第15話 万願寺流漢方の秘伝

 一

 FMラジオが流れている。DJが、テンポ良く流行はやりの邦楽を紹介する。

 ――なして皆、巻きじたなんじゃろぅか。

 紫乃には、疑問だ。DJの見てくれが、あのガイジン講師ばりの欧米ふうなら、納得するのだが。

 ロイがラジオを持って来てくれて、助かった。表向きは「脳に刺激を与え、意識を取り戻す」のが目的だが、とにかく退屈でしょうが無い。自分でチャンネルを変えることも出来ない。

 ロイからは、研修医の桧垣の存外の機転と、救急・集中治療科の比嘉教授の奮闘により、かろうじて命が助かったと聞かされた。

 ――あのへなちょこが、のぅ。

 比嘉はともかく、なよなよしている桧垣が活躍する姿は、想像できない。感謝する一方で、医者として大きな経験を積んだ同級生を、羨ましくも思う。

 身じろぎすると、左頸部に激しい痛みが走る。今は、じっとしているしか無い。鎮痛薬が持続注入されて眠く、ついウトウトしてしまう。

「お前に訊きたいことが、仰山ぎょうさん出て来たで」

 はっと目を開けると、間近まぢかに色白の端正な顔があり、どきりとする。

「声を掛けられて、すぐに目ぇ開けたらアカンやろ。意識があるって、バレバレやんか」

 ロイが、呆れた表情をしている。集中治療室ICUの多床室で働くスタッフたちから見えぬよう、デカい体で紫乃の上半身を隠してくれている。

「もう限界じゃ。退屈で死にそぅじゃわ」

 昨日より、声を出しやすい。今日の午後から酸素マスクが外され、鼻カヌラになった。

「お前なぁ、いっつも諦めがはや過ぎるねん」

「うるさぁわ。大怪我をしちょる乙女に、もぅちぃーとやさしゅうせんか」

 憎まれ口を叩いても、毎日ロイが顔を出してくれるのは、心底嬉しい。ブラインドの隙間から漏れる屋外の光が、赤昏あかぐらい。日暮れ前、十八時頃か。

「色々と考えると、意識の無いフリは一週間が限度や。右半身のリハビリを、早めに始めたほうがええやろし」

 ロイが紫乃の手首をつかみ、脈を診る。

「まだまだ腎虚やけど、前よりはマシやな。当面は、そう原湯げんとうを継続しよか」

「壮原湯を入れると、腹から全身がじんわりとぬくぅなるんじゃのぅ。たまにお父ちゃんが使いよったけんど、味見をした経験はぁわ」

補骨脂ほこつしが入るからな。乾姜かんきょうに近い、温熱おんねつやくや」

「うちの百味ひゃくみ箪笥だんすには、補骨脂ほこつしじゃぅて故紙こしっちゅう名前が貼ってあったわい」

 補骨脂の別名が、破故紙だ。

大腹皮だいふくひも置いとったやろ?」

「あったのぅ。名前からして、けものの死骸でも入っちょるんかと思うて、子供の頃は百味箪笥を恐る恐るのぞいたもんじゃが。檳榔びんろうじゃろ? お父ちゃんが、壮原湯に加えちょったわ」

 にこりともせず、虚空こくうを見詰めたまま、ロイが何度も深く頷いている。

「一人で、何を納得しちょるんじゃ。お父ちゃんの日誌は、読めたんか?」

「俺の頭脳と語学力からすれば、お茶の子さいさいや……お前の言うた通りやった。オトンは『時騙し』の近縁種が日本に自生してるのを発見して、『トキモドシ』と命名してた」

「じゃろぅが! うちも、ちぃーとは英語の日誌を読んだんじゃけぇ!」

 勝ち誇ってニタァッと笑ったら、頸部がズキンと痛んだ。

「一部を読めただけで、よぅそんなに自慢できるな! ところで、大阪の天神橋てんじんばし漢方診療所の万願寺まんがんじ雅臣まさおみって、オトンから聞いた覚えがあるか?」

「知らんのぅ。一度聞いたら絶対に忘れん名前じゃが。お父ちゃんは、とにかく付き合いがすくのぅて、同業者とも親しゅうせんかったけぇのぅ」

「日誌に、診療所の住所まで出て来るねん。オトンは『トキモドシ』を単独で飲んで若返った後、急激な老化に苦しんどった。俺の推理やと、それを万願寺先生が治療してる。俺の師匠や」

