【Episode27】春分の計画

夜の応接室。

卓上には茶器が整えられ、灯火に揺れる湯気が淡く漂っていた。窓の外では秋の夜風が木々を震わせ、かすかな葉擦れの音が室内の静けさに溶け込む。


瑠見はカップを両手に支えながら、ふと穏やかな声を落とした。

「……柊さんは、結婚はいつがよいと思われます?」


その声音には、年相応の少女らしい憧れがにじんでいた。夢を語るように、けれどどこかくすぐったげに。


柊は茶を口に含んでから、しばし無言でカップを置いた。

瞳は灯火を映し、答えを選ぶように間を置く。


「籍は、入れない方がいいだろうね」


淡々とした言葉は、柔らかな憧れを現実に引き戻す。


瑠見は瞬きをし、小さく首を傾げた。

「……どうして、ですの」


柊は指先で卓を軽く叩きながら、静かに続ける。

「君は“誰のものでもない存在”として神聖さを保ってきた。だから偶像としての力を持っている。けれど結婚という契約は、その神聖さを削ぎ落とす。スキャンダル以上に“ただの人間”にしてしまうんだ」


瑠見の手が、わずかにカップの縁を強く握った。


柊は構わず言葉を継ぐ。

「それに、結婚したら何かあっても内輪の揉め事にしかならない。そうなると矛先のコントロールが難しい。…曖昧なままの方がいいんだ。責任を俺に集中させやすいから」


あまりに淡白な声音。

そこに迷いはなく、ただ理路整然とした結論だけが置かれた。


瑠見は一瞬だけ息を呑み、そして小さく笑みを形作った。

「……わかりました」


笑みの奥には、まだ拭えぬ少女らしい憧れが残っていた。


柊は視線を逸らし、軽く肩をすくめる。

「夢は夢で見ていればいい」


瑠見は一口茶を含み、少し間を置いてから口を開いた。

「……では、その“未来の啓示”を信者に伝えるのは、いつがよいのでしょう。今のところ、わたしたちはかなりゆっくり構えていますけれど……本当に大丈夫なのですか」


柊はしばらく無言で考え込み、やがて静かに答えた。

「君の次の誕生日がいいだろう」


瑠見は目を瞬き、問い返す。

「……誕生日、ですか」


柊は淡々と指先で卓を叩きながら、言葉を重ねる。

「誕生日と重ねることで、信者たちに“特別な意味”を持たせやすくなる。個人の記念日じゃなくて、節目としての象徴になる」


瑠見は黙って耳を傾ける。


「それに、3月21日は春分の日だ。二十四節気のひとつで、自然の恵みに感謝して、生命の営みを尊ぶ日。宗教的な節目としても悪くない」


言葉はあくまで淡々とした調子だが、そこに揺らぎはなかった。


「……なるほど」

瑠見は思案するように視線を伏せる。


柊は少しだけ息を吐き、低く続けた。

「……正直に言うと、君はまだ少女だ。妊娠や出産のことを考えると、不安がある。…先延ばしにしたくない理由は知ってるから、強くは言えないけど。もし遅らせられるなら、できるだけ遅い方がいい」


その声音は、いつもの乾いた響きのまま。けれど僅かな間の取り方に、彼なりの迷いがにじんでいた。


瑠見はカップを支える指先に力をこめ、やがて小さく笑みを浮かべた。

「……やはり現実的でいらっしゃいますのね」


卓の上の灯火が揺れ、二人の影を壁に淡く映していた。

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