39話 厚みは均一に

 図書館に戻ると、案の定、腹を空かせた猛獣二匹が、今か今かと獲物を待つ目でこちらを見ていた。

 そのあまりに純粋な食欲に当てられて、俺の腹もぐぅ、と情けない音を立てる。

 まったく、腹が減っては戦はできぬ、とはよく言ったものだ。最高のてりやきを作るという戦が、今まさに始まろうとしているのだから。


「よし、お前ら、手を洗ってこい。最高のてりやき、作るぞ」


 俺の一言に、「「やったー!」」と、子供のような歓声が上がった。


◇◆◇


 休憩室のキッチンは、にわかに戦場と化した。

 今日の主役は、先日仕入れておいた『岩窟鶏ロック・コッコ』の極上もも肉。まずはこいつの下準備からだ。


「いいか、てりやきの基本は肉の厚みを均一にすることだ。こうやって、分厚い部分に包丁を入れて開いてやる。こうしないと火の通りにムラができて、生焼けか、焼きすぎかの二択になるからな」


 俺が手際よく肉を捌きながら説明すると、シュシュアとフィオが感心したように覗き込んでくる。


「へえー、ただ焼くだけじゃないのね!」


「……奥が深い」


「当たり前だ。最高の怠惰は、最高のこだわりによって支えられているんだよ。ほら、シュシュア。お前はこの鶏肉の両面に、フォークでまんべんなく穴を開けろ。味が染み込みやすくなる。フィオは付け合わせのベビーリーフを冷水で洗って、水気をしっかり切っておいてくれ」


「任せて!」


「うん」


 シュシュアは威勢よくフォークを手に取るが、その力加減が馬鹿すぎる。ブスッ! ブスッ! と、肉に穴を開けるというよりは、もはや突き刺しているレベルだ。


「おい、加減しろ! 肉がズタズタになるだろうが!」


「えー、でも、この方が味が染み込みそうじゃない!」


 一方、フィオは黙々と、しかし完璧な手つきでベビーリーフを一枚一枚丁寧に洗っている。その集中力は、もはや職人の域だ。

 下準備を終えた鶏肉に、軽く塩胡椒を振り、薄力粉を薄く、均一にまぶしていく。


「この粉が、後でタレをしっかりと絡めとるための重要な糊の役割を果たす。ダマにならないよう、余分な粉はしっかり叩いて落とすんだ」


 いよいよ、焼きの工程だ。

 フライパンを熱し、油をひく。そして、鶏肉を皮目から、じゅわっ、と音を立ててフライパンに乗せた。


「ここが一番のポイントだ。火加減は中火。そして、絶対に肉を動かすな。ヘラで上から軽く押さえつけて、皮目の隅々まで熱が均等に行き渡るようにする。こうすることで、あの食欲をそそる、パリッパリの焼き目が生まれるんだ」


 香ばしい匂いが立ち上り、キッチンに満ちていく。皮から滲み出た脂が、ぱちぱちと心地よい音を立てていた。

 皮が完璧なきつね色になったのを確認し、肉を裏返す。今度は火を少し弱め、蓋をして蒸し焼きに。こうすることで、肉の中心までじっくりと火を通し、ふっくらジューシーに仕上げるのだ。

 肉を焼いている間に、タレを合わせる。昨日完成したばかりの自家製醤油と味醂を同量。そして、今回の秘密兵器。


「これが、今日手に入れた『陽蜜樹ようみつじゅの樹液』だ」


 琥珀色にとろりと輝く樹液を小鍋に注ぐと、ただ甘いだけではない、どこか燻したような、複雑で芳醇な香りがふわりと広がった。


「普通の砂糖だと甘さが単調になるが、こいつを使えば、甘さの中に深いコクと香ばしい風味が生まれる。これが、最高のてりやきと、普通のてりやきを分ける一線だ」


 鶏肉に火が通ったら、一度フライパンから取り出し、余分な脂をキッチンペーパーで拭き取る。このひと手間を惜しむと、タレが脂っこくなるからな。

 そして、空になったフライパンに、合わせたタレを流し込んだ。

 ジュワアアアアアッ!