「あんたの師匠なら腕は凄かろぅが、口も性格も人相もワルそぅじゃのぅ」

「お前の口と性格の悪さは、誰譲だれゆずりやねん」

「美貌は母親譲りじゃし、頭の良さは天性のもんじゃ。世の中には、こぎゃぁに天が二物にぶつを与えちょる例もあるけん、よぅ覚えとけ」

「あんだけ出血多量の重傷をぅて、口の減らん奴やな。若返り薬なんかぅても、回復するんとちゃうか」

「ほいで、若返り薬がどんなか、分かったんか? どぎゃぁして万願寺先生が老化を治したとか、日誌に書いてあったんか?」

「書いてへん。その後、ぷっつりと日誌が途切れてるねん。日誌も書けんほど老化で衰弱してたか、あるいは入院したり、どこか遠くへ行ってたんか。二年後、何事なにごとも無かったみたいに日誌を再開してる。薬局を何年も閉めてたとか、聞いてないか?」

「うちが知る限り、閉めちょらん。お父ちゃんが病気したとも、聞いちょらん。お母ちゃんも薬剤師じゃったけぇ、お父ちゃんがらんでも店を経営できたじゃろ」

「実はな、オトンの漢方が独学やと聞いて違和感を感じてた。漢方特有の舌診・脈診・腹診の診察法のうち、特に脈診は、独学で学ぶのが不可能や。ましてや独学で、脈診の所見だけを頼りに処方を選ぶなんざ、ありへん」

「お父ちゃんの脈診の腕は、あんたみに天才的じゃった。うちの頭の良さと同じように、天賦てんぷの才じゃろ」

「お前の頭は、ゼロから生まれて来てへん。両親からもろもんやろ。オトンの脈診の腕かて、俺と同様に、誰か師匠から受け継いだんや」

「もし、お父ちゃんが万願寺先生から漢方をなろぅたなら、それがどしたんじゃ? 何の問題もかろぅが」

「『トキモドシ』の有害事象――急激な老化を治す方法を編み出したんは、オトンやい。万願寺先生や。万願寺先生は、『トキモドシ』の存在すら知らんかった可能性があるけどな」

「どういうわけじゃ。あんたぁ、頭は大丈夫か? 話の筋道すじみちが滅茶苦茶じゃし……なんか腹が立ってきたわ」

「よぅ聞け。どんだけ万願寺先生が名医でも、漢方で治せるんは、過労や病気によって一時的に加速した老化のみや。オトンの老化も、対処さえ早ければ、薬の有害事象として漢方で太刀打たちうちできる範囲やったんや」

「日誌をくれたとき、お父ちゃんが言うちょった。『トキモドシ』を使うには、よぅよぅ勉強して、必ず漢方薬を併用せにゃぁいけんと、のぅ」

「急激な老化を治してもろて、さぞ感激したやろ。オトンは、万願寺先生の腕にけて、秘かに『トキモドシ』の服用を再開した。弟子入りして漢方を学びつつ、自分を実験台にして、万願寺先生に有害事象への対処をさせよったんや」

「まるでお父ちゃんが悪人みたぁじゃぁか! 二年間、日誌は書かれちょらんのじゃろ? あんたの仮説を裏付ける証拠がぁわ。若返り薬は、お父ちゃんが考えに考えて、自分で創ったんじゃ!」

 かろうじて反論したが、声に力が込もらない。盤石ばんじゃくだった父への信頼が、揺らいでいる。

「オトンが万願寺先生の弟子をしてた証拠は、挙がっとるで。二年後に再開した日誌には、『トキモドシ』に併用した補陰湯ほいんとうの生薬構成が書いてあるねん」

 ロイが、スマホを見せた。よく磨かれて赤茶にツヤが光る、百味箪笥の写真だ。

「うちの百味箪笥じゃが! あんたぁ、どうやって写真を撮ったんね? まさか、忍び込んだんか?」

「先週、おのきょうへ行った帰りに、お前んちの薬局に寄ってん。漢方医なりに、少しでも、お前の両親を殺した犯人の手掛かりをつかみとぅてな。『法医学の岡崎教授の使いや』っちゅうて、警察に嘘をついて、入らせてもろた。あ、また間違まちごぅた。岡本教授や」

「警察の警備は、どんだけザルなんじゃ。あんたの人相にんそう風体ふうていで、よぅ入れたのぅ。わるさしか、できん顔じゃに」

 ザワザワと苛立いらだつぶん、悪口あっこう雑言ぞうごんが止まらない。

 ――ホンマに可愛げのぁ、ふてぶてしいオトコじゃのぅ。

 ロイは、涼しい顔のままだ。

こつ大腹皮だいふくひを百味箪笥に入れてる漢方薬局は、まれや。それだけやい。補陰湯ほいんとうも壮原湯も、わろてしまうほど、誰も使わん処方や。万願寺先生以外は、な」

「お父ちゃんは、勉強熱心な人じゃった。書物を読んで、たまたま同じ処方に目を付けて、使つこぅてみる場合もあるじゃろが」

「生薬構成には、各漢方医独自の癖が出る。それはそのまま、弟子に受け継がれる。石膏とどう入りの補陰湯ほいんとうやら、大腹皮入りの壮原湯やらは、『万願寺流です』って名刺を出してるようなもんや」

