第17話 若返りの血を追って

  一

 誰かが、部屋へ入って来た。紫乃は、薄目を開けてみる。ベッドの脇に座ったのは、金髪の大男だ。

「あんたぁ、今から人を殺しに行くような顔をしちょるが!」

 ロイの左頬のケロイドが、真っ赤にふくれ上がっている。いや、ロイの顔全体が、炎のように紅潮している。

 わざとらしく目を細め、ロイの全身を眺め廻した。首筋に力が入り、ビリリと痛む。グッ、とこらえる。

「まさか……うちを殺しに来たんか? 黒幕は、あんたじゃったか」

 険しかったロイの表情が、ゆるんだ。内心、ホッとする。

「どんだけ快復がはよても、アホさ加減は治らへんな」

「美貌も聡明さも神様にもろぅたうえに、贅沢ぜいたくは言えんが、右半身ばっかりは思い通りに動かんのぅ」

 今朝から鼻カヌラも尿道カテーテルも外され、身軽になった。痛み止めが減量され、眠気も薄い。相変わらず、右の手足は重く冷えたまま、動かない。

「比嘉に言うて、早めにリハビリを始めてもらおぅや。リハビリを進めるには、それなりの意識レベルの回復が必要やから……意識は戻ったけど、後遺症で知能が低下して言葉も出ぇへん状態を装う、っちゅうんはどぅや?」

「そりゃ名案じゃわ! なんで、もっとはよぅに思い付かんかったんじゃ!」

「焦るな。物事には、順序ってもんがあるねん」

「ずっと目ぇ閉じちょるよりも、楽じゃ。TVだって観れるし、のぅ……お笑いを観ても、笑わんようにせにゃぁいけんが」

「くれぐれも、ぃ抜くなよ。知能も言葉も元に戻らんなら、犯人はお前の口を封じる必要が無くなる。つまり、安全なままや」

「うちは、口封じのために殺されかけたんか? 犯人が分かったんか?」

「それが、な……」

 ロイが、低い声で語り始めた。国立衛生研究所NIHに勤める友人、伊豫。「timeless」の臨床試験の頓挫とんざ。有害事象の隠蔽いんぺい。国や企業同士のスパイ合戦。追い詰められたアスタリスクの最後の一手、新薬の狩人ドラッグ・ハンター

「若返り薬の存在を知る、うちを消そうとしたわけか。ほいじゃぁ次は、あんたも狙われる可能性があるじゃろ?」

「俺が日誌を手に入れたと、バレたらな。奴らの目的は、新薬の利益の独占や。情報が洩れたと気付いたら、とことんつぶして回るやろ。有害事象を修正して、若返り薬の特許を取る日まで、な」

「先のながぁ話じゃ。目を閉じて、ずっと寝ちょるわけには、いかんのぅ。お父ちゃんの創った薬が、国や企業同士のそぎゃぁな争いに関わっちょるとは、にわかには信じられんが」

「関わるどころか、今やうずの中心やで。……実は、な。もう一つ、告白せなぁアカン」

 ロイが、いきなり顔を近付けて来る。紫乃は慌てて、左手でロイを押しった。

「待たんか! こぎゃぁに殺風景な部屋で! 女子おなごに告白するときは、車椅子か何かで、景色のええ場所へ連れて行くもんじゃ!」

 眉ひとつ動かさず、ロイが言葉を続けた。

「アスタリスクのナンバー2は、俺の親父やった。二十二年前に母親と離婚して、ここ十五年ほどは連絡を絶ってたから、俺は知らんかった。親父は、研究部門のトップや。つまり、お前の両親やお前を襲わせたんは、親父かもしれん」

 スマン、とロイが深々と頭を下げた。

 予想と違う展開にガックリしつつ、紫乃はす。

「新薬の狩人ドラッグ・ハンターとやらが、勝手にやったのかも知れんじゃろ? それに、他に犯人がる可能性は、ぁんかのぅ?」

 警察からの情報は、その後途絶えている。紫乃が集中治療室ICUに入院したまま意識の戻らないフリを続けているため、広島県警の刑事は会いに来ない。

「可能性があるには、ある。二十五年前、おのきょうの産婦人科医が『自家製ハーブで早発閉経を克服し、妊娠・出産へ至った五十六歳』っちゅう症例報告を、福山医大雑誌に載せてる。恐らく、お前のオカンや」

