第5話

「……大丈夫、かな?」

「ええ、まぁ……」


 ほんのり赤く染まっている俺の左頬を見て、タン様は苦笑した。平手打ちをした本人は、少し離れた前をご立腹のまま歩いている。


「発言内容には気を付けないとね。マドモアゼル相手なら尚更」

「そう、ですね」


 マドモアゼル、っていうより実年齢的にはもうマダム……。


 とまで思って思考放棄した。俺の心が読める師匠に対して"思う"や"考える"は"言う"と同義。次こそ平手打ちくらいで済まされず止めまで刺されるのは目に見えている。


「お節介で申し訳ないんだが、1つ聞いても良いかな?」

「どうぞ」


 場を和ませる為か、タン様がにこやかな笑みを浮かべる。


「君は何処の出身なんだい?」

「、っと」


 その質問に一瞬だけ言葉が詰まったのをタン様は見逃さなかった。


「ああ、すまない。無理に聞くつもりは」

「いえ、大丈夫です。聞いていて気持ちの良いものではないので少し戸惑っただけで、話すのが苦痛とかじゃ全くないので」


一呼吸置き、ほんの少しだけ目を細めた。


「俺、自分が何処の出身か"わからない"んです」

「わからない?」

「正確には"知らない"、ですかね。元々奴隷だったもので」


 この世界について復習うと、生まれながらに持つ"魔力"がある。今やほとんどの生物が体内に魔力を保有し、それを使用して外部に影響を及ぼす事が可能となった。その主要な技術は世界の職業の半数を占める魔道士と魔術師。それ以外にも勿論職はあるが、魔道具を使用するものが大半である為それすら動かせない魔力無しでは話にならない。つまり、この世は魔力主義社会といえる。


 そんな中での銀髪碧眼魔力無しなど、人権がないに等しいながら貴重な存在。売られる事なんて案外容易に想像がつく。人も悪魔も神でさえも、珍しいモノ好きな奴はそれなりにいるものである。


「それは、失礼な事を聞いたね」

「いえ全然。今の俺からすればラッキーでしたよ、師匠と会えたし」


 この体質の希少性からか、奴隷の中ではそこそこ良い待遇だったと思う。がしかし、今の生活の方が断然いいと断言出来るし、何より心地いい。奴隷商に戻りたいかと言えば即答で否だ。


「いい師弟関係だねぇ」

「俺自身そう思います」


 俺が照れ笑いするとタン様は眩しそうに目を細め、前の方へ視線を移した。


 そこは師匠——の右側だった。大体、師匠の頭三つ分くらい上の辺り。虚空を見つめ、悲し気に瞳を揺らすその表情はの一言だけでは言い表しきれないような深く複雑で、そこにはない何か、もしくは誰かを探しているような、そんな愁いのあるものだった。


「タンさ」

「着いたわよ」


 何を見ているのか。何を思っているのか。それが何故だか酷く気になり声をかけようとしたのを、師匠の声が遮った。もう車庫に着いていたらしい。


「人を呼んで来ますので少々お待ちを」


 タン様は車庫の隣にある管理室の様な場所に足を向けた。


「アルク」

「はい、わかってます」


 今、師匠は俺を助けてくれた。『必要ない事は深堀しない主義』とかほざいていた癖に、俺はタン様の過去に触れようとした。表情から決して良い事ではないとわかっていたのに、だ。


「それで、色々と反省は出来た?」

「はい……」


 色々と、ほんとに色々と反省した。口は災いの元とはよく言ったものだ。


「これからは気をつけるように」

「はい……。すみませんでした」

「よろしい」


 いつも通り俺に向かって手を広げる師匠を丁寧に抱き上げる。失言をしてしまったが、実際にはトランクの方が重かったりする。ちょっと、いやかなり軽過ぎる気もするが。


「そう言えば、師匠車庫の場所知ってたんですね」


 道中、師匠はタン様より前を歩いていたのに道を聞く事もなく迷いもせず車庫に着いた。事前に道を知っていたとしか考えられない程スムーズだったのだ。


「……少し前まで、ここには良く来ていたの」


 明らかに声色が暗くなった。どうしたのかと思って髪に隠れた顔を覗こうと思った――ところで止まった。何度も同じ轍は踏まない。


「命の魔女様、アルク君。車庫の中にご案内します。こちらへどうぞ」


 どうやら話が終わったらしいタン様から声がかかった。そして、俺と師匠を見て優しく微笑んだ。もっと言うと慈愛に溢れる笑みである。まるで『仲直りして良かったね』という親のような……。


 何となく気恥ずかしさを覚えながら、俺はトランクを引いた。

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