19話 日常と、お袋じゃないんだが

 いつからだろうか。オレの静寂の城に、当たり前のように二人の食客が居座るようになったのは。

 受付カウンターから顔を上げると、今日も今日とて、シュシュアとフィオが唸り声をあげていた。


「ええい、ままよ! 私の騎士団、全軍突撃よ! 中央突破で敵の本陣を叩く!」


「シュシュア、それは罠。そのマスに主力部隊を進めたら、左右の森に潜んでいる伏兵に側面を突かれる。二手先で詰むわよ」


「うぐっ……! で、でも、ここで攻めなきゃ好機を逃しちゃうじゃない!」


「好機に見せかけた窮地。冷静になって盤面全体を見て。あなたの王駒キングは、もう完全に包囲されているわ」


 床に広げられているのは王都で流行っているらしい盤面戦略ゲームだった。

 猪突猛進のシュシュアと、冷静沈着のフィオ。プレイスタイルに性格が見事に現れている。

 やがて、完全に手詰まりになったシュシュアが「あーっ、もう! 頭を使うとお腹がすくんだけど!」と盤面をひっくり返す代わりに、大きく伸びをした。


「ジル! お昼!」


「ジル、お腹すいた」


 示し合わせたかのように、二つの視線がこちらに突き刺さる。

 いつからオレはこいつらの給仕係になったんだ、と思いながら、オレは読みかけの本に栞を挟み、重い腰を上げた。


 ◇◆◇


「おいしぃぃぃぃぃぃっ!」


 シュシュアの歓声が、休憩室にこだました。

 今日の昼食は、『スズキのポワレ、焦がしバターとケッパーのソース』。

 カリッカリに焼き上げた皮目の香ばしさ。ふっくらと蒸し焼きにされた、淡白ながらも旨味の濃い白身。そこに、焦がしバターの深いコクと、ケッパーの爽やかな酸味が絶妙に絡み合う。

 シュシュアは目を輝かせ、夢中でポワレを頬張っていた。


「……このソース、パンにつけても罪の味がする」


 フィオも、普段の無表情はどこへやら、恍惚とした顔でソースをパンですくい取り、静かだが止まらない勢いで食べ進めている。

 腹が満たされ、食後の穏やかなお茶の時間。満足げな二人を眺めていると、オレはふと、素朴な疑問が湧いてきた。こいつらは一日中ここで遊んでは飯を食っているが、普段は何をして生きているんだろうか。


「そういや、お前らって普段、何して生きてるんだ?」


 オレの何気ない問いに、シュシュアは「え? 私?」と目を丸くした後、少し照れくさそうに答えた。


「一応、冒険者よ! ギルドでもS級確実なんて言われてて……」


「ほう」


「……いたんだけど、もうやめたわよ、そんなの!」


 シュシュアは、あっけらかんと言い放った。


「だって、割に合わないもの。この間、つくづく思ったのよ」


 彼女は楽しそうに、つい先日の出来事を語り始めた。


「森で巨大な鎧猪アーマーボアと戦ってたんだけど、そいつの突進を躱した瞬間、こう思っちゃったの。『ああ、この猪肉、ジルの手にかかれば最高のポワレになるだろうな……ソースはやっぱりトマトベースかしら』って。そしたら見事に反撃を食らいそうになって、九死に一生を得たわ」


 楽しそうに語るな。

 彼女は続ける。


「その時、はっきり悟ったのよ。命懸けの戦いで手に入れた名誉なんて、今日のお昼は何かしらって考えるワクワク感の足元にも及ばないってね。S級になって国のために戦う人生より、毎日ジルのご飯を食べる人生の方が、比べ物にならないくらい幸せだわ!」


 一点の曇りもない笑顔。そこには、『雷電の剣姫』としての誇りも、野心も、葛藤さえも存在しなかった。ただ、己の選択が絶対的に正しいと信じて疑わない、一人の食いしん坊がいるだけだった。

 こいつはもう手遅れだ。完全に胃袋に人生の舵を握られている。


 オレは深いため息をつき、今度は静かにお茶の湯気を見つめているフィオに視線を移した。


「……じゃあ、お前は何をしてるんだ」


 その言葉に、フィオはゆっくりと顔を上げた。そして、まるで遠い昔話をするかのように、淡々と言った。


「昔のあたしは、世界を恐怖で満たしていた。それが機能であり、存在理由だった」


 彼女は一度言葉を切ると、心底どうでもよさそうに続けた。


「……なんて、馬鹿げていたのかしら」


「……は?」


「あれだけの力を持って、あたしは焼きたてのパンの香りも、このお茶の温かさも知らなかった。世界を悲鳴で満たすことしか知らなかったなんて、滑稽だわ。昔のあたしは、本当に愚かで、空っぽだった」


 フィオは、かつての自分を切り捨てるように断言した。その紫色の瞳には、後悔ではなく、無知だった過去への完全な決別が映っていた。

 もはや、そこに『災厄』の影はない。ただ、温かい食事の味を知り、静かな幸福を噛みしめる一人の少女がいるだけだ。


 オレは、目の前の二人を改めて見つめた。

 一人は、最強の称号を昼飯のために投げ捨てた剣姫。

 もう一人は、己の存在意義を、一杯のお茶のために全否定した元・災厄。

 そして、その元凶は、オレが作るただの飯。


 ……これってオレのせいか。


 オレはただ、楽で静かな仕事がしたかっただけだ。面倒事はごめんだし、誰かの人生に責任を持つなんて、前世でこりごりのはずだった。

 なのに、どうだ。

 オレは、この世界のトップクラスの実力者二人の人生を、無自覚に、根底から捻じ曲げてしまったらしい。


 オレは……お前らの、お袋じゃないんだが……。


 そんな心の声が、喉まで出かかった。

 一人は野望を捨てて食に走り、もう一人は過去を捨てて食に目覚めた。二人とも、その力に反して、生き方があまりにも不器用で、危うい。

 オレの料理がなかったら、こいつらは明日からどうするつもりなんだ。

 ……本当に、大丈夫か? こいつら……。

 放っておけない娘のいるお母さんってこんな気持なんだろうか。

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