「うちのお母ちゃんの出産が、いつの間にか世界で有名になっちょったんか! ほいじゃあ若返り薬の秘密も何も、あったもんじゃぁのぅ」

 地方病院の一介の産婦人科医が、わざわざ症例報告を書きたくなるほど、稀少なケースだったのだろう。

「世界へは、発信されてへん。日本語に堪能な奴が、日本の医学雑誌のデータベースから見付け出したんや。ただし、症例報告に『自家製ハーブ』の中身は一切、載って無かった」

「どんなハーブを飲んじょったか分からんくせに、高齢出産のオバハンに外人がわざわざ興味を持つかのぅ? 何に付けても、わきゃぁほうがかろうに」

「そういう興味とは、種類が違うねん。症例報告を読んだら、そらぁビックリするで。四十手前で早発閉経してた女性が、五十六で自然妊娠の自然出産をしてるんや。『自家製ハーブ』に効果があったんは、明らかやろ」

「二十五年前の、しかも日本語の症例報告に、どぎゃぁして海外から辿たどり着いたんじゃろ? 物好きと根気にも、ほどがあろぅで」

「金脈を掘り当てる奴は、それだけ必死こいてるねん。恐らく『時騙し』かて、同じようにして見付けたんや」

「これまで何も考えんと処方しちょったが、薬を創る側には色んな人間がるんじゃのぅ。うちは、病気を治そうっちゅう熱意の結晶が新薬じゃと思うちょった。お父ちゃんは、お母ちゃんの不妊と早発閉経を治したい一心で『トキモドシ』を発見したんじゃろ」

「お前のオトンや伊豫のように、『研究で誰かを救いたい』っちゅう気概を持ってる研究者は、ごくひと握りや。大概は、カネ目当てやろ。お前かて、若返り薬を売ってセレブになりたいとか、ほざいてたやん」

「うちは……今は、ただ、元の体に戻りたいだけじゃ。贅沢ぜいたくは言わん。右手の感覚だけでも、元通りにして欲しい。もう一度、両手の指を使つこぅて脈診がしたいんじゃ。ええ漢方医になって、患者さんの役に立ちたぁよ」

 ――絶対、歩けるようになってやる――

 自分の足で歩いて、両親の遺体を引き取りに行く。最初は、そう決意していた。

 意識が戻ってからこの三日間で、完治は不可能だと早々に悟った。右半身の麻痺は、頸部の切創や呼吸などと、障害ダメージの次元が違う。手足を動かそうにも、動かすスイッチ自体が見当たらない。

「ほいで、日誌は、どうじゃった? 万願寺先生の所から帰って来て、お父ちゃんはどうしちょったんじゃ?」

「一九九〇年に『トキモドシ』二gを再開して、あとはせんやくをその都度つど調整しながら併用してる。一九九二年からオカンにも同じ処方を飲ませて、一九九三年には十二年ぶりに月経再開や」

「待たんか! うちは一九九九年に生まれたんで? そぎゃぁにはよぅにお母ちゃんの月経が再開したんなら、なんで妊娠するまでに五年も掛かったんなら?」

「知らんがな。多分、子供の作り方がイマイチやったんやろ」

「アホか! このセクハラ講師が!」

 ばんばんとロイを叩きつつ、紫乃はちらりと頬を見遣みやった。ケロイドの赤みは、収まっている。

「あんたの頭と語学力がありゃぁ、もう全部、日誌を読めたんじゃろ? 若返り薬は、作れそぅなんか?」

 ロイが怖い顔をしていなければ、今日、真っ先に訊きたかった件だ。

「自信が、無いねん。結局、『トキモドシ』の有害事象を抑える決め手は、分からへんかった。このまま薬を作っても、一歩でも間違えれば、お前を殺してしまうかも知れへん」

 金髪頭が、うなだれる。赤褐色だった頬のケロイドが、今は青黒く見える。疲れているのだろうか。

 紫乃はガハハハッと笑い飛ばし、ロイの膝をぱしんと叩いた。

「こぎゃぁに気落ちしたあんたを見るんも、一興じゃのぅ! 写真におさめときたぁわ!」

 言い放ってから、はっ、と紫乃は口をつぐんだ。

 いつの間にかロイの背後に、スクラブの上下を着たスキンヘッドの男が立っている。

 救急・集中治療科の比嘉教授だ。滑らかに光る頭のあちこちで、青い静脈が怒張している。

「おどれら、コソコソとなんの話をしよるんなら……完璧に意識が戻っとるじゃぁか!」

 紫乃もロイも、慌ててシーッ、と唇に指を当てた。ロイと比嘉の大きな体に隠れ、多床室から紫乃は見えない。スクラブの半袖から突き出た太い腕で、ビクンビクンと筋肉がうごめく。

