3沼の謂れ
市内の図書館は専門的な資料も豊富に取り揃えていて、○○市の歴史は郷土史のコーナーにあった。キョウコと手分けして調べることになったが、マサルがその間大人しくしてくれるか心配だった。ナオト達の住む三川町はその名が示す通り、谷間を流れる三つの川が由来になっている。三つの川は山を削って谷を作りそこに人が住むようになったのが三川村の始まりで、丘陵に作られたのが今の三川ニュータウンとなる。三つの川は市が管理する普通河川で、その源泉と沼とに関連があるかは分からなかった。
「江戸時代に洪水の記録があるわね」
○○市史の資料の中にそれは小さく載っていた。ナオトは自分が調べていた本を閉じてキョウコの話に耳を傾けた。○○市史の三川村の記録では、寛政8年7月7日正午頃、前日から続く豪雨により、土石流が発生。潰家10数戸、人馬多数流死。数日後大池現れたり。と記されていた。
「大池現れたりとあるわ。沼のことじゃないかしら」
キョウコは文字に目をはしらせながらそれらをノートにまとめていた。
「明治の開拓以前から沼があったってことかな」
そう言うとナオトは手元にある三川村付近の載る古地図を広げて見せた。
「沼が描かれた古い地図があったんだ」
墨で描かれた古地図は、現代の地図に匹敵するほど精密で、丘陵の形がほとんど現在と変わらず描かれていたので沼の位置はすぐに分かった。そこには今の沼よりひとまわり小さな池が描かれていて、その横に崩した筆致で何か文字が記してあった。
「なんて読むんだろう、………池…はなんとなく読めるけど」
「馬洗池よ」
草書で書かれた文字はまさしく馬洗池だった。
「すごいね。読めるの」
「ナオトのキチャナイ字より簡単よ」
キョウコはそう言って胸を逸らして見せた。ナオトは眉をひそめたが、すぐ真面目な顔に戻り地図に目を落とした。そんな態度に悪戯っ子のような表情で見返すキョウコだった。
災害で地形が変わる以前から沼は存在し記録に残っていたことは、その馬洗池と人とに関わりがあることを物語っていたが、それとは別にナオトはその池の名前が気にかかるのだった。少し離れたところでマサルは、キョウコが与えた図鑑を机に立てたまま居眠りしている。お昼にしましょうかと言うキョウコの声にデジタルの腕時計を見るとちょうど正午だった。
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キョウコがサンドイッチを作ってきていたので、図書館の中庭で昼食をとることにした。さっきまで寝ていたマサルは、早速おやつの菓子袋に手を伸ばそうとして、キョウコに怒られていた。サンドイッチは弁当箱に具ごと綺麗に分けられていて外国の国旗のように見えた。肝心の味の方は、ナオトの母親が作るものより少し上品な味がした。
「マサル君がいるからカラシは控えめにしたのよ。お味はどうかしら」
「おいしいよ。一人で作ったの」
キョウコは頷き恥ずかしそうな顔を見せた。それから3人はお菓子を食べながら、○○先生がお見合いしただとか(キョウコの情報)、理科準備室はなぜ臭いのかとか、他愛もない話題で盛り上がった。飽きてきたマサルが、中庭の真ん中に植えられたポプラの周りをぐるぐる走り出し、ナオトは捕まえるのに苦労していた。そんな二人を見てキョウコは、兄弟っていいなと二人の関係に嫉妬した。
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図書館に来て分かったことは、沼は少なくとも江戸時代から存在し、馬洗池と呼ばれていたこと。災害で増水し形が変わってしまったこと。さらに明治の開拓で今の形になったこと。古地図の時系列は結局わからなかったが、増水と干ばつを繰り返してその時代ごとに沼の姿形が変わった可能性もあるだろう。
「怪しい生き物の情報は載っていなかったね」
3人はバスの一番後ろの席に並んで座っていた。マサルは窓際に座って窓の外を流れる景色に夢中になっている。
「沼の古い名前がわかったのは大収穫」
「馬を洗う小さな池があそこにはあったのね」
「そうとも限らないさ、当て字かもしれないし」
「………?」
ウマアライ…ナオトは頭の中で他の読み方をあててみたり、文字を入れ替えたりしてみた。しかし都合の良い連想で怪物と結びつけるのは、部の方針(ナオトが決めた)に反するのでさらに情報を集めてみる必要があると思った。ただ池に動物の名前がついているのは興味深い事実で、あることと関係がある確信めいたものがあったが、キョウコには言わなかった。
次回からフィールドワークになりそうだ。沼に近づくことは禁じられているので、水害の歴史に纏わる石碑や、寺の過去帳の調査になるだろう。何より週に一度顧問の境先生に部活動の報告が義務付けられていたので、先生の考え方次第では、活動の自粛もあるかもしれない。キョウコともそのことは話あい、派手な行動はなるべく控えることにしようということになった。ミカの容体が心配だったし、ご両親の心痛も想像に難くない。ただしこんな時ほど子供は好奇心が勝り変な行動をとってしまいがちなのは、気をつけねばならないとナオトは責任感を感じていた。
キョウコはハンカチでマサルの鼻水を拭ってやりながら、
「細谷さん大丈夫かしらね、何か聞いてない」
「命に別状はないと母さんが言ってた。警察に直接聞いたから間違いないって」
「………ナオトは沼に行ったことあるの」
沈黙の時間が少し流れた後、バスが揺れた。
「何度もあるよ」
三川小の男子生徒は肝試しと称し沼によく通っていた。そこでは他愛もない余興で、沼に石を投げ込んだり、中には泳ぐものも現れ、そのことが親にばれ学校で沼に行くことが禁止されたのだった。沼に行った生徒はそこで、幽霊を見た、巨大な魚影を見た、森の向こうから狼の遠吠えを聞いた、など実しやかに囁かれた。中でも、沼に怪獣が潜んでいる、と言うものが一番多かったが、それは同じ時期に再放送されていた特撮番組の影響だろうと大人達は歯牙にもかけなかった。
「キョウコは信じてるの」
沼の噂のことを聞いたつもりだった。
「見たい人には見えるのよ、でもミカタンは真面目に取り組んでいるつもりよ」
ミカタンは他の生徒が未確認動物探索部を揶揄する呼び方だったが、響きが可愛いとキョウコは気に入っていた。そう言うとおとなしく外を眺めていたマサルの脇をくすぐり遊び始めた。二人のじゃれあう様子を見てナオトは、自分より大人なキョウコに舌を巻くのだった。
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