11. 『自分の胸に聞け』の意味
切羽詰まった表情。
ダークグレーの髪は乱れ、瞳は忙しなく揺れている。彼はちらっと私を見てから、ノインの肩をぐいっと引いた。ノインの灰色の瞳を間近で睨みつける。
「仕事の話で忘れてたことがあってな。ノイン、ちょっと、あっちで話そう」
え……何それ。
「ねえ」
ノインの腕をつかんだヴァルディスを呼び止める。
「まさか、あなたも21日を繰り返していたの?」
「何の話だ?」
彼の声はわずかに上擦っていて、不自然なほど視線を合わせようとしない。
「今まで話しかけてきたこと、なかったじゃない」
本当に仕事の話なら、ヴァルディスは毎回話しかけてくるはず。
「アリシアの店。私にはできない技術で修復されていた箇所があった。おかしいと思ったの。あなたが直してくれたんじゃない?」
ヴァルディスは何も言わずに、顔を伏せた。
「……イカれたのか? なんで離婚した女の友達のために、おれが何かしてやるんだ」
苦しそうに顔を歪めて、言葉尻を小さくしていく。
「そっか」
私は、彼の返事を待たずに続けた。
「離婚の理由を黙ってたのは、さすがに変だと思ってたけど、あなた、嘘がつけないから、喋らないようにしてたのね?」
ヴァルディスの額から汗がだらだらと流れ、目があちこちに動き始める。
不意にノインが笑い始めた。
「では全てお話しましょう。リディア様」
「ノイン!」
ヴァルディスの声が怒りに震える。
「いやいや、どう考えてももう隠せませんよ。見てください。この爛々とした目」
ノインは私を指して、楽しそうに笑う。
「お前が、止めるべきだっただろう」
ヴァルディスは悔しそうに口の端を歪め、噛み締めた奥歯を覗かせる。
「早く話して。どういうことなの」
ノインは肩をすくめ、再び私に向き直った。
「駄目だ。言うな!」
「元奥様、あなたは体調がおかしいと感じたことはありませんか?」
「え……まあ、疲れやすい気はしていたけれど」
そう言えば、少し前に血を吐いたことがあったような。目眩が酷い時もあったし。そのうちお医者様に行こうと思っていたけれど。
「落ち着いて聞いてください」
なんとなく、二人の切羽詰まった調子から、いい予感はしていなかった。
そして、私の悪い予感は当たるのだ。
「あなたは22日まで生きられないのです。だから旦那様と話して、僕があなたたちの21日をループさせてたんですよ」
*
「突然死だった。多分、過労で」
ヴァルディスは、耐えられない痛みを堪えるように、両手で顔を覆った。苦しさと後悔の混じった声を絞りだす。
「俺は、君が倒れる今日、21日まで、気づいてやれなかった」
場所を移したお店では、主が鼻歌まじりにモップをかけていた。ヴァルディスの声だけが別世界から響くように聞こえてくる。
「いつ?」
「日が沈んですぐ……。最初の21日、おれは職場から急に呼び出された。……ちょっとごめん」
ヴァルディスは大きく深呼吸して目を閉じた。
「君は、ベッドに寝かされて、冷たくなっていた」
彼の瞳は、その日の光景を鮮明に思い浮かべているようだった。動揺する使用人たち、そして、彼自身の無力な姿を。
「周りが葬儀の準備を始める中、ノインが正体を明かした。『自分ならば、一日だけ時間を戻せる』と」
ヴァルディスの声は震えていた。
「迷わなかった。絶対に助けられるって思ってた……思い上がってた」
自嘲するように口を引き結ぶ。
「体力が回復する薬を片っ端から試した。滋養に効く食べ物を探した。でも、全部駄目で……。一日で取り寄せられる範囲も限られてるし。事故なら原因を避ければいい。殺されたのなら犯人を捕まえればいい。……でも、過労を癒すって、どうすればいいんだ? たった一日で」
「難しいでしょうね」
他人事のような自分の声。
でも、まるで実感がないのだから仕方がない。
何度繰り返しても、結末は変わらなかった。その度に、彼はどんな気持ちで私の遺体を眺めていたのだろう。
「繰り返した末に、やっと気づいたんだ。『君と全然話してない』って。俺はなんて馬鹿だったんだ。過労で倒れたのに、不満一つ聞こうとしなかった」
ヴァルディスは断ち切るように瞼を伏せる。
「君は泣いた。『親も友達も全部捨ててきたのに、いくら頑張っても私は余所者扱いだし。あなたは忙しくてあまり喋ってくれないし』って……」
「旦那様は深い後悔の海に沈みました。リディア様が抱えていた孤独と重圧を、自分は何も知らなかったのだと」
喉を詰まらせたヴァルディスの代わりに、ノインがゆっくりと首を振った。
「そんなこと、私」
言ったかもしれない。自分でも自覚していない心の澱を、彼にぶつけたのかもしれない。だって、この目の前の彼の苦しみは、本物にしか見えないから。
「俺はノインに、リディアにも記憶を残してくれるよう頼んだ。君が最後の一日を、自由に、気ままに過ごせるように、グレイモア家から……俺から解放して」
「私に、憎まれてると思ったのね」
『自分の胸に聞け』、の台詞が、まさかそんな意味だったなんて。
「君に嫌われてもいい。また心から笑えるようになるのなら、それで。……心から満たされて、安心して眠りにつければ」
「……」
「それが、数えきれないほど過ごした21日に、おれにできる唯一のことだって、気づいたんだ」
*
「私、死ぬの」
聞こえてくる自分の声は静かだった。まるで言葉に現実味がない。
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