「ちょ、ちょっと待て、比嘉、落ち着いて聞けや。これには、深い理由ワケがあるねん。……紫乃ちゃん、比嘉は口がかとぅて、信用できる奴や。話しておいたほうがええやろ?」

 紫乃は、既に観念していた。

「比嘉教授は、命の恩人じゃ。今も、この命はあんたらに預けちょる。うちのせいで迷惑を懸けて申し訳無わけなぁが、よしなに、全部お任せするけん」

 ロイが頷き、個室と多床室を隔てるアクリル窓のブラインドを下ろす。

 ひと通り、話を聞き終えると、比嘉が深々と頷いた。

「なるほどのぅ。合点が行くわい。手口が、プロの殺し屋じゃったけぇ。三阪の安全と秘密は、わしが責任を持って守っちゃる。外道な奴らに、負けるわけにはいかんけん」

 盛り上がった両肩の筋肉から、ボッ、と炎のような熱気が昇った。大きな両手で、比嘉が紫乃の左手を優しく包む。

「救急・集中治療科のスタッフには、わしから上手うもぅ説明しておくけん。お前は、明日からリハビリに精を出せや」

 パチン、とロイが指を鳴らした。

「比嘉が口裏を合わせてくれるなら、広島県警にも紫乃ちゃんの意識が戻ったと伝えとこか。早めにぅたほうが、少しでも捜査の役に立つやろ」

「スタッフの手前、意識がぁはずの患者と刑事だけで事情聴取するんは、いかにも不自然じゃのぅ。……ロイ、事情聴取には、お前の付き添いが必須っちゅう条件で、どうじゃ? 状況を最も知っちょる上司のお前が、三阪の意思を代弁するっちゅう建前じゃ。それなら、スタッフにも怪しまれんじゃろ」

「イケそぅやんけ! 決まりや! よし、県警に電話しよか」

 早速PHSを取り出すロイを、比嘉が手で制した。

「院内PHSは、よぅ混線するし、盗聴されやすいけん。集中治療科の責任者のわしの口から『まだ意識朦朧としちょるが、ロイの付き添いがありゃぁ短時間の事情聴取は可能』と伝えたほうが、信憑性が高まるじゃろ」

 比嘉がPHSを耳に当て、「広島県警へ繋いでくれい」と交換台へ伝える。

 ロイと比嘉が揃うと、トントン拍子に事が運ぶ。

「さすが、教授先生じゃのぅ。同じ米国アメリカ帰りでも、どっかの万年不良講師とは、思い付くアイデアの精度が違うわい」

 ボソボソと紫乃が呟くと、ロイが恐ろしい目でギロリとにらんで来た。


  二

 水曜日。紫乃が襲われた金曜の夜から、五日が経った。

「お客さんが来たで」

 ロイの合図で、紫乃はぼんやりとした無表情を装う。

 看護師ナースに案内され、背広姿にノーネクタイの男二人が、多床室からやって来る。見覚えのある鋭い目付きと、がっちりした顎のライン。広島県警捜査一課の、たでまる小早川こばやかわだ。

 刑事たちを招き入れてドアを閉め、ロイがブラインドを下ろす。

 蓼丸が、紫乃の顔を覗き込みつつ、一語、一語、言葉を区切った。

「こん、にち、は」

 小早川は、紫乃をちらりと見遣みやっただけで、単刀直入にロイへ訊く。

三阪先生こんなは、どこまで状況が分かるんかのぅ?」

「アホタレ、全部分かっちょるわ! たとえ相手の意識がかろぅが、ちゃんと挨拶くらいせんか!」

 いきなり喋り出した紫乃を見て、蓼丸と小早川の目玉が五㎜ほど飛び出す。

「こりゃぁスマンかったのぅ。随分と快復されちょってじゃ」

「実は日曜から、意識は完璧に戻ってるねん。紫乃ちゃんの判断で、意識が無いフリをしながら様子をうかごぅてた。前にも話した通り、俺らはアスタリスク製薬と新薬の狩人ドラッグ・ハンターが犯人やとおもてる。意識が戻らんなら、口封じの必要もぅて安全やからな」