「あんたぁ、お父ちゃんが万願寺先生の処方を盗んだ、って言いたいんか! ぶちまわしちゃろうか、このイカサマ腐れガイジン講師が!」

 まくし立てると、はぁはぁと息が切れた。酸素さんそ飽和度ほうわどが下がり、警報音アラームが鳴り始める。多床室から、看護師ナースが顔を出す。

「大丈夫ですか?」

 紫乃は慌てて目をつぶり、呼吸を整えた。

酸素飽和度サチュレーションモニターを付け替えてたら、手間取てまどってしもた。ご苦労さん!」

 ロイが、陽気な声で看護師ナースを追っ払ったようだ。

 目を閉じたままの紫乃の耳に、ドスのいたロイの声が響いた。

「勘違いすんな。お前のオトンは、劇的な薬効を持つ薬草の亜種を発見した、超一流の生薬研究者や。俺は尊敬しとる。でもな、研究者としての腕と、漢方診療の腕は、全く別物や。独学で、激烈な有害事象を治せるほど漢方に熟練するんは、不可能や」

「お父ちゃんは、万願寺先生が考えた処方を盗んで、若返り薬を創ったんか? あくどい手を使つこぅたんか?」

 心臓の拍動が、ドキドキと早い。まだ、息苦しい。

「そう簡単には、盗まれへん。万願寺先生は、どの生薬をどんな量でせんやくに入れたか、患者に一切いっさい説明せぇへんからな。せんやくの中身を知るには、弟子になって、タダ働きで調合を手伝うしかい。弟子になっても、メモを取るのは禁止やから、頭に叩き込まなぁアカン」

「そんとき、お父ちゃんは五十二歳じゃ。よぅやっと老化を治してもろぅたばかりのニブい頭で、覚えられたんじゃろうか? うちとちごぅて、頭の回転が良さそぅには見えん、フツーの田舎いなかもんじゃったが」

「どんな立場でほざいてるねん。オトンは京大の研究者やったんやろが。俺の仮説では、オトンは丸々二年間、万願寺先生にぴったりとくっ付いてた。朝から晩までや」

「どことなく、イヤラシイ響きじゃのぅ。BL《ボーイズ・ラブ》のひるメロバージョンじゃわ。男同士が二年もくっ付かんでも、何度か診療録カルテを見りゃあ、処方の中身くらい覚えられるじゃろぅに」

「オトンが盗んだのは、処方だけやい。一つの処方でかたくほど、『トキモドシ』の有害事象が単純とは思えん」

「万願寺先生の診察の仕方も、漢方薬の選び方も、たった二年で修得するのは難しそぅじゃ。お父ちゃんは、見た目がえんけぇのぅ」

「見た目は関係無いねん! オトンはタイム・リミットを考えて、二年間限定にしたんや。その二年は朝から晩まで毎日、死に物狂いで万願寺先生に喰らい付いてたはずや」

「タイム・リミットって、なんじゃ? 金銭的にも苦しかろぅが、二年も家を空けたら離婚されるとおそれたんじゃろか。お母ちゃんは、うちに似て美人でモテたけぇのぅ」

ちゃうわ! オトンが、若返り薬の開発を始めたけを、よぅ思い出してみぃ。理由は、お前やろが。お前を欲しかってん。子供を授かるためや」

 日誌をくれたときの、父の言葉が思い浮かんだ。

 ――としを取れば取るほど、子供が欲しゅうてたまらんでのぅ。

 当時、父は五十代半ば、母は四十代後半だ。一年一年と時が過ぎるたび、妊活をどうするか焦りと諦めがせめぎ合っただろう。

「お母ちゃんも、よぅ納得したのぅ。お父ちゃんは頑固で、一度言い出したら聞かん性質タチじゃったが」

 父が突飛とっぴなアイデアを思い付いても、母は笑いながら従った。従順と言うより、父の想いをまっとうさせようとする、芯の強さがあった。

「五十を過ぎて、二年間も丁稚でっち奉公ぼうこうに出る心意気に、同じ男として惚れてまうで。俺の理解では、若返り薬は二人の合作や。『トキモドシ』を発見したオトンと、有害事象へ対処した万願寺先生の、な」

「ブサメンのお父ちゃんに惚れるたぁ、あんたもつくづく趣味がわりぃのぅ。どう足掻あがいても、あんたの見てくれじゃとBL《ボーイズ・ラブ》系漫画の主人公には、なれんわい」

 悪態をつきつつも、心臓がすとんと元の場所へしっくりと収まった気がした。


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