まった頃、悟空や昇太郎たちもそれを眺めていた。
『悟空さん。そんなにのんびり見ていていいんですか。早く行って一緒に戦わないと、八戒さんが…』
『なーに、心配はいらないよ、昇太郎さん。八戒のヤツだって、たまには主役になりたいと思っているんだから、ここはしばらく静観してやりしょう』
『へへへへ、昇太郎さん。ご心配なく、八戒の兄貴だって見かけは頼りなさそうに見えますけど、いざとなればどうしてどうして、相当なものなんですよ。あれでも…』
悟浄も悟空に同調すると、ふたりの戦いぶりに見入っていた。
『昇太郎さま。八戒さまはなかなかお強い方ですので、ご心配には及びませぬ』
ソーラまでもが、八戒の強さを確信しているように、きっぱりと言い切った。
『まあ、見ていてくださいよ。昇太郎さん、八戒兄貴の戦いぶりを…。へへへへ』
みんながそう言うので、昇太郎もひとりで心配していても始まらないと、八戒と天草四郎の戦いをしばらく観戦することにした。
ふたりは互角に渡り合いね当な時間が経過して行った。
『もう、だいぶ時間が経っていますよ…。悟空さん、大丈夫なんですか。応援に行かなくても…』
『いや、まっこと凄い戦いじゃきに、果たして時間の経過がどっちに味方するかじゃのう。これは…』
龍馬も、これだけの時間を費やした戦いは経験がなかった。だから、この長い時間の経過がどのように作用して、どれだけのダメージが双方に加わるのか、推測することさえ不可能と思われた。
ふたりの戦いは熾烈を極めていた。ふたりとも時空間を超越しての戦いだった。従って、現空間で視ている者の目には、ふたりの姿が消滅したり現れたりという、目まぐるしい展開が繰り返されていた。
『うわぁ…。これじゃ、助けたくても手の出しようがないじゃないですか…。どうするんですか。悟空さん…』
『どうすると云われても、いまのままじゃ手の出しようもない。八戒にもう少し頑張って貰って、ふたりの形成が安定するのを待つしか手はないだろうな…。八戒だって、そうみすみす殺られることもないだろうから、しばらくはこの状態が続くだろうな』
『そんな…、のんびり構えていていいんですか、本当に…。ねえ、悟空さん…』
『大丈夫だよ。昇太郎さん、おいら八戒のことを信じてるから、アイツだってバカじゃない。そうやすやすと負けはしないよ。まあ、見ててごらんよ』
猪八戒も天草四郎も丁々発止と渡り合い、時空間の中を見えたり隠れたりして、一向にその勝敗の行方さえ見えてはこなかった。そのうちふたりとも現空間から姿を消して、しばらく静まり返ったまま見えなくなっていた。
『あれ、今度は消えたまま姿が現れませんよ。悟空さん…、どうしたんですかね…』
『まだ違う次元の別の世界ででも、戦っているんだろうよ。それにしても長過ぎるな…、もうだいぶ経つから八戒のヤツも、そろそろ限界かも知れんな…。今度現れたら、おいらも少し加勢してやるか…』
『そのほうがいいぜよ。わしも一緒に行くきに』
龍馬も一歩前に出ると、青く澄み渡った空を見上げた。
『よし、それなら僕も行くよ。龍馬さん』
と、昇太郎も前に出てきた。
しばらく静まり返っていた空間が、にわかに掻き曇ったかと見るや、いきなり雷鳴が鳴り響き稲妻が走った。
『よし、そろそろ来るぞ。みんな注意してくれ』
『ボワーン…』
と、いう音とともに、八戒と天草四郎が姿を現した。
『行くぞ。みんな』
『おー…』
五人は一斉に舞い上がると、いま八戒と天草四郎が現れた空間を目指して飛んで行った。
『いいかい。みんな、今度こそはヤツを取り逃がすようことがあっちゃまずいぜ。今度という今度は何としても、アイツを完全に抹消する魔界に送り返さなければ、神仙大師の御大に顔向けができねえんだ。これが最後の修羅場になるかも知れねえが、みんなも充分気を引き締めて掛ってくれ。まずは、八戒を少しでもいいから休ませてやりたい。まずはおいらから行こう。あとは、おいらに続いて来ればいいや。さあ、行くぜ…』
悟空は、八戒と天草四郎が戦っているさなかに入って行くと、八戒に声を掛けた。
『おい、八戒。おいらが代わってやるから、お前は少し休んどきな』
『いや、ダメす。こればっかりは、いくら兄貴の頼みでも聞けませんね。この天草四郎との決着だけは、誰にも譲れませんよ。この天草四郎とは人間界の時間で、もう十日間も戦っているんですから、いまさら引けと云われても、「はい、そうですか」と、引き下がるわけにはいきません。
兄貴たちは、そこいらで見ててください。わしはどんな結果になろうと悔いは残したくないんです。さあ、行くぞ。天草四郎…』
『おい、八戒。お前いつからそんなに強情になったんだ。ちょっと待てったら…』