 ロイが、手短てみじかに状況を説明する。

 紫乃は、吐き捨てた。

「話しても無駄じゃ。その刑事たちは、若返り薬の話を頭っから信じちょらんけぇ」

だぁっとれ! 俺が話してんねん!」

 珍しく本気で怒声を上げたロイに、紫乃は思わずたじろいだ。

「あとは、比嘉が電話で話した通りや。集中治療科のスタッフへは、昨日から紫乃ちゃんの意識が部分的に戻ったっちゅう建前たてまえにしてある。まだ一人では十分に意思疎通ができへんはずやから、紫乃ちゃんと刑事さんだけを部屋に残して事情聴取させるわけにも、いかへんねん」

 勧められたパイプ椅子に座り、小早川がノートパソコンで記録を取り始めた。以前と同じく、蓼丸が質問役だ。

 ばつが悪そうに紫乃の顔をうかがいつつ、蓼丸が口を開いた。

「確かに病院関係者が内通しちょる可能性があるし、用心せんとのぅ。犯人は、福山市の救急医療体制や病院内部の事情に、妙に詳しいけぇ。羽立先生が殴られたんはセキュリティの掛かったVIP病棟で、三阪先生が襲われたんは研修医フロアじゃ」

 キーボードを叩きながら、珍しく小早川がロイへ質問して来た。

「三阪先生の体調は、どんなね?」

「呼吸と循環は、ほぼ元通りやし、首の切創の快復もアホみたいに順調や。ただし、右の手足の麻痺は重度や。今のところ、治る見込みも薄い」

 蓼丸が目を固く閉じ、表情を強張こわばらせた。小早川の骨張ほねばった頬からは、ギリギリと奥歯を噛み締める音が聞こえる。

「現時点で三阪先生の意識が完全に戻ったと知っちょるんは、羽立先生と比嘉教授だけね?」

「せや。比嘉の米国アメリカ仕込みの救命技術が無かったら、紫乃ちゃんは死んでた。俺は、学生時代から比嘉をよーく知ってるけど、まず間違いの無い奴や。この世で一番、信頼できる」

 蓼丸と小早川が、顔を見合わせる。

「比嘉教授は、米国アメリカったんね? いつからいつまでね?」

「初期研修を終えてから去年までやから、十年近くかな。……おいおい、比嘉は米国アメリカ帰りやけど、アスタリスクとは何の関係も無いやろ」

「参考までに、訊いただけじゃけぇ」

 蓼丸の、そらっトボけた笑顔が、余計に紫乃のカンにさわった。

米国アメリカ帰りのうえに、アスタリスクとずぶずぶに関係しちょる福山医大の講師がったら、どうするんなら? 比嘉教授どころの騒ぎじゃかろぅて? 重要参考人っちゅう奴か? しょっくんか?」

 紫乃は、蓼丸と小早川を小馬鹿こばかにした口調であおってみた。二人の視線に、鋭く力が込もる。

「なんじゃて? それは誰なら?」

 ロイが、口をへの字に曲げた。

「バレてから言うんも、嫌やし。……俺や」

「羽立先生じゃて? どういうわけね? アスタリスクと関係があるんに、黙っちょったんか?」

「アスタリスクのナンバー2つ研究部門の責任者は、俺の親父やった。俺も、一昨日おとといの夜に知ったばっかりや。オカンと離婚して二十二年、俺と音信が途絶えて十五年やからな」

「最後に連絡を取ったんは、いつね?」

「今、言うたがな! 十五年前や! 嘘やと思うなら、俺のメールの履歴でも電話の記録でも、十五年ぶんを調べたらええがな!」

 ロイが声を荒げる。勝ち誇ったように、紫乃は高らかに宣言した。

「ほれ見んさい。今度は、あんたを疑い出したわ。この刑事らは、目の付け所がへなちょこじゃけぇ、何を言うても時間の無駄じゃ!」

 小早川が、パチパチとキーボードを打っていた手を、ぴたっと止めた。がっちりした顎で、言葉を噛み砕くように、低い声で喋り始める。

「三阪先生のおっしゃる通りじゃ。わしらは、へなちょこじゃ。若返り薬の存在を信じんかった。こぎゃぁな危険が三阪先生に及ぶと、予測できんかった。ホンマに申し訳無わけなぁと思うちょる」