 醤油と樹液が熱せられ、凝縮された香りが爆発する。アルコールを飛ばし、少し煮詰まったところに、焼き上げた鶏肉を戻し入れた。


「さあ、仕上げだ!」


 タレをスプーンで何度も何度も、肉の上からかけ回す。肉の表面を覆っていた薄力粉がタレを吸い込み、熱でキャラメリゼされていく。

 フライパンの中で、鶏肉が宝石のように、つやつやと輝き始めた。これぞ、てりやき。その名の由来たる、『照り』が生まれた瞬間だった。


◇◆◇


「「おいしそぉぉぉぉっ!」」


 テーブルに並べられた大皿を見て、シュシュアとフィオの声が綺麗にハモった。

 完璧な照りをまとった岩窟鶏のてりやき。その横には、フィオが丁寧に水気を切ったベビーリーフが添えられ、炊き立ての白米が湯気を立てている。

 シュシュアは目を爛々と輝かせ、待ちきれないといった様子でナイフとフォークを握りしめた。


「見て、この照り! まるで鏡みたいじゃない!」


「……匂いが、甘くて、しょっぱくて、お腹が鳴る」


 一口食べた瞬間、シュシュアの動きがぴたりと止まった。

 その碧色の瞳が、驚きと感動に見開かれる。


「―――っ! な、なにこれ! 皮が、パリッパリ! 噛んだ瞬間、音がしたわ! それに、お肉が信じられないくらい柔らかくて、ジューシーで……! このタレ! 甘いのに、しょっぱくて、香ばしくて……これが、ご飯に合わないわけがないじゃない!」


 シュシュアは我に返ると、タレのたっぷり絡んだ鶏肉を、ご飯の上に乗せて一気にかき込んだ。その顔は、幸福そのものだ。

 フィオも、普段の無表情はどこへやら、恍惚とした表情で、小さな口いっぱいに頬張っている。


「……うん。今まで食べた、どれとも違う。甘いのに、飽きない。ずっと、食べていられる味……」


 その時、いつものようにぬるり、とクロが姿を現した。俺は特大の皿に切り分けたてりやきを山盛りにしてやると、クロは無数の口で夢中になって食べ始めた。

 もはや見慣れた、騒がしくも平穏な食卓の風景。

 最高に美味い飯を前に、皆が笑顔になる。

 悪くない。実に、悪くない。


◇◆◇


 食後の満ち足りた空気が、休憩室を優しく包んでいた。

 シュシュアは腹をさすりながら「もう一歩も動けない……」と幸せそうに呻き、フィオも満足げな顔でこくりこくりと船を漕いでいる。仕事を終えたクロは、俺の足元で満足げにギチチチと喉を鳴らしていた。


「食後には、口の中をさっぱりさせるのが流儀だ」


 オレはそう言うと、今日『賢者の庭』で手に入れたばかりのハーブを取り出した。乾燥させたばかりの、レモンバーベナとペパーミントだ。市場で売られているものとは、香りの立ち方がまるで違う。


「最高のハーブは、最高の淹れ方をしてこそ活きる」


 ポットを温め、最適な温度の湯を注いで丁寧に蒸らす。立ち上る湯気と共に、てりやきの濃厚な香りを洗い流すような、レモンの爽やかな香りとミントの清涼感が部屋中に広がった。


「うーん、いい香り……。なんだか、頭がすっきりするわね」


 淹れたてのハーブティーをカップに注いでやると、シュシュアはうっとりと目を細めた。

 そんな穏やかな時間が流れる中、ふと、シュシュアがテーブルの隅に置いてあった小さな紙包みに気が付いた。


「そういえば、ジルさん。さっきから気になってたけど、それなに?」


「……あー、さっきお店買い物したときに、お礼ってもらったんだよ」


 シュシュアに言われて、俺もテーブルに置きっぱなしにしていた紙包みに目をやった。

 あの人見知りのエルフが、お礼だと言って渡してくれたものだ。

 オレが紙包みを取り出すと、いつの間にか目を覚ましていたフィオも興味津々で覗き込んできた。


「開けてみてよ!」


「……気になる」


 まあ、大したものではないだろう。

 オレはそう思いながら、丁寧に畳まれた包みを開いた。

 中から現れたのは、アクセサリーのようなものだった。

 手のひらに収まるほどの、滑らかに磨かれた木製のチャーム。

 まるで大きな種子のような、優しい丸みを帯びた形をしている。使われているのは木材で、手に取ると、木の特有な温かみを感じる。


「わぁ……かわいい! ネックレスかしら?」


「……フィオもほしい」


 革紐が通してあり、確かに首飾りのようだ。

 だが、あのエルフがこれを渡してきた意図がさっぱりわからん。エルフ固有の特産品とかだろうか。


「……なんだ、これ?」


 オレはただ首を傾げることしかできなかった。

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