悟空が止めるのも聞かず、八戒は再び天草四郎と渡り合い始めた。ふたりの戦いは激戦を極め、両者の凌ぎ合いはいつ果てるともなく続いた。
その頃、神仙郷では神仙大師が自らの居室で、この光景を永遠の鏡を使ってひとり静かに視ていた。
「聞きしに勝る輩よのう…。八戒を以てしても引けを取らぬとは…」
神仙大師は、ある予測を立ててみた。あの西遊記で名高い、悟空・八戒・悟浄を相手に、ここまで互角に戦っている。いまでは魔の化身となり下がった、天草四郎時貞という精神体の強かさ。それをこのままにして置いては、後々のためにはなるまいと考えていた。
『これ、ソラシネはおらぬか…』
『お呼びでございましょう。大師さま』
ソラシネは即座に現れると、神仙大師の前で恭しく傅いた。
『わしは、これより下界に参るぞ。その方もついてくるが良い』
『わたくしもでございますか…』
『すぐに参る。良いな』
『畏まりまして、ごさいます』
こうして、神仙大師とソラシネも、旧石器時代後期の日本へ向かったのだった。
一方、その旧石器時代の世界では、延々として八戒対天草四郎との戦いが続いていた。
『おのれ、しぶとい奴め。これでも喰らえ…』
『なんのそれしき、それでは〝魔の十字架〟受けてみなさい』
またしても信長を襲った、黒い十字架が八戒を狙って飛んできた。『なんのこれしき…』
八戒は体を交わして切っ先を避けたが、十字架の片一方の先端が八戒の肩口に当たった。
『ぐわぁ……』
バランスを崩した八戒は、地上へと真っ逆さまに落ちて行った。
『あ…、八戒…』
悟空が叫んだ。
『ソーラ、早く下に行って八戒さんを見てきてくれ…』
昇太郎が声をかけると、ソーラは一瞬にして、その場から姿を消していた。
『おのれ…、よくも八戒をやってくれたな。もう容赦はしないぞ。覚悟しやがれ…』
もともと気の短い悟空は、八戒がやられたことで自我を忘れたように、すっかり逆上していた。
『ふふふふ、容赦しないのなら、どうするのですか…。あなたもついでに地獄へ送って差しあげましょうか…』
『ふん、送れるものなら、送ってやがれ。行くぞ…』
悟空が如意棒を振りかざした時だった。
『みなの者、それまでじゃ。もう止めなさい…』
『何者ですか。あなたは…』
『神仙大師さま…』
昇太郎が小さく叫んだ。
『神仙大師だと…、何者ですか…』
『わしか…、わしは天帝より任命された、神仙郷の総帥じゃ。見知りおくがよい。さて、その方が益田四郎時貞じゃな。何ゆえに人間の絶滅などという、愚かしいことを申すのじゃ、早々に魔界なり何なりと消え失せるがよい。それが、その方のためでもある』
『ふふふふ、笑わせちゃいけませんよ。どこに行こうと、あなたに指図されるいわれはありません。特に、あなたのような年寄りにはね。ふふふふ』
『どうしても、魔界に去らぬと申すのなら、わしにも考えがあるぞ。それでもよいのだな』
『くどいですね。あなたも…、わたしは日本人を根絶やしになるまで、呪って呪って呪い殺してやるのです。ふふふ、ははははは…』
『左様か…、このようなことはしたくなかったが、致しかたあるまい…。えーい…』
神仙大師の掛け声もろとも、金色に光る輪が大師の中から飛び出し、天草四郎の頭上で回りだした。四郎は避けようとして体を動かそうとしたが、四郎は金縛り遭ったように身動きひとつできなかった。
光る輪は、まるで生き物のように回転しながら、天草四郎の頭にピタリと填まって止まった。
『あ、あれはおいらの…』
悟空が驚くのも無理はなかった。それはかつて悟空が頭に填められていた、緊(きん)箍児(こじ)そのものだったからである。
『よいか、益田四郎時貞、よく聞くがよい。このまま魔界に帰るがいい。さもなくば、こうなるのだぞ…』
そう言うと、神仙大師は何やら呪文のようなものを唱え始めた。すると、天草四郎は急に頭を抱えて苦しみ出し、バンスも失ったのか地上に向けて落下し始めて、途中から全体の輪郭が薄れて行ったかと思うと、地上に届く寸前にスウーっと消滅して行った。
『これで終わったのう。悟空よ』
『御大』
『大師さま』
『やったぜよ。大先生』
みんなが神仙大師のもとに駆け寄っていっった。
『うむ、これで益田四郎時貞も、魔界へ戻って行ったようじゃ。二度とわれわれの前に現れることもなかろう。さあ、みなの者神仙境へ帰ろう。龍馬よ、ソラシネも心配して迎えに来ておるぞ』
『それはないぜよ。大先生…』
神仙大師たちの帰って行った、旧石器時代の荒野には真っ赤な夕日が沈もうとしていた。
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