 座ったまま、小早川が深々と頭を下げた。横の蓼丸も視線を落とし、初めて悔しげに頬をゆがめた。

「言い訳じゃがのぅ。刑事の仕事は、一つ一つ可能性を考えてはつぶし、つぶしてはまた考える、亀みたぁな進み方しかできんのじゃ」

 今度はロイが、立ったまま、コンパスを折り曲げるように頭を下げた。

「スマン。つい、苛立いらだってもうた。俺も、色々と上手うもぅ行かへんへなちょこや。紫乃ちゃんに殺し屋が差し向けられていると、真っ先に気付くべきやったんは俺や」

 紫乃は、仰天して思わず声のトーンを上げた。

「なしてじゃ。あんたぁ、素人じゃろ。もしかして脈診以外に、指先で殺し屋を探知する特殊能力でも持っちょるんか?」

 シッと唇に人差し指を当てつつ、ロイが続ける。

「俺を襲った四人の中国人は、プロレスラーみたいな体格をしてる割に、CTを撮ったら贅肉ぜいにくひとついてへんかった。その時点で、ヘタレ研修医ですら違和感を覚えてたのに、俺は取り合わんかった。……あの四人は、紫乃ちゃんをねろぅて差し向けられた、プロの殺し屋や」

 ――ヘタレ研修医……桧垣じゃのぅ。

 紫乃は、桧垣のさちうすい顔立ちを思い浮かべた。

「他にも、違和感はいっぱいあってん。紫乃ちゃんの研修医宿舎に入った犯人かて、俺らが部屋へ行く直前までった気配がしてた。あれは、空き巣なんかやい。紫乃ちゃんを殺すために、待ち伏せしてたんや。その都度、俺が感じた違和感の全てを、刑事さんたちに伝えとくべきやった」

 蓼丸と小早川が顔を見合わせ、まなじりを決して頷き合った。

「違和感と言やぁのぅ。犯人が尾道漢方薬局から持ち去った物は、他にもあるんじゃ。お二人とも医者で、漢方の専門家じゃ。捜査情報について、意見を聞きたぁわ」

「日誌と生薬以外にも、盗られた物があるんかいな」

「ご夫婦の死因は、失血死じゃ。ふとももの付け根の太い血管から、大量に血を抜かれちょった。じゃけぇホトケさんの体は、さほどばんどらんかった。そんだけ血を持ち去る意味が何か、分かるかのぅ?」

