【Episode26】関心の在り処

夜の応接室は、静かな灯火に包まれていた。

磨かれた卓の上に、二人分の茶器が整然と並んでいる。


瑠見はカップの縁をそっと指でなぞり、視線を落としたまま口を開いた。

「……柊さんが、いまだに信者の方々から奇異の目に晒されているが、どうにも気になります」


柊は茶を一口含み、淡く吐息をこぼした。

「心配いらないよ。一挙一動が井戸端のネタになっているんだ。今さら驚かない」


皮肉めいた口調だったが、そこに怒りの色はなく、むしろ乾いた笑みに近かった。


瑠見は唇を結び、しばし考え込むように沈黙したのち、顔を上げた。

「では……わたしが、どうにか振る舞えば和らぐことはありませんか」


その声音は真剣で、冗談めいた響きはひとかけらもなかった。


柊は少しだけ視線を外し、肩を竦めた。

「いや、むしろ今のままの方がいい」


「……どうしてですの」


「君は好かれている。それはこの家にとって大事なことだ。もし君が嫌われれば、復興なんて望めなくなる」

柊は指先で卓を軽く叩きながら、淡々と続ける。

「偶像的人気のある君が、異性との交際で子どもまで作ったとなれば、それはもうすごいスキャンダルだ」


二人の間に交わされる“恋人ごっこ”が黙認されているのも、柊が人前で決して恋人めいた態度を取らないからにすぎない。そうでなければ、珍獣扱いでは済まなかったに違いない。


瑠見は黙って耳を傾ける。


「君が“自分の子孫が未来で大きな役目を担うのを視た”と言えば、信者はそちらに意識を逸らすだろう」


「でも、納得できない人もきっと出る。従う人ばかりじゃない。人間ってそういうものだろう」

柊の声は冷ややかだったが、そこに妙な現実味があった。


「だから、矛先は俺に向ければいい。信者が考える理想の物語は、“未来視の使命を受け入れた聖女”と、“いけすかない男”。…そのくらいが、一番都合がいい」


言葉は乾いていて、どこまでも淡白だった。


瑠見は息をのんだまま、何も返せなかった。

ただ卓の向こうで、柊が茶を口に運ぶ仕草だけが淡々と続いていた。


瑠見はそっとカップを置き、微笑を形づくった。

「……少し甘いものでも持ってまいりましょうか」


控えめな声とともに、やがて卓上に小皿が並ぶ。焼き菓子と果実をあしらった砂糖菓子。夜更けの空気に、やわらかな甘い香りが溶けた。


柊は遠慮なく手を伸ばし、ひと口で菓子を口に運ぶ。

「こういうときだけは、みんな妙に大目に見てくれるんだよ」

ぼそりと落ちる声は、皮肉めいているのにどこか軽かった。


「……あなたは本当に、平気そうにおっしゃいますのね」

瑠見は苦笑しつつ茶を口に含む。


柊は肩を竦め、二口目に手を伸ばす。小さな皿の上に欠けた焼き菓子が残り、灯に透けて影を落とした。


瑠見はしばらくそれを見つめ、それから低く呟いた。

「……嫌われ役を引き受けるなんて、本当に、平気で言えますのね」


「平気っていうか」

柊は淡々と噛み終え、指先の粉を軽く払った。

「どうでもいい」


即答。

短い一言が、甘い香りに重く沈む。


瑠見は言葉を継げず、茶器にそっと視線を落とした。

わずかな沈黙ののち、柊は何事もなかったようにまた菓子をつまむ。


その仕草を見て、瑠見は静かに茶を口へ運んだ。

灯火に照らされた皿の影が、ふたりの間に柔らかく揺れていた。


***


夕刻。窓の外には庭が広がり、咲き残る薔薇と色づき始めた木々が並んでいる。暮れゆく光に照らされて、赤と緑と深い影が重なり合っていた。


瑠見はカップを支えたまま、外を見やりながら穏やかに言った。

「……庭の薔薇が、まだ咲いていますのね。秋の紅葉と並んで見えるのが、わたしは好きです」


柊はちらりと窓に目を向け、すぐに茶へ視線を戻した。

「そう」


何の感慨もない返答に、瑠見は小さく瞬きをする。

「……綺麗だと思われませんの?」


柊はあっさりとした声で答えた。

「あんまり気にしたことがないな」


ちょうどそのとき、外から鈴虫やコオロギの声が届いた。

澄んだ音が夜の訪れを告げるように響く。


瑠見は耳を澄まし、柔らかに微笑んだ。

「秋は音で季節を感じられて……素敵ですわね」


柊は視線を窓へ投げ、淡々と返す。

「暑くも寒くもない時期は少し楽。それだけだよ」


素っ気ない声に、瑠見は苦笑を含んで茶を口にした。

やがて、視線を柊に戻して問いかける。


「では……柊さんは、どんなことに関心があるのです?」


柊は指を折るように、あっさりと答えた。

「人の思想と読書と甘いもの」


「……それだけ、ですの?」

瑠見の声には、驚きと戸惑いが混じっていた。


「音楽や景色には、関心を持たれないのですか」

瑠見がさらに問うと、柊は肩をすくめる。

「綺麗だと思うことはある。でも、関心事ってほどでもないな」


「では、甘いものは……どうして」


「食べると頭が冴える。だから気に入ってる」

淡白な言い方で、感情は一切乗っていなかった。


瑠見はしばし黙し、小さく微笑んだ。

「……やはり分かりにくい方ですわ」


柊は無言のまま菓子を口に運ぶ。

灯火の下、かすかな食器の音だけが、静かな室内に響いていた。

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