19ミカの思い
受付で見舞いに来たことを告げると、係の女性は手元の書類に目を通しナオトの顔と見比べた。ミカの両親から話は伝わっており、エレベーターで5階まで行きナースステーションへ顔を出すようにと説明を受けた。受付を後にし5階までのぼると両側に廊下が伸びておりナースステーションはフロアのほぼ中央にあった。
すみませんと看護婦に声をかける。受付から内線電話で連絡がついており、ミカのいる病室の部屋番号を教えてもらった。
「同級生の山田君ですね。お母様から聞いています。ミカちゃんさっきまで眠っていたようだけどきっと喜ぶと思いますよ。早く顔を見せてあげて」
看護婦の口調からここでミカが大切にされていたことがわかった。
「親切にありがとうございます」
丁寧にお礼を述べるとミカのいる511号室へ向かった。ナースステーションを中心にH型に伸びる廊下を左に進むと、一番奥にあたる個室の入り口に細谷美夏と名前が書かれたプレートが目に入る。ナオトは改めてミカが入院していることを実感した。引き戸になっている入り口は開いていて中に人の気配がした。ナオトは控えめに2回ノックして声をかけた。
「こんにちは山田直人です」
病室の入り口付近にある洗面台ではミカの母親が何か作業をしていたようだ。ナオトの声に気づいてその手を止める。
「ナオト君。よく来てくれたわ。ミカがどうしても会いたいって言って」
すると奥の部屋から
「ナオトなの」
ミカのか細い声が聞こえてきた。ナオトは母親から渡されたお見舞いをミカの母親に渡し挨拶した。
「お久しぶりです。ミカの具合はどうですか」
「意識が戻ってからだいぶ食欲も戻ってきて、最近では病院の食事に文句を言うの。先生からは体力も回復してきているから来週には退院できるってお墨付きをもらったのよ。二学期には学校に戻ることができるって」
大人しいミカが病院の食事に文句を言っているのは意外なことだったが、母親の言葉からは、我が子の退院を心から喜んでいることが分かった。
「ナオト早くこっちにきてよ」
ミカが呼んでいる。
「顔を見てあげて」
母親に促され洗面台やクローゼットのあるスペースを抜けるとパッと明るくなり、大きな病室の窓際にあるベッドから半身を起こしたミカがそこにはいた。その傍には三川小学校の生徒達が織った千羽鶴が吊るされている。あの中にはマサルの織った少しよれた鶴も混じっているだろう。
「おかえり」
ナオトの口から思わず出た言葉は大人っぽい言い方だったかもしれないが、素直な気持ちだった。
「ただいま」
そう言うと二人はしばらく見つめ合い時が流れた。
「あれから一人で秘密の場所に行ってみたんだ。ミカの意識が戻る手がかりが見つかるんじゃないかと思って。あの日ミカはアイツに会えたの」
「……何回か秘密の場所に行っていつもの合図を残しておいたの。そうしたら桃色の怪獣はやっぱり現れてくれたの。そして前と同じように池を何周も回ったりして遊んだわ。でも一人で来たことがなんだか悪いことをしているように思えてきて。それに前と少し違う感じがしたの。怪獣と心が前ほど繋がっていない気がしてきて」
ミカは沼のことを池と言った。それは昔からそうで沼の不穏なイメージを嫌っていたからだ。
「ミカは怪獣の気持ちが分かるんだったね。僕はそこまでじゃなかったけど」
ミカは続けた
「そんな風に感じながら怪獣の背中に乗っているとだんだん怖くなってきたの。怪獣の方も私の気持ちも知らずにどんどんスピードをあげて泳ぎ始めたの。やめてってお願いしても聞いてくれなかった。だからとうとう叫んじゃった」
広く南側に向いた病室に差し込んでいた陽の光は雲に遮られて、一瞬で影になった。空調の風で千羽鶴が不規則に揺らめいている。
「覚えているのはそこまでで、気がついたらここで寝ていたの」
ナオトはミカが一人で怪獣に会いに行くことに後ろめたさを感じていたことを知り、謝りたい気持ちになった。ナオトも最近の出来事で同じようなことを考えていたからだ。
「怪獣を怒らせてしまったかもしれない」
そう言うとミカの瞳から涙が溢れた。
「ナオトは怪獣のこと詳しいから何か分かるんじゃないの?」
「…調べてみたんだ、池のことを。あすこは元は今よりもっと小さな池で人の手が加えられた人造池だったんだ。あんな大きな生き物が潜むには小さすぎるし、怪獣を見たのは僕とミカの二人だけ。正直あれがなんなのか、そもそも生き物なのかどうかも分からないんだ。怪獣と心が通じなくなったのは何か原因があるのかもしれないけれど、怒ってなんていないと思う」
「怪獣は幻なの?」
寂しそうにミカは言った。
「見たい人にしか見えない。僕らは大人になるにつれて大事な感覚も失われていくのかもしれない」
キョウコの言葉を借りたナオトの仮説は中沢の追い求めている事と良く似ていた。ネッシーも雪男も間違いなく存在する。じゃあなぜ見つからない。なぜ捕まえることができない。怪獣を見るにはコツが必要なのだ。
「ミカは怪獣にまた会ってみたい?」
「謝りたい」
雲が途切れて再び夏の日差しが部屋を照らした。
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