 紫乃の心臓が、トクン、と寂しげに鼓動した。トクン、トクン、トクン。こうして心臓が一生懸命に働いて、ヒトを生かすべく送り出した血液を、両親は奪われ、息絶えた。

 胸にぽっかりといた穴を、冷たい風がすーすーと通り抜ける。虚しいのか悔しいのか、自分の心の色が分からない。

 ロイがちらりと紫乃を見て、慌てて口を開いた。

「紫乃ちゃん、大丈夫やで? ほら、医学部で勉強したやろ? 血管に痛覚は無いねん。針が皮膚を突き破るほんの一瞬、チクッとするだけや」

 懇願するような声色こわいろに押され、こくんと顎が勝手に頷いた。

 紫乃へ無理に笑顔を向けたロイの頬が引き攣れ、ピクピクと震えだした。

「オトンもオカンも、全っ然、いとぅはかったんやで? くるしゅうもかったで? だんだん、ぼーっとなって、ねむぅなって、それで、そのまま……ちきしょう!」

 天をあおぎ、ロイが吠えた。

「なんちゅうクソったれや! 生きたまま血を抜くなんざ!」

 左頬のケロイドが、ぶわっと破れそうなくらい赤くふくれている。

「俺が、ぶっ殺す! ボコボコにしたる! 外道が!」

 ロイが自分の白衣の腕にがぶっと噛み付いた。ウーッ、とうめきを噛み殺す。ぎゅっとつぶった目からぼろぼろと涙が溢れた。

「アホゥ。あんたが泣いて、どうするんなら?」

 目頭めがしらが熱くなるのをこらえ、紫乃は左手でロイの白衣を引っ張った。

「あんたぁ、以前にこわぁ顔で、うちに啖呵たんかを切ったじゃろぅが。『何事なにごとも初動が肝心かんじんじゃ! しゃんとせぇ!』っちゅうて」

 つーんつん、つーんつん。ロイの白衣のすそを引っ張る。何度も何度も、優しく引っ張った。

 ようやく、ロイが口を離した。白衣の腕が、唾液と涙でベトベトに濡れている。

「スマン。なんか知らんけど、めっちゃ悔しいねん。腹が立って、しゃあい」

 蓼丸が、ぺこりと頭を下げた。

「いきなりショックな話をして、申し訳無わけなぁ。血を抜かれちょるぶん、動機も犯人像も、初動捜査では全く見当が付かんかった。ものりか、怨恨えんこんか、漢方オタクの変質者か、麻薬ヤクで頭がおかしゅうなった奴か、カルト教団の儀式か」

「うちは漢方オタクじゃし、変わった人間じゃが、人の血を抜こうとは思わんのぅ。珍しい生薬を見付けたら、それを盗って終わりじゃわ」

 カラカラと、紫乃は明るく笑って見せた。

 ロイが、自分を落ち着かせるように、ふーっ、と大きく息をつく。乱れた金髪から覗く灰青色スカイグレーの目が、涙でギラリと光を放った。

「新薬の情報だけやぅて、服薬してた人間の血液まで欲しがるのは、単なる物盗りやい。間違い無く、研究者の発想や。新薬の狩人ドラッグ・ハンターが実行部隊やとしても、その上で指令を出してるのは、バリバリの研究者や。まだまだ色んな発見にもカネにも飢えて、ギラギラしてる最先端の奴や」

「研究者にとって、血液はそぎゃぁに価値があるんね? どんなふうに血液を使うんね?」

 小早川のキーボードを打つスピードが、速くなる。

「血液の利用価値は、無限大や。人類史上初の若返り薬を、副作用も無く何十年も服用して来た、世界でたった二人の症例やで? 貴重やからこそ、大量に、採れるだけ採ったんや」

 ちらり、とロイが紫乃を見遣みやった。心配そうな灰青色スカイグレーの瞳へ、ニィと笑みを投げる。

「気にせんで、ええ。うちは、しゃんとしちょる。あんたは、漢方医としても、研究者としても、超一流じゃ。思い付くまま喋って、捜査に役立てんさい」

 ん、と安心したように頬をゆるめ、ロイが喋り始めた。

「薬を毎日飲んで、若返りを体現してた夫婦の血液や。血清を他人の体へ入れるだけで元気になったり、なんらかの治療効果を持ってる可能性がある。多少は出処でどころがいかがわしくても、『精力が付く秘薬』っちゅうたら、法外な金を出しても欲しがるやからが世界じゅうにる」

 蓼丸が、気持ち悪そうに唇をゆがめる。キーボードを打ちながら、小早川が口を挟んだ。

「中世の西洋で、似たような話があったのぅ。伯爵夫人が、若返りのために処女を殺して、その血を浴びちょったとか、飲んじょったとか。吸血鬼ドラキュラ伝説になった根源の一つじゃ」

「お前はがくがあるのう」

 感心して蓼丸が頷き、小早川が得意げに鼻先をそびやかした。

 紫乃も、勢い込んで話に加わる。

「エリザベート・バートリじゃろ! 罪に問われて、暗黒の部屋に幽閉されて以降も、一日一食の劣悪な環境で三年半も生き延びたんじゃ。五十歳を過ぎちょったんよ! じゃけぇ、若い女の血を吸ぅたら不老不死になる、っちゅう伝説が生まれたんじゃ!」

 一気に喋り終えたら、蓼丸も小早川もシラけた表情で固まっていた。

 構わず、ロイが言葉を続ける。

「他には、遺伝子の解析に使うやろな。例えば、紫乃ちゃんの両親と、『timeless』の臨床試験で有害事象を生じた人たちとで、血液を比べてみる。ご両親の血液中でのみ活性化されている遺伝子は、有害事象を抑制してる可能性がある」

