あとがき

 大迷界に引き続き、またしても「神仙境」なる仮想空間をでっち上げてしまった。

 この物語は、一体何なんだ。と、言われたらそれまでの話だが、大迷界も神仙境も私の空想の産物で、どちらも死後の世界を想定したものであった。人間いつかは死ぬものであるから太古の昔から人間は、自分たちが死んだらどうなるのだろうという、疑問符めいたものを持っていたに違いない。

 人間、長い間生きていると様々な死と遭遇する。親や親族・友人知人たちの死がもっとも身近な死との遭遇である。私が初めて人の死というものに遭遇したのは、私がまだ四・五歳の頃で、上の姉が十九で死んだ時だった。その次が私の母親で、私が二十歳の時に他界した。このようにして、人はこの世に生まれてきたからには、いつかは必ず死ぬということを身をもって知ったわけである。

 さて、本題に戻ろう。この令和神仙記という物語の発想は、昔テレビドラマでやっていた、「大江戸神仙伝」というドラマから得たものである。が、これもまた然りで「令和神仙記」のほうは、またしても似ても似つかない作品に仕上がってしまった。

 主人公の大山昇太郎は、令和になってから最初の初日を見ようと、前日から谷川岳の登頂に挑んでいた。地形の関係から、気候が目まぐるしく変わりやすいと言われている谷川岳も、気温は低かったものの穏やかに晴れた、絶好の登山日和だった。ようやく山頂に到達して、令和二年の初日が昇るのを待っていると、やがて周りの山々を明々と染めながら太陽は昇ってきた。

 昇太郎は初日を拝し、いざ下山しようとして足場の岩に足を掛け一歩踏み込んだ時、岩はもろくも崩れ落ち昇太郎は真っ逆さまに転落して行った。自分が死んだことを悟った昇太郎のところに、白いオーラに包まれたソーラが現れて、精神体となった昇太郎を神仙境へと案内して行く。神仙境に着くと神仙大師に目通りが許されて、神仙大師から法力を授けられ坂本龍馬の精神体を連れてくるようにと命を受ける。

 こうして、昇太郎は慶応四年に行って龍馬を連れてくると、今度は精神大師が龍馬に織田信長を連れてこいと命じるのだった。

さて、この物語には西遊記でお馴染みの孫悟空や猪八戒・沙悟浄なども登場するのだが、何といっても極めつけは悪役で登場する天草四郎時貞だろう。幼い頃より神の子として人々から崇められ、百姓一揆に加担したという罪で、打ち首にされたことを根に持って魔界のものに魂を売り渡して、人間を根絶やしにしようと画策するが、ことごとく打ち破られ時間を遡って、縄文時代はおろか旧石器時代まで行って、原始日本人を絶滅させようとしたのだ。

 昇太郎たちが危機一髪と危機一髪という時に、雲に乗った神仙大師が現れて天草四郎を見事魔界へと落とし帰す。と、いうのが、この物語の主だったストーリーなのだが、書いていて自分でも何故か物足りなさを感じた。これは取りも直さず私の力量のなさを如実に物語っているのだから、仕方がないと言ってしまえば、これまた仕方がないことなのかも知れない。とにかく、そんなことで悩んでばかりはいられないので、新たな作品に取り掛かりたいと思っている。

 私が初めて書いた作品がタイムマシンをテーマにしたものだっただけに、また時間テーマのものを書きたいという欲求は強い。いま現在構想にあるものは異次元テーマなのだが、こちらのほうはもう少し時間をかけてじっくりと考えてみたい。

 そんなわけで、令和神仙記も何とか無事完成することができた。

 全国の天草四郎を崇拝している方々に謝罪ししなければならない。私は別に悪意を持って天草四郎を悪役にしたわけではない。歴史的に見ても、天草四郎ほどの人物はいなかったからに他ならない。ましてや、自他ともに神の子として認めていたからだ。

 さらには、四郎自らも数々の奇跡を起こしたとの記録も残っていると聞く。このような逸材は、どこを探しても見当らなかったからに過ぎない。だから、天草四郎を悪役に仕立てたことに、いささか悔いが残らないでもないが、この辺で一応終わりということにしたい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

令和神仙譚 佐藤万象 banshow.s @furusatoha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る