「トキモドシ』だけじゃぅて、ご両親の血液も宝の山じゃった、っちゅうわけじゃな」

 納得顔で頷く蓼丸へ、ロイが水を向けた。

「ところで、そっちはどないやねん? 外国が絡んどる犯罪やから、警視庁公安部まで話を上げるとか言うてたやん」

「外事一課から外事四課まで、総力を挙げて合同捜査をしちょる。じゃが、のぅ。アスタリスクは米国アメリカじゃに、あんたらを襲った連中は見た目がアジア系っちゅう以外、手掛かりに乏しいけん。今のところ、はかばかしい進展はぁみたぁじゃ」

「全然、アカンやん。手詰まりやがな。俺も含めて、な」

 話し疲れたように、ロイがどっかりとパイプ椅子に座り込んだ。


  三

 刑事たちが帰った後も、ロイが腰を上げる気配は無い。早く帰宅する理由――日誌を解読する使命――が、無くなったからか。目的を見失っているとも、受け取れる。

 ロイの白衣をつーんつんと引っ張りながら、紫乃は決心を固めていた。

「あんたぁ、今日は刑事たちへ、ええヒントをくれたわい。お疲れさんじゃったのぅ」

「お前にねぎらわれるなんて、なんか薄気味悪いな。くじら羊羹ようかんでも、ぅて来て欲しいんか」

中屋なかやの鯨羊羹は、うまぁけぇのぅ! 鯨肉に見立てた白い部分は、てのもちごめあまぁ~い香りがしてのぅ。じゃが、うちが好きなんは、鯨の皮に似せた、黒いニュルンとした部分よ。材料に、何を使つこぅちょるんかのぅ?」

「知らんがな! 来週の月曜、おのきょうからの帰りにぅて来たるから、自分の舌で確かめんかい」

 比嘉やロイいわく、右半身以外の回復は驚異的に早いらしい。食事は全粥ぜんがゆなんさい三食平たいらげ、足りないほどだ。羊羹だって、一本まるごと呑み込めそうだ。

 ――口は悪いし、外見はゴツイが、優しいお人じゃのぅ。

 ロイへは、感謝の想いしか無い。本来、三阪家だけに降り掛かるはずだった災厄さいやくに、ロイを巻き込んでしまった。

「うちの望みは、鯨羊羹じゃぁよ」

「知っとるわ。『トキモドシ』を飲みたいんやろ?」

 金色の前髪の奥で、ロイが気弱げに灰青色スカイグレーの目を伏せた。

「半身不随で一生を過ごすくらいなら、イチかバチか『トキモドシ』を飲ませて欲しい。うちみたぁな乙女じゃぅても、誰じゃってそう願うわい」

「そらぁそぅやな。なんの不思議も無いわ。お前が乙女かどうかは、別としてもな」

 冗談を織り交ぜつつも、ロイの声には覇気が無い。

 思い切って、決心を口にする。

「代わりに他の願いを叶えてくれるんなら、『トキモドシ』を飲むんは諦めてもええよ?」

「なんやねん、その願いって」

「あんたのお父ちゃんに会いたいんじゃ」

 ロイの片眉が、二㎝ほど跳ね上がった。

「はぁ? 正気か? お前の命をねろぅとる張本人かも知れんのやで? しかも米国アメリカまで行く気か?」

「うちの意識がフルに戻ったんは、じきにどこかからバレるじゃろ。どうせ、また凄腕の殺し屋が来るわい。このまま何も手を打たずにまかせで殺されるんは、どうしても嫌なんじゃ」

「敵のふところに飛び込むんやで? いや、敵に会う前に、どっかで殺される可能性が高いやろ」

「自分から乗り込んで殺されるなら、本望じゃ。うちは自由の利かん体じゃし、連れてってもらう人にも危害が及ぶかも知れん。じゃけぇ、あんたにしか頼めんのじゃ。あんたは、敵の息子じゃ。殺される危険はかろう」

ぅて、どないするねん。『殺さんといて』とか頼んでも、聞いてくれる相手やいで? それに、まだ親父が犯人とは決まってへん。『そんなん知らん!』ってシラを切り通されても、真偽すら分からん」

「ただ、訊いてみたぁんよ。薬は、人を救うはずの道具じゃろ? その薬を、なして、人を傷付けて、殺してまで、創ろうとするんね? 『timeless』の臨床試験でも、沢山の人が犠牲になったんじゃろ? なんでじゃ? 正義? カネ? 医学の進歩のためか?」

高尚こうしょうな信念なんざ、製薬会社に期待すんなや。カネもうけのために決まっとるがな」

「あんたのお父ちゃんは、製薬会社の経営陣の一人じゃし、一流の研究者でもあるじゃろ? どぎゃぁな理想を持って研究しちょるんじゃ? うちみたぁな凡人ぼんじんには、どうしても理解できんのじゃ」

「親父の口癖は、『研究で億万長者ビリオネアになる』やった。拝金主義のまんま、ど汚い夢を叶えたがな」

「とにかく、直接会ぅて、話を聞きたぁよ。いつか、あの世でお父ちゃんとお母ちゃんにぅたら、教えちゃるんじゃ。『世界を動かす偉い人は、こぎゃぁな考えを持っちょるんよ』って」

「そんなん、オトンもオカンも知りたいか? 教える意味があるんか?」

「想像してみぃ。突然現れた殺し屋連中に、死ぬまで血を抜かれたんよ? 訳が分からんまま、ただおびえて死んだんじゃ。納得できんじゃろ? お父ちゃんもお母ちゃんも、まだその辺で彷徨さまよぅちょるかも知れんわ」

「俺の親父が、常人には理解できん下衆ゲスの考えしか持ってへんかったら、どうすんねん」

「それならそれで、吹っ切れるわい。なぁ、頼むわ。この願いがかのぅたら、殺されるんも、半身不随のまま生きるんも、受け入れるつもりじゃ。『トキモドシ』が飲みたいとは、二度と言わん。約束するけぇ」

 つーん、つーん。今度はすがるように、ロイの白衣を引っ張る。

 うつむいたまま、ぼそり、とロイがつぶやいた。

「比嘉に相談したら、全力で止めるやろな……」

 ロイの伏せた目を覗き込み、ニタリと笑い掛ける。

「あんたぁ、既に行く気になっちょるじゃろ?」

「アホか! まだ決めてないわ! だけや。最短でも、お前の首の抜糸が終わる頃……来週の火曜あたりやな。行くなら、一泊三日の弾丸ツアーやで?」

「前から言うちょるじゃろ。男のせっかちは、百害ひゃくがいあって一利いちり無しじゃ」

「お前なぁ! 来週のスケジュールを調整するんが、どんだけ大変やとおもてるねん」

「まぁ、ええわい。あんたにゃ、いつか新婚旅行のときにでも、ゆっくり米国アメリカを案内してもらおうかのぅ」

 虚しい軽口だと、紫乃は自覚している。あと少しで、ロイとは疎遠になる。この体では、研修医の仕事を続けられない。病院を退職すれば、いずれロイとの関係は切れる。

「車椅子で米国アメリカまで飛ぶわけや。あと一週間も無いけど、リハビリを頑張っとけよ。ケツを拭くんもシャワーも着替えも、全部、俺が手伝う羽目はめになるで。下手ヘタしたら、ナプキンの交換までも、や」

「セクハラ変態講師が! ……でも、あんたの言う通りじゃわ。ちなみに部屋は、どうするんなら?」

 ロイの父との面会だけに気がはやり、具体的な身の回りへ考えが及んでいなかった。

「一人でトイレにも行けへんなら、同じ部屋にするしか無いがな。防犯上セキュリティの問題もあるし」

「うちは、相変わらずのアホじゃのぅ。現実が見えとらんわい。……ウトウトと微睡まどろむたびに、夢を見るんじゃ。夢の中では、自由に手足が動いて、うちは元気に病院を走り回っちょる。むしろ麻痺のあった頃を、夢じゃったように思いながら、のぅ」

「お前らしく無いやん。高飛車たかびしゃ無礼講ぶれいこうキャラは、どこへ行ってん」

「中屋の鯨羊羹を食べたら、元気になれそぅじゃが……」

 じっとりと横目でねだってみたが、気にする素振そぶりもくロイが立ち上がった。

「まずは家に帰って、親父と連絡を取ってみるわ。ホテルの空きと航空券も、調べなぁアカン」

 精悍な顔付きを、ロイが取り戻していた。

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